401 十八歳 新しいアレ
――アマンダとの婚約。
ウィンザー侯爵から突きつけられた要求は、アイザックを大いに悩ませていた。
(絶対あれって『アマンダを第一夫人にするのを認める』って意味じゃないよな。パメラを第一夫人にしつつ、アマンダと婚約しろって事だろう。どうしろっていうんだ……)
「ウォリック侯爵家が味方になった」という確約がほしいのだろうが「パメラを第一夫人に」という点で譲るとは思えない。
アイザックとしても両親の悲劇を繰り返すわけにはいかないので、パメラを一番の立場にしておきたいところだ。
そうなると、アマンダには第二夫人という立場を受け入れてもらうしかない。
しかし、それは難しいだろう。
『ウォリック侯爵家の力が欲しいから婚約しよう。あっ、でも他に本命がいるから第二夫人で我慢してね』
いくら好意を持っている相手でも、こんな事を言われれば激怒するだろう。
むしろ、可愛さ余って憎さ百倍。
好意を持っているからこそ、一気に殺意にまで発展するかもしれない。
言葉をマイルドにしようが、絶対に言えない言葉だった。
だが、ウィンザー侯爵も、どうせならパメラを第一夫人にしたいはず。
本当にアマンダと婚約して、第一夫人の座を奪われるのは避けたいはずだ。
だが、それでもあんな要求を突きつけてくるのは、よほどの自信があるからだろう。
その自信の理由に、アイザックは気が付いた。
(反乱を起こしてでもパメラがほしい。その姿勢を見せる事は必要な事だったけど、同時に弱みを見せる事になった。『パメラを第二夫人以降にはしない』と見抜かれているんだ。だから、あんな不利な立場になりかねない要求を堂々としてきたんだろう)
どうせパメラを一番に選ぶ。
そう思われているせいで――
「アマンダと婚約しろ。でもパメラは第一夫人に、という難しい問題を自力で解決しろ」
――と強気に出られてしまったのだ。
(ジェイソンが本当にパメラを殺そうとするなんて思わないもんな。普通は嫌でも結婚して、義務で子供を作ってから冷めた夫婦生活を送ると思うもんだ。だって、あいつは王太子っていう立場なんだから)
王族は貴族をまとめる立場なので、ウィンザー侯爵家のような大物を不必要に敵に回すような真似はしない。
国が乱れて一番困るのは自分達だからだ。
そんな王族が、わざわざ国を乱すような真似をするというのは、にわかには信じ難い行為である。
エリアス達に伝えた「反抗期」という嘘を、ウィンザー侯爵も信じていたのかもしれない。
ウィンザー侯爵は、ジェイソンに危機感を覚えつつも、最後の一線は守ると信じているようだ。
それだけではなく、アイザックが逃げ場をなくしたので、仕方なく付き合わされているという気分なのだと思われる。
計画に乗り気ではないので、絶対成功するという確信がないと動く気がないのだろう。
(……という事は、アマンダとの結婚にこだわる必要もないのか?)
