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01 父親の戯言

『杉森家の怪人』


「父さんな、実は泥棒なんだよ」

 父親の突拍子もない告白に、久志(ひさし)の頭は処理に困った。

「……父さんはサラリーマンじゃない。バリバリの」

 勉強中の手を休めて久志が振り向くと、帰宅したばかりなのだろう、背広姿の父親が扉から顔を出している。随分とくたびれた顔だ。久志も詳しくは知らないが、週末の土日でさえ駆り出されるほど激務の仕事らしい。

 午後十時。まだ帰りが早い方だった。

 父親は体を滑りこませて扉を閉めると、腕を組んでから言い直した。

「正確には泥棒だった、だな。若い頃の話だから」

「あのさ、父さん。来週から中間テストなんだよ。そういう冗談話なら今度付き合うよ」

 さらに久志は受験を控えている。今度の結果次第で成績は変動して、その内申は進学する高校にだって影響する。きわめて大事な時なのだ。

 だが父親は息子の進路事情などはお構いなしに話を続けた。

「たとえば、この絵なんかはな。かの高名なルーブル美術館から盗んできた物なんだぞ」

 父親の指につられ、久志は頭上の白壁に飾ってある豪装な額縁に入った油絵を見た。

 キャンバスには野菜や果物が精微な色彩で描かれている。確かに見事な絵だが――そこには久志が幼い頃に悪戯書きした油性ペンの跡が今もなお刻印されている。

(どう考えても、偽者だろ……)

 仮に美術館に展示されるほどの絵なら、まず子供の手が届く所に置きはしないはずだ。

「それからな、マフィアの巣窟に潜入して悪党を懲らしめたこともある。父さん、悪者が偉ぶる社会は許せなくてな。たまに正義の味方をしてた」

「へえ、そう」

 ただの絵画泥棒が果たしてマフィア相手に、どのような制裁を与えたかはとても気になったが、久志はあまり関わりたくなかったので適当に流しておいた。

「久志君。さらにさらにだ。うちの母さんさ、すごい美人だろう」

 父親の話はどうも止まりそうもないようだ。

 まあ確かに父親の言うとおり、久志の母親は近所でもとびきり評判の西洋美人だ。数年前に『ミス八代(やつしろ)』という地方催事のミスコンが行われた折、母親は賞品の温泉旅行欲しさに試しに出場したらあっさりと優勝してしまったのだ。さらに驚くべきことに、町内会の人々は母親の美貌にすっかり魅了されたらしく『彼女以上のミス八代は永久に現れません』なんて宣言してしまい、翌年以降のミスコンを廃止してしまった。そんな逸話を持つほど、久志の母親は美しかった。

「うん。いっちゃ悪いけど、パンツ一丁で家中をうろうろする父さんなんかとよく結婚してくれたよね」

「ああ、そうだろう。実は母さんも盗んだんだよ」

「かあさんを!?」

 全く予期していなかった父親の返しに、久志は思わず素っ頓狂に驚いた。それから引きつったように笑った。

「……はは。作り話もそこまで練りこんであると笑えるね」

 父親はすっと机に近づいた。普段はあまり嗅ぐことのない、酒と煙草の入り混じったようなオヤジ特有の加齢臭が鼻につく。

「父さんが泥棒になったのも、久志くらいの歳だったんだよ。勉強も大事だが、人生にはそういう選択肢もあることを父さんは教えておきたくてな」

「はあ、そうなんだ……」

 久志は理解に苦しんだ。この親は唯一の息子をまさか犯罪者にでも育てたいとでもいうのだろうか。だが生憎なこと、彼は成績の良い優等生だった。しかも勉強も好きだから期待には応えかねる。

 すると父親は、背中に隠していた物を机の上に置いた。

 ――仮面。

 蝋人形館にでもありそうな、端正な顔つきをした白く面妖な仮面。部屋に飾れば、まず悪趣味に思われるような物だ。目鼻と口に穴が空き、顔に被るための耳かけ紐が丁寧に付属している。どうやら華燭品というよりは装飾品としての使用目的を有しているようだ。

「なにさ、この趣味悪い仮面は」

「久志、言葉に気をつけなさい。これには偉大なる怪人(ファントム)の魂が籠もっているんだ」

「怪人?」

「夜の支配者の便宜的な呼び名だ。彼の力を借りるためには『我誓う、常闇の盟約』と被る際に唱えれば良い。父さんが泥棒をやってのけたのも、この仮面の力のおかげなのさ」

「ええと……」

 久志は話題についていけず、ただただ呆れていた。

「日曜日に誕生日だろ、久志は」

 父親がそう付け加えると、久志はようやく状況を飲み込んだ。

「ああ、そっか。誕生日プレゼントってことね」

 父親は今週末も仕事だったことを、久志は思い出した。つまり、この仮面は誕生日プレゼントの前渡しということなのだろう。それでも泥棒云々の話をした理由はよく分からなかったが、久志にとってはその本意はどうでもよくて、

「ありがとう、父さん」

 と深くは考えずに礼をしておいた。

 だが父親は尚もわけのわからない世界に浸っている。

「いいか、久志。仮面の存在は絶対にばらしてはいけない。杉森家が一家で逮捕されかねないからな」

 ルーブル美術館の絵画を盗んだ泥棒なら、確かに大罪人になるだろう。文化を尊重する欧州人はまず黙っていないし、重大な国際問題にも発展しかねない。

 ――仮に本当ならばの話である。

「はいはい、わかったよ」

 久志は適当に相槌をついて、父親の話にのってあげた。

 それからようやくに父親が立ち去ったことを確認すると、貰った仮面は棚の上に置いて、さっさと勉強を再開していた。

 部屋では秒針の音だけが鳴っている。

続く。

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