414 十八歳 幸せにできる者は誰か?
「ウィンザー侯が、ネトルホールズ女男爵を殺そうとした理由。それは、パメラさんに階段から突き落とされたと虚偽の訴えをしたためです」
「それは知っている」
あの事件で起きた一連の出来事は、パメラから聞いている。
仮に事実であっても、たかが女男爵が侯爵家の娘、それも王太子の婚約者に取っていい態度ではない。
本当に被害に遭っていたとしても、爵位の差を考えれば我慢して黙っているところだ。
ジェイソンがニコルの言葉を信じたというのも問題だが、ニコルがパメラに歯向かったという事の方が大問題だ。
王子であるジェイソンに手出しができないのなら、ニコルに報復しようとするのは当然の行為である。
しかし、即時報復に出ればウィンザー侯爵家がやったと気付かれてしまう。
だから、今まで行動に出ていなかった。
これは聞くまでもなく、セオドア達も知っている事だった。
彼らは「その先」が知りたかった。
「文化祭の時、なぜ止めた? 止める理由などないはずだ」
ウィルメンテ侯爵家には、ジェイソンの親友であるフレッドがいる。
仮にニコル暗殺の疑いをかけられたとしても、苛烈な報復はされないだろう。
それにウィンザー侯爵家が犯人の可能性も考えて、どちらが犯人か判断できず動けないでいた可能性もある。
セオドアには、アイザックの行動の理由がわからなかった。
だが、アイザックのせいで絶好の機会を失ったという事はわかる。
生半可な理由であれば、到底許せるものではない。
「あるわ。パメラという大きな理由がね」
「なにっ!」
アリスが思わぬ事を言い出したので、セオドアは反射的に彼女の方を向く。
だが彼女は反応した夫ではなく、アイザックをジッと見つめていた。
「そうよね?」
確信しているかのような問いかけに、アイザックは諦めたかのようにフッと笑って答える。
「なるほど、すでにウィンザー侯からお聞きになっておられましたか」
「なんだと!」
アイザックの返事は「そうだ」と答えたのと同じ。
セオドアは驚かされるばかりだった。
それだけではない。
自分だけが事実を知らされておらず、除け者にされていた事にも驚いていた。
「いいえ、何も聞いていないわ。ただ、過去にあった事から推測しただけ。それにしても困ったわね。まさか当たっていたなんて」
アリスは溜息を吐く。
だが溜息を吐きたいのは、アイザックの方だった。
重要な秘密を、あっさり見抜かれてしまったからだ。
それも仕方がない。
彼女は十歳式前にパメラと顔合わせした時の様子などを知っている。
他の者達よりも、判断する材料を多く持っていた。
しかし、気付かれる可能性が他の者より高めとはいえ、こうもあっさりと見抜かれるとは思わなかった。
文化祭から時間を置いたせいで、考える時間を与えてしまったせいだろう。
だが問題はない。
説明の順序が変わっただけだ。
「僕はパメラさんの事を愛しています。だからこそ、ジェイソンとは別れてもらわねば困るんですよ。ただ僕が奪うような形では禍根を残します。ジェイソンが他の女に目が眩み、彼の方からパメラさんに別れを切り出す。そういう形を作るために、ネトルホールズ女男爵は必要だったんですよ。だから、ウィンザー侯に釘を刺したのです」
セオドアは驚きのあまり、ぽかんと口を開いて放心状態になる。
アリスは目を閉じて天を仰ぎ、めまいに耐えようとしていた。
アイザックに掴みかかったり、嘆く事すらできない。
それだけ彼らには衝撃的な事実だった。
「これは昔から考えていた事でした――」
アイザックは、ウィンザー侯爵達に話した内容と同じ事を彼らにも話す。
これまでどれだけパメラを手に入れるために頑張ってきたのかを。
この話には二人とも耳を傾け、顔を青ざめさせながら聞いていた。
話を聞き終わると、今度は怒りで顔を紅潮させたセオドアが、アイザックに質問をする。
「ひょっとすると……。エンフィールド公が何もしていなければ、このような事態になっていなかったのでは?」
彼は怒りに身を震わせていた。
震わせてはいたが、アイザックに反抗しようという気持ちは萎えている。
「こいつを敵に回すのはまずい」という気持ちが怒りに勝ち、言葉遣いだけは普段のものに戻っていた。
