496 十八歳 最善の結末 王都グレーターウィル
六月二十七日。
アイザック達は、王都までもう少しという位置にある街に泊まっていた。
ちょうどキンブル将軍が泊まっていた街だ。
急いで王都に向かうべきであるのに、なぜここに泊まっているのかというと、王都の状況を知るためだ。
ランドルフは急ぐべきだと思っていたが、これも必要な事だと進言せずに我慢する。
夕食後、ソーニクロフト侯爵やクロード、マチアス、ジークハルトといった者達と話をしている時、客人の来訪が知らされる。
アイザックはどうするか迷ったが、ここまでくれば隠すような内容でもないので、そのまま通すように伝える。
使者は、ブラーク商会の王都支店長だった。
彼はウェルロッド侯爵家の者以外がいる事に驚いていたが、アイザックが判断した事なので文句は言わなかった。
「こちら、王都で流れている噂でございます。レイドカラー商会を始め、多くの商会が協力してくれました」
「助かる」
アイザックは、さっそく噂がまとめられた手紙に目を通す。
六月十九日。レイドカラー商会の者が、近衛騎士の副団長が伝令を殺しているところを見た。
同日、王宮内で戦闘があった。
宰相閣下が、王宮内の兵をまとめてジェイソン陛下派の近衛騎士を一掃したらしい。
ただし、エリアス陛下が解放されたにしては、姿を見せないのはおかしいと王都の住民は不安を感じている。
近衛副団長に殺された伝令が極めて重要な情報を持ってきたと思われており、現在、伝令を誰が出したのかという犯人探しが始まっている。
伝令を出したのは王国軍か、ブランダー伯爵軍からではないかという考えが主流。
ブランダー伯爵を推薦したウィルメンテ侯爵が周囲に責められ、非常に肩身の狭い思いをしている。
王宮内でエリアス陛下が亡くなったのではないかという噂が流れている。
この不安を拭い去ってくれる者の登場を、平民は待ち望んでいる。
他にも、ニコルを始めとしたジェイソン派の貴族が捕らえられている事や、初めて王都を訪れた兵士達が住民に「田舎者」とからかわれて喧嘩になった事などが書かれていた。
内容は、思っていた以上にありがたいものだった。
現在の王都の状況を知る事ができるのは助かる。
特にウィルメンテ侯爵が、その立場を危うくしているという情報は助かった。
アイザックは一度手紙の内容を皆に読み聞かせたあと、モーガンに手紙を渡す。
内容の再確認をしてもらうためである。
「王都に入る前に、現状を知る事ができてよかった。ブラーク商会で、今回の内戦に関わる問題は起きていないか?」
「実は、戦争と聞いて金庫から金を盗んで姿をくらました者達がいます」
「戦争は多くの物資が動く。食料の売買だけでも、かなり稼げるだろうからね。まぁ、もう稼げなくなったようだけど」
二人の会話に、ジークハルトが感想を述べる。
商売に関する話だったので、つい口を挟んでしまったのだろう。
アイザックも否定する事なく、彼の言葉にうなずく。
「その不届き者達は、こんなに早く戦争が終わると思っていなかったんだろう。私の名前で彼らの指名手配を出しておこう」
「ありがとうございます。ですが、その者達はエンフィールド公との縁作りのために派遣された有力な商会の子弟達でして……」
支店長が気まずい顔を見せると、アイザックはフフッと小さく笑った。
「わかった。ならば、情報料として必要な額をノーマンに伝えておくといい。それと、後日私からオスカーに口添えをしておこう。私に王都の情報を集めよと命じられて、どうしても手が回らなかったところがあったとな。働きに感謝する」
――盗まれた金庫の金を補填する。
アイザックは、そう言っているも同然だった。
少なくとも、この場にいる者達はそう思った。
だが、実際は金を盗まれてなどいない。
これは支店長への褒美である。
彼は独立の夢を持っていなかった。
