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08 容疑

(くそっ、あの仮面、本気で叩き割ってやろうか……)

 空飛ぶ夜を終えて、久志は体中の筋肉痛に苦しんでいた。飛行の反動が肉体に残っているらしい。椅子に座ることすら辛い状態で、ただの授業が苦行の時間となっていた。とてもではないが体育の授業ではまともに動けそうにない。疲労に押し潰されながら久志は教室の隅を見やった。その席には加藤が座っていて、どこか落胆したような表情を浮かべていた。もしかしたら昨日の落とし物のことを気にしているのかもしれない。

 彼女の隣に座っているクラスメイトの近藤は彼女を気遣い、小声で度々心配していた。彼は絵に描いたような好青年であり、その様子に久志はため息をついた。

(問題は、いつ渡すかだよな……)

 きっかけはあっても、肝心の接点がない。ましてや加藤はクラスでも目立つ存在なので非常に声をかけづらい。下手をすればクラス中に注目されてしまう。久志としては、周囲からは隠れて渡したいと思っていた。そうこう悩んでいるうちに六限の鐘はあっという間に鳴っていた。

(……なにをやってるんだか、ぼくは)

 そう自分自身の意気地なさに嫌気がさしていた時、まさに僥倖のチャンスは訪れた。

 帰りのホームルーム直前に偶然トイレに寄っていた久志は、ちょうど用を終えたところで加藤とばったり遭遇したのだった。これには久志自身も驚きを隠せず、

「あ、あの――」

 咄嗟の声は上擦っていた。だが彼女は気づいてくれた。

「杉森君? どうしたの?」

 彼女の凛々と輝く黒い双眸が、真っ直ぐと久志を見据えている。

 一瞬、久志の頭の中は真っ白になった。だが次の機会はない。そう思うと、久志は決死の覚悟でポケットに手を突っ込み、断腸の思いで、髪留めを取り出した。

「こ、これってさ。昨日失くしたっていう加藤さんの髪留めじゃないかな? さっき焼却炉の近くでたまたま見つけたんだよ」

「そうなの……?」

 そう手渡すと、加藤は困惑しているように首を傾げていた。お礼をいうわけでもなく、どうにも腑に落ちないといった顔を浮かべている。その予想だにしない反応に、久志は口を閉ざして嫌な汗をかきながら、ただうろたえているしかなかった。気まずい沈黙が漂うところに、トイレから出てきたばかりの女子が近づいてきた。

「あっれー、京子。見つかったの、髪留め」

 それは同じクラスの清水あずさだった。気の強い女子で、男子にはあまり好かれていない。

「うん。杉森君がさっき焼却炉の近くで見つけたって――」

 それを聞いて、清水は目を丸くして大声をあげた。

「うっそ! おかしくない? 昨日、わたしらで一緒に探した場所じゃん」

 その言葉を引き金にして、場の空気は一瞬のうちに凍り付いた。

「……へ?」

 久志は状況をうまく理解できなかった。

「ちょっと。どういうことだよ、杉森。まさかあんたが盗んでたんじゃねえの」

 清水の詰問する声は女特有の冷たさに満ちていた。その険悪な雰囲気に周囲の生徒達が気づくと、ちらほらと野次馬が集まり始めている。その衆目の視線をさらに惹きつけるように清水はまるで意図的に声を荒げた。

「おまえさあ。京子と話したいのは分かるけどさあ、そういう小細工って最低じゃない? 京子って男子の幼稚な嫌がらせで、いっつも迷惑してるんだからやめろよな。杉森って無駄に成績良いみたいなんだし、それくらいは少し考えれば分かるだろ?」

 ちらりと横を見ると、加藤は目を伏せて黙り込んでいた。

 まるで磔刑にさらされているように、久志は周囲から迫害の視線を浴びている。

「いや、ちが――」

 だが弁明の余地はなかった。

「行こう。京子」

 二人は教室にさっさと戻った。そして取り巻き達もそれぞれの教室に戻っていった。新鮮な面白話を入手して。そういう話はあっという間に広まってしまう。久志は愕然とした。

(なんだよ、それ……)

 そうして圧倒的な虚無感が彼を襲った。

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