「僕がネトルホールズ女男爵に金銭的な支援をしていなければ、いくら美しかろうとも『下品な女だ』と歯牙にもかけられなかったでしょう。そういった意味では、僕のせいだと言えるかもしれませんね」
(今でも品性がないと思えるけどな)
「だけど、何かきっかけがないとパメラさんと結婚できませんしね。仕方がありません」
アイザックは悪びれる事なく答えた。
これにはセオドアも、ムッとして殴りかかりそうになるがグッと堪えた。
「その行為自体が、パメラを不幸にしているとなぜ気付かないのですか」
だが、言葉までは堪えられなかった。
アイザックに現実を突きつける言葉を叩きつける。
ウィンザー侯爵も「その通り」とうなずいていた。
しかし、アイザックは動じない。
彼には彼なりの言い分があったからだ。
「でも可愛い子と出会ったからって、パメラさんを捨てて乗り換えようとするジェイソンが悪いですよね?」
「それはそうかもしれませんが……。まだパメラを捨てると決まったわけではないでしょう」
「いいえ、それは違います。ジェイソンはすでに心に決めていますよ」
アイザックは自信を持って答えた。
その自信に満ちた姿に嫌なものを感じるが、聞かずにはいられない。
「なぜわかるのですか?」
「本人から直接聞いたからです。僕がどうやって和解を納得させたかは……、まだ話してませんでしたね」
先ほどセオドア達に話した中には「ジェイソンをどう説得したか」が含まれていなかった。
改めてアイザックは、ジェイソンを説得した時の事を話す。
話を聞けば聞くほど、セオドア達は「やっぱりお前のせいじゃないか」と思わされてしまう。
比較的冷静な反応を見せていたアリスも、顔を紅潮させ怒りの色を見せ始めていた。
「お待ちください。好みの女の子を見つけたからと、あっさりパメラさんを捨てようとする男にこだわる必要がありますか? 女男爵を側室にではなく、正室にしようとする男に? 国の未来は大丈夫かと心配になりませんか?」
「子供の頃に出会った相手に固執し、国家を転覆させんとする男よりはマシかもしれませんね」
アリスもなかなか辛辣な事を言ってくる。
だが、その程度で挫けるアイザックではない。
「本当にそうでしょうか? この間のエルフの一件。あれは表向きはマチアスさんの暴走という事で収めてもらいましたが、本当は僕が断ったんですよ。エルフは政治上の扱いに困りますからね。侯爵令嬢のパメラさんと、どちらを正室にするべきか判断が難しいところ。だから断ったんです。パメラさんを正室として迎えるために。……彼女だけではありません」
本当ならセオドアやアリスの背後に回り、耳元で優しく諭すようにささやきたいところだった。
しかし、以前ノーマン達に「悪魔のささやきのようだ」と言われたので我慢する。
ブリジットとの婚約は、美女を妻にできるというだけではない。
種族間戦争後、エルフの側から望んで娘を差し出すというのだ。
歴史的転換点として、世界中に知られる偉業となるだろう。
それを断るというのは、かなりの思い切りが必要だったはずだ。
「ロレッタ殿下もそうです。ヘクター陛下から『婿に来るのなら、次々代の王は決まりだ』と言われるほど熱心に婚約を求められました。ですが、そちらも断っています。これがどれだけ好条件かは、セオドアさんがよくわかっておられますよね?」
「ええ、もちろん」
――王位継承権を持たない者でも、妻が王位継承権を持っていれば跡を継げる。
これはセオドアも同じだった。
アリスは女であるため、夫のセオドアが次代のウィンザー侯爵となる。
当然、離婚したりすれば爵位を剥奪される弱い立場ではある。
だが、本来ならば縁がなかった大きな権力を継げるのだ。
持たざる者にとっては、非常に魅力的な婚約である。
特に一国の王となれば別格だ。
リード王国の半分ほどの規模とはいえ、ファーティル王国という国の王になれるのだ。
ロレッタを大事にさえしておけば、あとは自由に振る舞える。
アイザックならば、実質的な乗っ取りもできるはずだ。
そんなに美味しい話を蹴るというのは、にわかには信じられなかった。
「ロレッタ殿下と結婚すれば、パメラさんは第二夫人にせねばなりません。それでは母と同じ事になってしまうかもしれないのです。父と同じ過ちは犯せません。最も愛する人に、ふさわしい立場を用意するために断っているのです」