そのため王都を駆けずり回り、アイザックが必要とする情報をかき集めた事への褒美という形を取った。
しかし、報酬として金を支払うのも、方法を考えねばならない。
これは皆の前で情報の代金を払ったと見せる事で、不審に思われないようにするための演技だった。
「間もなく日が暮れる。護衛を付けようか?」
「護衛は連れてきておりますので、お気持ちだけ頂戴いたします。明日の朝、エンフィールド公が到着するという噂を平民に流し、出迎えの準備を整えておきます」
「ご苦労だった」
何気ない会話ではあったが、アイザックは警戒されていると感じた。
(まぁ、実行犯に指示を出した者も口封じされると思うのも当然だから仕方ないか)
アイザックは本当に心配しただけなのだが、護衛という名の暗殺者を付けられないよう、前もって準備されていた。
自業自得ではあるが、少しだけ寂しさを感じながら、彼の退出を見守る。
「平民の間でこのような噂が流れているという事は、やはりあの話は事実なのでしょうな……」
ソーニクロフト侯爵が手紙を読み終えて隣の者に渡したあと、頭を抱えて机に突っ伏した。
「エリアスの解放を確認してから国に帰る」という予定で同行していたが、エリアスの死を確認して帰る事になりそうだった。
この場にいる全員が事前に「王族が全滅した」と聞かされてはいたが、やはり衝撃は大きいようだ。
「私はエリアス陛下に解放されたお祝いを申し上げるつもりだったのですが……。死を確認するために来たわけではない」
彼の嘆きは、他の者達も同様だった。
マチアスやクロードは、負傷兵の治療が一段落したので同行していた。
しかし、それはアイザックが怪我をした時のためであり、王都の状況を確認するためであった。
こんな国を揺るがす一大事を確認するためではない。
それはジークハルトも同じで、エリアスに褒美として使ってもらえるよう、上等な品を売り込むチャンスがあればと考えて付いてきていただけだった。
下手をするとリード王国が崩壊しかねない状況を見るためでなかった。
それだけに、落ち着いているアイザックが、これからどういう行動を取るのか興味深く見守っていた。
「それは私もだ。まさか、陛下が私よりも先に逝かれる日がこようとはな。……この惨状を見て、ファーティル王国がリード王国を見限ろうとも、私は義兄上を恨みはせん」
「何を言う! リード王国には多くの借りがあるのだ! 直訴してでも、そのような事はさせぬ! その事は心配するな!」
「義兄上……、ありがとうございます。この状況では、そのお言葉が本当にありがたい」
モーガンは、ソーニクロフト侯爵が動揺しているのを見て、この隙に言質を取った。
この場にいるのがリード王国の者だけならば「油断させるための言葉だった」と言い逃れる事もできるだろう。
だが、ここにはエルフやドワーフがいる。
今後、ファーティル王国も彼らとの交流を深めていくとなれば、裏切り者という印象は持たれたくないはずだ。
こういう時であっても、モーガンは冷静に必要な対応を取っていた。
いや、こういう時だからこそだろう。
やはり彼も、しっかりとジュードの薫陶を受けていたのだった。
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六月二十八日。
アイザック達が王都に到着する。
大半の兵士を郊外に待機させ、貴族の当主とその護衛部隊だけを率いて街に入る。
早朝だというのに、住民がアイザック達を出迎えにきていた。
これはブラーク商会を始め、数々の商会が「エンフィールド公が今朝到着する」という噂を流していたからだ。
だが、彼らの表情に明るさはない。
将来に不安を感じ、誰もがすがるような視線をアイザックに投げかけていた。
「エンフィールド公! エリアス陛下は、この国は大丈夫なのでしょうか?」
人混みの中に、不安を叫ぶ者がいた。