アイザックは一筋の光明を見出した。
おそらくウィンザー侯爵が求めているのは「成功する」という安心感。
血縁関係というのは方便だろう。
ならば、アマンダとの婚約にこだわらず、ウォリック侯爵家の協力を確約させる何かがあればいい。
例えば、ウィルメンテ侯爵家は偽の手紙で味方に付けたと誤解させた。
あのように一目で協力関係がわかるものを用意すれば、ウィンザー侯爵もアマンダと婚約しろとは言わないだろう。
――アマンダとの婚約は必須条件ではない。
そう思うと、アイザックの心が軽くなる。
(彼女の事は嫌いじゃない。それどころか、人としては好きだと言えるだろうけど……。それと結婚したいと思うかは別問題だ。むしろ、性格がいいから政略結婚で利用したくない。違う方法でも大丈夫そうなのはありがたい。ニコル相手なら『利用してもいいや』って思えるんだけどなぁ)
ネイサンやメリンダの時は「敵だ」と思える相手だから遠慮なく行動できた。
彼らと比べるまでもなく、アマンダは敵だとは思えない相手である。
しかも、自分に好意を持ってくれていると知っている。
彼女を利用するのは躊躇われた。
なので、ウィンザー侯爵を納得させる他の方法を考えればいいと気付けた事に、アイザックは安堵の表情を見せる。
だが、すぐに表情を引き締めた。
(次の問題は、ウォリック侯爵自体が問題だという事か……)
彼の顔を思い浮かべるだけで、アイザックは溜息が出てしまう。
最近はあまり言わなくなったが、話をする時は、ほぼ確実にアマンダの話を出してくる。
ウォリック侯爵が協力の見返りに求める条件は、考えるまでもなくアマンダとの婚約だろう。
話をどう切り出すかも迷ってしまう。
(まぁ、時間をもらえた分だけマシか。ジェイソンが馬鹿な真似をすれば、ウォリック侯爵も危険だと感じるはずだ。それにウィンザー侯爵同様、他の侯爵家が味方になったとわかれば、彼も味方になるしかないと考えるだろう。外堀を埋めていくしかないな)
結局、やる事は今までと同じ。
「地道に味方を増やしていく」というところに帰結する。
今までと違う点は、増やした味方を交渉のネタに使うところだろう。
問題は、一番説得しやすそうなウォリック侯爵が、アイザックにとっては一番難しい相手という事だった。
----------
対処方法を考えていると、気が付けば十二月になっていた。
この頃になると、地方の貴族が王都に集まってくる。
ウォリック侯爵やウィルメンテ侯爵もやってくる。
彼らとも話をしておく必要があるだろう。
だが、彼らよりも待ちわびた相手がいた。
「ケンドラ! 会いたかったよ!」
「私もお兄ちゃんに会いたかった!」
――ケンドラだ。
帰宅すると家族が到着していると聞き、真っ先に彼女のいる食堂へと向かった。
アイザックは妹に駆け寄って抱き上げる。
ズシリとした重みを感じる。
「この半年で随分と大きくなったね。いつまでこうして抱き上げられるかな?」
アイザックは未来に想いを馳せ、少し感傷的になる。
このままケンドラが大きくなり、ローランドとデートしたりするのかもしれない。
そう思うと、妹の成長が嬉しくもあり、悲しくもある。
(もし、あいつに泣かされるような事があったら――)
――絶対に許せない。
ケンドラとローランドの婚約が、ウィルメンテ侯爵家との強い繋がりをアピールするのに必要だとはわかっている。
それでもローランドが婚約者という立場に甘えて、ケンドラを泣かせるような事があれば絶対に許さないだろう。
それほどまでに妹が可愛い。
世界を敵に回そうとも、守ってやりたいと思うくらいに。
(……それはウォリック侯爵も同じかもな。アマンダのためなら、王家の恨みより俺を憎んで闘いを挑んでくるかもしれない。アマンダを傷付けないように気を付けないと)
あれだけ娘を可愛がっているウォリック侯爵だ。
アイザックなら、領地を混乱させた相手よりも、ケンドラを泣かせる男の方への恨みが強いはずだ。
アマンダを泣かせるような真似をすると、ウォリック侯爵が敵に回りかねない。
愛くるしいケンドラと会えたからこそ、やはりアマンダと政治目的で婚約するのはダメだと強く再確認できた。