アイザックは、パメラの事をどれだけ思っているかを話す。
「アマンダさんもそうです。同じ侯爵家という事もあり、誰が第一夫人になるかは、どちらが先に婚約したかが重要な要素となる。だから、ウォリック侯の熱烈なお誘いにも応じませんでした。ウォリック侯爵家には男児がいない。アマンダさんと結婚すれば、どういう事になるかはおわかりいただけますよね?」
セオドアとアリスはうなずく。
アマンダとの婚約も、アイザックにとって大きな権力を握るチャンスだった。
ウェルロッド侯爵家とウォリック侯爵家という二つの家で当主になれる。
これは単独でリード王家に匹敵する力を持てるという事だ。
普通の貴族であれば、喜んでアマンダとの婚約に飛びついていただろう。
「ランカスター伯はお爺様の親友で、ジュディスさん自身も巷では聖女と呼ばれている女性。彼女と婚約すれば、教会に対する影響力を持てます。教会を味方に付ければ、平民の統制が取りやすくなる。領主としては、ありがたい存在です。領地持ちの貴族であれば、彼女との婚約は望むところでしょう。ですが、ジュディスさんとの話も断りました。伯爵令嬢とはいえ、聖女と呼ばれている彼女を第二夫人にはできないからです」
――教会の絶対的な支持を取り付けられる聖女ジュディスとの婚約。
それもアイザックは断ったと話す。
聖女扱いされているジュディスを妻にすれば、彼らを味方につけるのは容易である。
教会は病院を兼ねているため、平民との距離が近い。
教会を使えば、平民の統制を取るのが楽になる。
ウォリック侯爵領で起きた混乱を抑えられるかもしれないと思えば、領主としては魅力的な相手だった。
――世界的な名声を得られるブリジット。
――大幅に権力の強化を狙えるロレッタとアマンダ。
――領地の安定を得られるジュディス。
それぞれ魅力的な相手だった。
少なくとも、後継者の弟がいるパメラを選ぶよりはメリットが多いように思える。
いや、パメラを選ぶメリットがないと言うべきか。
――ウィンザー侯爵家はパメラの弟が継ぐので、直接的な権力を強化できない。
――そして何よりも、王太子の婚約者なので、どうしても奪い取るような形になってしまう。
権力や名声を失い、平民が動揺して領地も不安定になりかねない。
デメリットばかりだ。
なぜそのような危険を冒すのかが、セオドア達には理解できなかった。
「どうしてそこまでパメラの事を? ロレッタ殿下以外にも良い話はあったではありませんか。誰を選んでも、パメラよりいい未来が待っています。彼女達を選べばいいではありませんか」
セオドアは浮かんだ疑問をぶつける。
彼がアイザックの立場なら、アマンダあたりと婚約していただろう。
いくら初恋の相手でも、ここまでパメラに執着はしなかったはずだ。
「理屈じゃないんですよ」
アイザックも不思議がられるというのはわかっていた事だ。
神妙な面持ちをしながら、その問いに答える。
「可愛いと感じた事はありました。パメラさんは今もお美しい。でも、容姿だけに惹かれたわけではありません。初めて会った時から感じている特別な縁……とでも言いましょうか。心を惹かれる特別な何かを感じているのです。それは他の誰にも感じた事はない特別なもの。この十三年間、ずっと頑張ってこられたのもパメラさんのためなのです」
アイザックはセオドアとアリスだけではなく、ウィンザー侯爵やローザにも視線を投げかける。
「パメラさんとジェイソンは婚約者というだけではなく、幼馴染の友人でもあったはずです。なのに、ポッと出のネトルホールズ女男爵に心を奪われ、パメラさんを蔑ろにした。そんな男と、パメラさんのために生きてきた僕。どちらがパメラさんを幸せにできるでしょう? 親として、どちらにパメラさんを託したいと思いますか?」
アイザックが考えた、二人を説得する方法。
それは感情に訴えかけるものだった。
先ほどセオドアを警戒させていたのも、このためだ。
「引っかけられないよう、話をよく聞いておかねばならない」と、アイザックの言葉に耳を傾けさせていた。
その分、感情もよく伝わっているはずだ。
いや、伝わっていてもらわねば困る。
家族の同意を得ず、強引にパメラを得ても彼女を不幸にしてしまう。
渋々であったとしても、一定の理解は得ておきたいところだった。