アイザックは声がした方を見るのではなく、周囲を見回した。
「私もまだ王宮に入っていないので詳しい事はわからずにいる。皆も不安だろう。だが、安心してほしい。民の安寧はエリアス陛下が最も望まれている事だ。どのような事になろうとも、諸君らが今まで通りの生活を過ごせるように努力する。安心して、いつも通りの日常を過ごしてくれ」
アイザックが安心させると、住民達の中から――
「エンフィールド公、万歳!」
「さすがはエンフィールド公!」
「国を任せられるのは、あなたしかいない!」
――という叫びが、方々から聞こえた。
その叫びに反応し、他の住民達もアイザックを称え、期待をかける言葉が沸き上がる。
最初の叫びは仕込みであるが、アイザックの予想以上に平民達には好意的な反応が見られた。
(俺って、こんなに人気があったんだな……。いや、これを俺の人気だと思うのはダメだ。不安な時に頼れる人がいたから、おだてているだけだと思うべきだ。油断するな)
アイザックは、それなりに民衆受けする立場だとは知っていた。
しかし、それはあくまでもそれなりというもの。
大活躍したスポーツ選手を応援するような感情であり、一人の人間として評価されているわけではないとわかっていた。
それなのに、彼らは救世主でも現れたかのように、本気でアイザックを歓迎している。
王宮までの道中、王都の治安を守る衛兵達までもが、道沿いでアイザックを歓迎していた。
あまりにも好意的に迎えられ過ぎて、却ってアイザックは不安を感じさせられた。
だが、それも一時的なもの。
王宮の城門にいた兵士達は、暗い顔をしたまま、アイザック達を出迎えた。
事情を詳しく知っているかどうかの差が大きいのだろう。
アイザックも気を引き締め直す。
なぜか案内されたのは武器庫だった。
外には数名のエルフがいた。
この暑い季節に、コートを着て、温かい飲み物を飲んでいる。
その理由は、アイザックにはすぐに理解できた。
(これは……、霊安室みたいなものか)
武器庫の扉の前に立つと、ひんやりとした空気が中から流れ出している。
魔法で冷やしているのなら、中にいるエルフは冷えているはずだ。
交代で体を温めているのだろう。
前世の知識がなければ、モーガン達と同じく首をかしげていたはずだった。
中に入ると、凍えるような寒さを感じた。
だが、寒さに反応するよりも気になるものが目に入る。
――氷で作られた七つの棺だ。
どうしても、それに視線が釘付けになってしまう。
「エンフィールド公……、申し訳ございません。出迎えもせずに……」
棺の近くにいた男が立ち上がり、アイザックに謝罪の言葉をかける。
「いえ、お気になさらずに。宰相閣下の苦労を考えれば、出迎えなど取るに足らないことですから」
男はクーパー伯爵だった。
長い時間、ここにいたのだろう。
髪やヒゲの先に霜が付いていた。
憔悴し切った表情は、まるで幽鬼の如く生気が感じられない。
だが、彼の心配はあとだ。
まずはエリアスの事を確認する。
「陛下はどちらに?」
「こちらです」
アイザックは、クーパー伯爵が指し示した棺を確認する。
確かにエリアスだった。
隣にはジェシカが眠っている。
エリアスの前に片膝をつく。
「陛下、間に合わずに申し訳ございません……。不甲斐なき臣にお叱りの言葉を……」
アイザックはうなだれ、エリアスに叱咤を求める。
当然ながら返事はない。
しかし、その態度を見せるのが大事だった。
次にジェシカ、ミルズと棺の順番に謝罪の言葉をかけていく。
(本当にすまない……)
ミルズの一歳の娘、アニーの遺体を見たところで後悔する。
顔が潰れていたからだ。
戦闘中に踏みつぶされたのかもしれない。
この企みが失敗していたら、ケンドラが同じような目に遭っていたかもしれないと思うと、アイザックの目に涙が浮かぶ。
最後の遺体は、アイザックには見慣れぬ者だった。
