07 焼却炉にて
かっち、こっち、かっち――
それから時計の針の音だけが部屋に響いた。
《……あの……》そう断りを入れてから声は続いた。《当方としましても無反応はさすがに対応に困るのですが……》
「ああ。えっとね。悪気はないんだけどさ。どうしたものかなと思って。とりあえず、この状況の説明してくれると助かるかな」
あくまでマイペースに久志は提案した。
《概ねの話は九世から聞いておるのだろう》
「九世、ってのは父さんのこと?」
《うむ、その通り。だから汝は十世ということだ》
そこまでの会話で、久志はほぼ愕然としていた。
仮面には本当に《怪人》の魂が籠もっている、父親の話は嘘ではなかったのだ。
「いや、ぼくが父さんから聞いたのは、父さんがあんたの力を借りて泥棒をしてたってことくらいだよ。さらに、ぼくはそれを作り話だと思っていた」
《なるほど。しかし、それは真実だ》
仮面が断言する。
未だに信じられない様子の久志は仮面を被ったまま、顔面を思い切り壁に叩きつけてみた。すると、たまらず仮面が絶叫する。
《痛い! 痛いじゃないか、十世! なにゆえにいきなり頭突きだ?!》
「……夢ならいっそ醒めてくれないかなって」
だが悲しいことに願いは叶わず、そうして得られたものはおでこの痛みだけだった。ひりひりと額を抑えながら、久志は尋ねた。
「そもそも仮面がどうして喋れるのさ」
《我の魂が宿っているからだ》
「魂ねえ……あんた、仮面になる前は人間だったりするの?」
《分からぬ。我は生まれた時より、仮面であった記憶しかないのでな》
つまり、元々は生き物でもないらしい。
久志はさらに訊いた。
「九世が父さんで十世がぼくってことは、初代とかもいたわけ?」
《うむ》
「皆、父さんみたいに泥棒をしてたの?」
すると仮面は憤怒の混じった声をあげた。
《我は人の強き悪を憎み、弱き情を好む義賊の存在だ。泥棒などという下賎な存在と同義に捉えることは至極遺憾であるな》
「いや、だって、父さん本人が泥棒だったって言ってたじゃない」
口を尖らせて久志。
《……汝にもじきに分かることだ》
仮面はそれだけ答えた。
久志はふと壁にかかった絵を気まずそうに眺めた。やはり、これは本物なのだろうか。そう思った矢先、
《時価五億はくだらないだろうな》
きわめて冷静に仮面は被害総額を告げて、久志は首を横に振った。これは親の管理不始末であり、自分の責任ではない。なにしろ当時は幼児だったのだ。そう言い聞かせてから、久志は改めて自分に起きている状況について整理を始めた。まず仮面は本物で、父親も泥棒だった。絵は本物で、おそらく母親も貴族令嬢なのだろう。ただ、現状において最も重大なことは、そういう過去の出来事の真偽性ではない。久志は優先すべき最大の疑問を問いかけた。
「あのさ。あんたはどうすれば外れてくれるわけ?」
こつこつと叩いて、自分の顔面に被さった仮面に尋ねる。このままでは学校に行けないし、永遠に社会生活から隔離されてしまう。
《我は最初に告げたであろう。汝の欲すモノを告げよ》
その解答に、久志は嫌な予感がした。
「つまり……ぼくがなにかを望まないと永久に外せないってこと?」
《盟約ではそういうことになる》
仮面は頷いた。
「そうだな……だったらさ、その欲しい物ってのは別になんでもいいの?」
《対象が物体であればなんでも構わぬ》
久志は即答した。
「じゃあ、髪留め」
《……》
仮面は急に押し黙った。
「あれ、もしかして髪留めって分からない?」
《いや、知ってはいるが……》それから仮面は苦渋に満ちた声で不平を漏らした。《十世よ。それはわざわざ、我に頼むようなことなのか?》
久志はため息をついた。
「なんだよ。偉そうにしてたくせに。髪留め一つも探せないの? まあ、持ち主にさえ在り処が分からないくらいだから、どうしようもないだろうけど――」
すると仮面は得意げに笑った。
《なにをいうか。見ておけ。幸いに陽は沈んだ》
「わっ! わっ――」
突然に現れた黒い外套が久志の全身を包みこんでいく。体の制御がきかなくなり、それから窓が勝手に押し開いた。外から夜風が舞い込み、部屋中の空気をかっさらうと、今度は外に吹き出した。久志の肉体もろともに。
「どわああああああああ!」
《今宵は満月か。夜闇の遊歩には快適な明るさよ》
そうして久志は夜の虚空へ遠慮なく吹っ飛ばされた。あたりには暗雲がたちこめていて、久志はどうやら街の上空に浮かんでいた。
(す、すごい――!)
久志はすっかりと感嘆していた。街を走る車は玩具よりも小さい。街全体に灯っている明かりはすべて星屑のような大きさになっている。耳をつんざく夜風の轟音を浴びながら、久志は圧倒的な快感と興奮を身体のうちに感じて空を駆け抜けていた。そして、目的地まではあっという間だった。
《……さて、この辺りのようだ》
下降していく先の場所を見て、久志は思わず叫んだ。
「ここって……うちの学校じゃないか!」
見慣れない角度からの景色だが、その古びた校舎は確かに八代中学だった。地面に近づくにつれて速度は緩まり、そうして校舎裏の焼却炉にふわっと舞い降りた。
《十世よ、髪留めとは、それであろう》
どうやら焼却炉の傍らに髪留めは落ちていた。べっ甲の高級そうな髪留めで、着物などに似合いそうなデザインをしている。今時の中学生の私物とも思えないが、加藤の言っていた蓮の花の彫刻は施されていた。
「なんだ。やっぱり落し物だったじゃないか。いい加減なこといって、中根の奴め」
そう毒づきながら、髪留めをポケットにしまうと、久志は仮面に確認した。
「よし。これで仮面は外せるってことだよね?」
《うむ》
「良かった。それじゃ、さっさと家に帰って勉強しなきゃな」
すると、仮面は不敵に笑った。
「……なにわらってんだよ、おまえ」
《ふふ、野暮なことをいうな、十世よ。我は実に二十年ぶりに目覚めて魔力が有り余っているのだ。ついでだから現世の夜空をもう少し闊歩させていただこう》
(は? いや、ちょっと待っ――)
だが制止する間もなく、再び肉体は夜空へ向かって跳ね上がっていた。
《うわーはっはっはっ――――――!》
怪人の哄笑と共に、久志は夜の暗闇へと消えていった。




