12 犯人は
放課後になり、久志は裏庭に訪れた。案の定、そこは無人で、相変わらず雑草しかない。空は赤く染まり、カラスの乾いた鳴き声が空に響いている。
久志は周囲を見回してだれもいないことを再確認すると、仮面を取り出した。
《十世よ。こんな窮屈な鞄の中に一日中押し込めるとは、いくら我とて気分が滅入るぞ》
(しょうがないだろ。あんたみたいな変な仮面を携帯してたら、今度は変人扱いまでされる。そしたら二度と立ち直れる気がしない)
久志はなるべく小声で喋っていた。決して見つかりたくないからだ。
《我のように高尚な芸術品を変な仮面と称すのは、はなはだ遺憾だな》
それは無視して、久志はどっと地面に座り込んだ。
(ったく、とんだ災難だよ。来週には大事なテストなのに……筋肉痛は未だに続くわ、クラスでいじめられるわ。おまけに仮面を忍ばせての犯人探し――まるで勉強に集中できやしない)
《勉強など人生における些末な選択肢の一つに過ぎぬ。あまり根詰めない方が良い》
(……原因の一端を大きく担うあんたに慰められたくはないよ)
《ふむ、確かに》
仮面が冷静な調子でうなずく。それから久志は目を細めて、疑わしそうにして訊いた。
(それで、秘策とやらの成果はあったの?)
《うむ。ばっちしだ。一日中、クラスの会話を盗聴しておいたぞ》
なんてことはない。仮面の秘策は、ただそれだけのことだった。とはいえ、なにもしないよりはマシだろうと、久志は一縷の望みを賭けることに決意したのだった。
「成果は?」
改めて問い詰めると、仮面は困ったようにうめいた。
《だがなぁ……》
(なんだよ、なんかあったなら、早く教えろよ)
催促する久志に、仮面は先に確認をした。
《この内容を伝えれば、汝が傷つくかもしれぬのだが……》
(いいから話してよ。もう、これ以上傷つくことなんてないし)
久志の了承を得ると、仮面は伝えた。
《あれは体育の時間のことだ――》
(……ふむふむ。やっぱり、重要なのはその時だろうね)
久志は身を乗り出すようにして聞き入った。八代中学では体育を二クラス合同で行い、その各教室を男女別々の更衣室にしている。つまり、久志のクラスは女子更衣室になっていて、そこに仮面を置いておけば、女子の噂話から情報が手に入ると予想したのだ。
《……なあ、本当に聞くのか?》
(ここまできて焦らすなよ。早く早く)
《クラス中の女性たちが杉森久志の悪口を話していたのだが》
(……マジ?)
《事実だ。なんでも『ああいうのに限って変態だったりするのよね』とか『好きな女の子の物を盗むとか小学生並の思考回路じゃん』とか『気持ち悪いし、幼稚』とか、他にも淫語を含んだ悪口もあったが――まあ汝は青少年だし、この先は聞かない方が良いかもしれん》
(……そうしてくれると、ぼくの精神的にも助かるよ)
《うむ。さすがに『ああいうタイプは成人式の日にも童貞でいそうよね』という台詞は酷すぎるからな。到底教えられん》
久志は絶句した。
(……それ、教えちゃってるよね。なに? 喧嘩うってるわけ? おまえ)
《いや、今までの台詞は我が言ったわけではない。だから我を怒るのはお門違いだぞ、十世》
その一言は、もっとも久志の心を深く抉った。
(もういいよ……)
久志は疲れたように校舎の壁にもたれかかって、地面に落ちている小石を草むらの暗闇に向けて投擲し始めた。
(っていうか、それって成果じゃないだろ。犯人についての情報はなかったわけ?)
《ああ。特定に至る内容は得られなかった》
その答えが久志を最も落胆させた。そして半笑いを浮かべた。
(……まあ。冷静に考えれば盗聴くらいで犯人が見つかるはずもないよね。はは)
それから久志は自分の世界に閉じこもったように、ぶつぶつとぼやいた。
(期待したぼくが馬鹿だったよ。結局、次の満月までぼくがいじめに耐えればいいだけの話なんだよな――)
それに、散々な汚名も一ヵ月後に返上できると確約されているなら楽なものだ、久志がそう思い直そうとした時、仮面はきょとんとして告げた。
《……なにをいっている、十世。来月まで待つ必要などないぞ》
仮面の言葉に久志はいらっとした。
(なにいってんだよ。あんたが言い出したことだろ。魔力はまだ復活しないって)
皮肉をこめて言うと、仮面は意外なことを口にした。
《いや、犯人に関しては確かに分からなかった。だが十世の疑いはじきに晴れるぞ》
(……なんで?)
今度は久志がきょとんとした。
《先ほどの続きだが、こんな台詞を口にしている女性もいたのだ。『加藤京子は調子にのっててウザい。今回の件でも全く凝りてないし痛い目に遭わせよう』とな》
(それ――どういうことだよ――!)
久志は血相を変えた。
仮面は相変わらずの冷静な口調で続けた。
《我の推測では、どうやら加藤京子を嫌う輩がいるらしいな。髪留めを盗んだのも、恐らくはそいつらなのだろう――》
(って、犯人分かってるじゃないか! なんですぐに教えないんだよ!)
久志が声を荒げると、仮面は咎めた。
《いいや、十世よ。そもそもの目的を誤ってはいけない。一つ訊くが、そやつらが犯人だとしても、その証明はできるか? 今の汝の言葉を信じる者がクラスにいるか? 盗聴器で聴いていたなどと答えれば、逆に汝の方がさらに立場を悪くするであろう》
(それはそうだけど――)
口ごもる久志。仮面はさらに見解を述べた。
《我の推測では、この輩の言葉通りになるならば、おそらく加藤京子は襲われるだろう。そうなると加藤京子は自ずと真相を知ることになる。つまり、最終的に彼女自身が汝の無罪を説明してくれるようになるわけだ。それはすなわち、我らの目的達成に至る。違うか?》
(そうかも、しれない……)
《今の段階で我らが変に騒ぎたてれば、その輩は行動を止める可能性がある。だから我は犯人の追及をせず、第三者的に傍観していることが最善と考える。我らはなんのリスクも負わずに目的を達成できるのだ。実に最善な選択だと考える》
理路整然と仮面が言い並べるのを聞いて、久志は黙り込んだ。
《さて無事も分かったことだし、早く帰宅して勉強に専念するが良い。テストを控えているのだろう》
その仮面の声は不思議と遠のいて聞こえた。呆けているわけじゃない。それどころか、久志の頭の中は鮮明に澄み渡っている。ただ一つのことしか考えられなくなっていた。
久志は尋ねた。
「それで、おまえは加藤さんがどうなるかは知ってるのか?」
《……汝、我の話をちゃんと聞いていたか?》
呆れる仮面に、久志は叫んだ。
「分かってるよ。だけど、そうじゃないんだ!」
がばっと立ち上がる久志。その凛然とした表情をみて、仮面は一つの確信を得た。
《もしや……汝は加藤京子のことを好いているのか?》
ぎくり、と久志の背中が硬直した。図星を示す典型的な反応だ。それに仮面は笑った。
《ふふ、なるほど。通りで執着するし、怒るわけだ。これは愉快よ――》
久志は開き直ったように舌打ちした。
「くそっ、悪いかよ。確かにぼくは勉強ばかりの暗い奴だ。でも、だからって笑うことないじゃないか」
《いいや、十世よ。これは喜んでいるのだよ。それならば我の力にも選択肢は増えるのだからな――》
夕陽は西に沈みかけて、間もなく夜闇が訪れようとしていた。