「クーパー伯、この方は? ミルズ殿下に側室がいたとは聞いておりませんでしたが」
「その者はアニー様の乳母です。アニー様が天国への道を迷わぬよう……、遺族の許可を、得て……」
すでに枯れ果てたはずの涙が、クーパー伯爵の目からこぼれ落ちる。
アイザックも感情が昂っていた事もあり、もらい泣きして、さらに激しく涙を流し始める。
だが、アイザックやクーパー伯爵よりも、より強く嗚咽を漏らしている者がいた。
「お救いできずに申し訳ございません。申し訳ございません!」
ランドルフだ。
彼はエリアスの棺にすがりつき、謝罪の言葉を繰り返している。
忠臣としてあるべき姿を見せていた。
モーガンが心配するように、彼の傍らに寄り添っていた。
「宰相閣下。なぜこのような事になってしまったのか、順番に説明していただけますでしょうか?」
「説明はいたしますが、少し時間をいただいてもよろしいですか?」
「ええ、もちろんです。他の者達もお別れの言葉をかけたいでしょうから」
ここにきたのはアイザック達だけではない。
傘下の貴族も来ている。
彼らにも別れの言葉をかける機会と、王族が全滅したという事実を見せる必要がある。
今すぐに説明しろと詰めよる気はなかった。
「では、謁見の間にでもすべての貴族を集めましょう。事情を聴き、これからの事を話し合う必要があります。高位貴族だけで話し合って決めていい問題ではないですからね……」
皆で話し合うという事にしているが、実際は大貴族の意向を無視して、下級貴族の意見が通るはずがない。
だがそれでも、表向きは「皆で話し合った」という形が重要だ。
「不満があるなら、なぜあの時言わなかった!」と責める事ができる状況作りが大切である。
今後のためにも、必要な事であった。
「エンフィールド公。差し支えなければ、話を聞くだけでいいので私も出席させてもらえないでしょうか? もちろん、国の重要な話という事はわかってはいるのですが……。なぜエリアス陛下がこのような目に遭わねばならなかったのかだけでも知りたいのです」
エドモンドが、アイザックに出席の許可を求める。
本来ならば、考えるまでもなく断るところだ。
しかし、彼はエリアスの遺体を腐らぬように冷やしてくれている。
ずっと近くにいたのだ。
政治的な意図抜きにしても、色々と気になるのもわかる。
「ジェイソン陛下の事は、どこまで聞いておられますか?」
「キンブル将軍が到着された時、王族は全滅だと嘆いておられましたので……」
「そうですか……。そこまでわかっておられるのでしたら……。陛下のご遺体を保存してくださったご恩もあります。それに国内で王位継承権を持つ者は一人だけ。あとは新しい王を発表するだけです。列席していただいても大丈夫でしょう。エルフだけというわけにもいかないでしょうし、ノイアイゼンのヴィリー様もお招きしましょう」
アイザックにとって不都合はないので、許可を与える事にした。
新しい王を発表するにあたり、他国の者が同席するのは歓迎だった。
リード王国の貴族だけであれば――
「きっとエンフィールド公が貴族を脅して王位を奪いとったに違いない!」
――と思われてしまうだろう。
他国の証人は必要だった。
クーパー伯爵も特に咎める様子はないので、出席に支障はないはずだ。
「宰相閣下。ヒゲを整え、温かい飲み物を飲まれるだけでかまいません。皆の前に出る前に、一度休まれてはいかがですか?」
「あぁ、そういえば、最後に帰ったのはいつだったか……。これでは皆に不安を与えますな。エンフィールド公のおっしゃる通り、身なりを整えてきます」
よほどショックだったのだろう。
どうやらクーパー伯爵は、周囲の目を気にする余裕もないらしい。
この様子なら、このあとの事もアイザックの望む方向へ運べるだろう。
アイザックは、もう一度エリアス達の冥福を祈り、武器庫から出ていった。







