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03 怪人ノート

 そこでは夏の終わりの雑草が茫々に生い茂っていて、薮蚊が目に見えて飛んでいた。

 二人は腕で虫を追い払いながら、日陰になった壁際に座り込んだ。

「これを見て欲しいんだ」

 中根は上着に手を回すと、いきなり黒いノートを取り出した。どうやら背中に差し込んでいたらしい。

 そのノートの題字には達筆の油性英字で、こう記されていた。

『Phantom note』

 久志は目を丸くした。

「……なにコレ?」

 中根は誇らしげに答える。

「直訳の通り《怪人》ノートだが?」

 それを聞いて久志は三秒ほど固まった。そして改めて尋ねた。

「つまり……。君が馬鹿であることを示す重大なノートかな?」

「いや全然違う。『つまり……』の間で、お前は何を考えたんだよ」

 怪訝そうな目つきを浮かべる久志を横目に、中根は説明を続けた。

「これには《怪人》の過去の犯罪履歴を記録しているんだ。実は俺は《怪人》のファンでな。彼の事件は全てチェックしているわけだ」

 突然のカミングアウトに久志は戸惑った。

「ちょっと待て、中根。《怪人》って、もしかして実在する人物の話なのか?」

「もちろん。存在したのは二十年くらい前の話だけどな。欧州中を騒がせた大泥棒の《怪人》っていえば俺らの生まれる前に一時期ブームにもなってたらしいぜ」

「どうしてお前がそんなこと知っているんだよ」

「たまたまネットで知ってね。当時のファンサイトなんかも未だに残ってる」

「ふーん」

「まあ、ともかくだ。とりあえずそいつを読んでみてくれよ。我ながらよく纏まった内容になっているから」

 久志は受け取ったノートをパラパラとめくった。中にはスクラップされた記事の切り取りが満遍なく貼られていた。文章は全て英字だが、中根による丁寧な和訳文が用意してあり、久志にも内容は理解できた。

『官憲完全敗北! 《怪人》の活劇』

『またしても《怪人》 被害総額は五億』

『純白の仮面に漆黒の外套、《怪人》再び』

 見出しを一通り見てから久志は感想を述べた。

「なんか泥棒にしちゃ随分派手な存在だな。芸能人みたいだ」

「実質そのようなものだよ。なにせ彼はただの泥棒じゃなく美学を持っていたんだから」

「美学?」

 尋ねると、中根は嬉々として続けた。

「盗む標的に必ず犯行予告を送りつけるという古典的であり紳士的なルールだよ。彼は常に正々堂々と犯行に及んでいったのさ」

「いや、正々堂々とすれば犯罪が許されるわけじゃないだろ」

 その久志の突っ込みは無視された。

「さらにだ。その記事を見れば分かるんだけど、彼の盗品は全ていわくつきの豪商や貴族の富裕層からだけだった。要するに小悪党専門の泥棒だったんだ。だから民衆は彼をとても支持したってわけ」

「なるほどね。いかにもヒーローってことか」

「もう一つ。彼を爆発的に有名にしたエピソードがある」

 仰々しく言ってから中根は得意げに指を立てた。

「彼が最後に盗んだモノ――ってなんだと思う?」

「見当もつかないけど、まさかルーブル美術館の絵画とかかな」

 自室に飾られた絵を思い浮かべながら久志が答えると、中根は首を横に振った。

「正解は女性さ。シルバニア地方に住む貴族令嬢を彼は攫ったんだ」

「それって、もはや誘拐じゃないか」

「いやいや、そうじゃないんだなあ。まずは、その時に彼の残した犯行予告を見て欲しい」

 中根はノートをめくって、その予告文を久志に見せた。

『幾夜に渡る星の空、闇の檻に囚われし月の乙女。我は女神に恋をした。愛に飢えし怪人は天上の愛を盗んで、この世の仕事を終えてみせる』

「……キザったらしい文だね。これのどこが好まれる話になるのさ」

「簡単に説明するとだな。その貴族令嬢は家庭内で唯一腹違いの子で、親兄弟の苛めに遭っていた。そんな不遇な環境にいる女性を怪人は颯爽と救い出したんだ。そうして泥棒をやめて、ひっそりと暮らしているらしい。こういうのって世のお姫様な女性が喜びそうな話だろ?」

「確かに。シンデレラみたいな話だものね」

 うなずくと、中根は話を戻した。

「つまりだ、お前の親父さんも《怪人》のファンだったんだろ。それで仮面のプレゼントをただ渡すだけじゃつまらないから、自分が昔は泥棒をしていたって話を付け加えたわけだ。いわゆる演出の一つだと俺は分析する」

「なるほど」

 久志は中根の話を聞いて、昨晩のことに納得がついた。そして首をひねった。

「あいかわらずぼくの父さんはしょうもないことばかり思いつくな……」

「なにいってんだよ、芸の細かい、とても良い親父さんじゃないか。その貰った《怪人》の仮面なんて俺が欲しいくらいだぞ」

 久志は愛想笑いしてから、ふと疑問に思っていたことを思い出した。

「そういやさ、わざわざ人目を避けた意味はなんだったんだよ」

 中根はほおに両手を寄せて答えた。

「こんなノートを持ち歩いているなんて、赤の他人に知られたら恥ずかしいじゃないか!」

「……恥じらう感情を持ち合わせてるみたいで安心したよ」

 ノートを返すと、中根はしみじみと告げた。

「でもさ、まさか《怪人》みたいにコアな話をお前から聞くとは思わなかったぞ」

「そりゃぼくの方さ。君が学年一の成績優秀者だからって、よもや《怪人》なんてことまで知っているとはね」

「ペンは剣より強しってな」

 わけのわからない格言で中根が会話を纏める。

 ちょうど、その時だった。


つづく

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