(いるだけで大切な事を教えてくれる。ケンドラは俺の天使だ)
大切な事を気付かせてくれた妹に頬ずりをする。
ケンドラはアイザックにとって、無条件で可愛がれる貴重な相手だった。
「おいおい、歓迎するのはケンドラだけかい?」
妹の溺愛振りを見て、ランドルフが呆れた表情を見せていた。
いや、彼だけではない。
他の者達も似たような表情だった。
「もちろん、父上も歓迎しますよ。でも、どうせ来年から一緒にいるじゃないですか。ケンドラと会えた事の方が大切です」
来年はジェイソン次第の部分が大きいが、一度領地に戻る事になる。
基本的には、ランドルフから領主の仕事を教わって世代交代の準備をする事になるだろう。
という事は、これからは父と一緒に過ごす事になる。
歓迎の度合いがケンドラより弱いのは、そういう事情があったからだった。
しかし、ランドルフにも言い分があった。
「それはケンドラもだろう……」
まだ八歳のケンドラは、当然家族と一緒に暮らしている。
なのに、アイザックは妹だけを可愛がっている。
それには彼も不満を感じていた。
だが、彼の言葉にアイザックは、やれやれと首を振る。
「大人の一年は代わり映えしませんが、子供の一年は成長目まぐるしいんですよ。ケンドラの成長を見守れる機会の方が貴重なんです。一緒に暮らすと言っても、父上達とはまた違う価値があるんですよ」
「それはそうだが……」
確かにその通りではあるが、子供どころか結婚すらまだしていないアイザックに言われるのも釈然としない。
ランドルフは何とも言えない顔をした。
「まぁまぁ、兄妹仲がいいのは歓迎するところじゃない。アイザックは子煩悩な父親になるかもしれないわね」
ルシアは笑顔で二人のやり取りを見守っていた。
これだけケンドラを可愛がるのなら、自分の子供ならもっと可愛がるだろう。
今の姿を見ていると厳しく躾ができるのか不安を覚えるが、ジュードのように駒として扱うよりはマシ。
そう考えれば、彼女に不満はなかった。
「そうかもしれないけど……。なんだかなぁ……」
それでも、ランドルフは渋い顔をする。
彼の表情を見て、アイザックは苦笑いを浮かべる。
「もちろん、ケンドラの次に歓迎していますよ。一番が断トツなだけです」
「仕方ないな。ケンドラは可愛いから」
ケンドラを可愛いと思っているのは彼も同じ。
ただ少しばかり寂しかっただけだ。
アイザックの口から「歓迎している」と聞けた事で、ランドルフも頬を緩めた。
だが、それもわずかな間の事。
すぐに顔を引き締めた。
「新しいアレが届いたから試したが……。あれは凄いぞ。アイザックが言う通りのものだった」
「そうでしたか、計算通りに作られたようで何よりです。詳しくは後程伺いますよ」
ランドルフも戦場を大きく変えかねない新兵器の話を、使用人の前でするのはマズイと思ったのだろう。
言葉をぼかしていた。
アイザックも父が何を話しているのか理解し、あとで話そうと伝えた。
「あぁ、そうだな。そういえば……というよりもいつも通り、ジークハルト殿もお前と話したがっていたよ。今日は大使館で休んだり、何か調整したりするようだったけどね。あぁ、そうそう。今回はドワーフもエルフも、使節団の規模が大きいよ。殿下が卒業するという節目の年だから、祝いの品を持ってきたりしているんだ。マチアス様だけじゃなく、クロード殿やブリジットさんのご両親も来ているぞ」
「あぁ、なるほど。だから、ブリジットさんの姿がなかったんですね」
今年は里帰りしていなかった分、家族の顔を見たかったはずだ。
家族が王都に来ていると聞いて、顔を見せにいったのだろう。
「なら、そちらにも挨拶にいかないといけませんね」
「そうするといい。殿下の祝いだけではなく、お前が卒業するのを祝うというのも含まれているようだからな。卒業式を楽しみにしておくといい」
「ありがたい事です。こちらも彼らの来訪を精一杯歓迎しましょう」
エルフやドワーフとは、きっとこれから長い付き合いになるはずだ。
ジェイソンの姿を見てもらえれば、彼らのリード王家に対する感情は悪化するだろう。
長い付き合いを誰としたいかはっきりする。
彼らの来訪自体が、アイザックには前祝いのように感じられていた。







