3-24 アトラスの踵
喪失歴0011年。
人類が「イサナ」と呼ばれる侵略存在に敗北して、十一年目の夏。残された最後の生存圏である、旧オーストラリアの要塞都市「シドニー・フォートレス」は、陥落目前だった。
第三整備班唯一の生き残り、宇都木蓮司は、崩壊寸前の状態で擱座した決戦兵器『アトラス』とそのパイロット、五位鷺椎奈と出会う。
崩壊寸前の格納庫に襲う敵の群れと、それでも抗うことを止めない椎奈。その覚悟を受けて、新任整備員の蓮司も、彼女を支えるために動き出す。
これは世界を支えるアトラスを支える、踵たちの話。
1、砕けた巨神
むりやり、押し開くように瞼を開けた。
視界が赤い。それは暗がりを消すような光ではなく、闇に沈みそうになる空間に、緊迫を示唆する、緊急事態を示す赤色灯だ。
なにがあった、体を起こして周囲を見回す。
きな臭い煙、BGMのように流れる、うなるような警告音。合金とコンクリートで固められた通路の途中だ。
そして、自分がやってきた方向は、完全に瓦礫でつぶされていた。
「運がいいんだか、悪いんだか、ってね」
こみ上げる恐怖を、空元気と一緒に吐き捨てる。
膝に手を突き、立ち上がる。
それから、通路に投げ出されていた一冊の分厚いファイルを拾い上げた。その端っこが少しばかり焦げて、思わず中味を繰って確かめる。
「良かった、異常は無しだ」
中性紙のページに、びっしりと書き連ねられた手書きの文字と、わざわざ印画紙に焼き付けられた写真。
そのページの最後に挟まれていたタブレット端末を、軽く突く。
光は点ったが、画面に表示されたのは『ネットワーク切断』の無機質な警告だけだ。
『だから言ったろ、ハイテクってのは最後の最後で裏切るって』
蘇る、茶化すような言葉に苦く笑い、歩き出す。
警告灯の赤と薄闇の中、きな臭い焼失の香りと遠い振動。それに混じって、奇妙にひずんだ声が、通路の奥から聞こえて来た。
『――か――こち――A――現――』
生きてる。誰かがまだ、生きている。
ファイルを握り締め、走り出す。樹脂や油脂の焼ける煙が濃くなり、腕で鼻を押さえながら走る。
その先に、広がった景色に、息を飲んだ。
『司令部、応答願います! こちらA-7798! 現在、機体は完全に機能を停止! 至急、整備と移動の手配を!』
そこは本来、広大なスペースを持つ格納施設、だった場所だ。
室内照明の大半が断線によって光を失い、まばらに残った弱い光の中で、惨状が浮かび上がっている。
整備に使う金属の櫓は一つ残らず倒れて砕け、天井に設置されていた巨大な巻き上げ機も、斜めにかしいで地面に突き刺さっている。
地面のコンクリートもところどころ砕け、がれきや金属の破片で足の踏み場もない。
その崩壊の中心に、巨人がうなだれていた。
『お、応答、応答してください。誰か、お願い!』
本来ならそれは、真紅色の鎧のような姿をしているはずだった。
全高三十メートル超、重量五十トン超、生き残った人々を守り、侵略者を迎え撃つために創り上げられた最終兵器。
搭乗者が必死に叫ぶ声を耳に入れながら、それでも言葉が出なかった。
(なんだよ、これ)
まず、破壊された両腕が目に入った。
左腕は、肩の部分から先がない。防衛機構を詰め込んだ『盾』は、激しい戦闘の末に喪失されている。
右腕は肘から先がむしり取られている。おそらく『槍』を限界駆動させた結果、オーバーロードの後、爆発四散したのだ。
『早くしないと、難民キャンプが! 完全に動かなくてもいい! せめて、燃料と武器の補給だけでも!』
かろうじて胴体部分と足には大きな破損はないが、装甲の大半がむしり取られ、移動補助用のスラスターは、背面と脚部の全てが、ひしゃげてしまっている。
そして、本来なら騎士甲冑の兜を思わせる顔の部分が、ささくれて折れた木のように、むごい破壊痕を残して崩壊していた。
おそらく、ここまで這うように帰還したのだろう。
ハッチを抜け、内部施設をめちゃくちゃにしながら、まともに収容姿勢を取ることもできずに、擱座してしまっている。
有り体に行って、目の前のそれは、巨大なスクラップだった。
「だ……大丈夫ですか!」
それでも、気持ちを奮い起こして近づいていく。自分は託されてここまで来たんだ。
たとえ何があろうと、役目を果たすために。
「俺の声、聞こえてます!? 外部用カメラ、生きてますか!?」
『あ、はい! 整備班の方ですか!? すみません、カメラ全部飛んじゃって、外の状況も分からなくて! それと、ハッチが開かないんです!』
「緊急用の手動解放装置もですか!?」
『は、はい! 全然反応してくれなくて!』
電装系どころか、フレーム自体も歪んでいるらしい。機体に近づき、背面の方へ回り込むと、人間でいうところの肩甲骨の間の辺りによじ登る。
そこには太い管のようなものが叩きつけられた痕跡が出来ていて、コクピットに繋がるハッチが、歪んで膠着してしまっていた。
「爆破解放します! できるだけ扉から離れて!」
『は、はい!』
幸い、外部操作による爆破解放機能はまだ生きていた。
パスコードを打ち込み、作動。
『うわっ!?』
破裂音と共にハッチが吹き飛んで、床に転がって新たな瓦礫と化す。
そして、おっかなびっくりといった風で、パイロットが顔を出した。
「え、えっと、ありがとう、ございます。助かりました」
頬を上気させ、汗で乱れた髪の毛を軽く搔き上げると、彼女は笑顔で敬礼した。
「ご協力感謝します。城塞防衛隊第二小隊所属、ゴイサギ・シーナ少尉です」
「城塞防衛隊整備隊第三班、ウツギ・レンジです」
挨拶しながら、素早く相手の様子を確認する。
外傷は無し、汗だくになっている以外は憔悴した様子もない。ただ、挨拶をしてすぐ、不安そうに自分の機体に振り返っている。
背丈は自分よりも二十センチは小さい。鍛えてはいるだろうが、それでも体格は細身で華奢と言ってもよかった。
無骨な金属の機体と、女の子の組み合わせ。こんな状況でなかったら、見とれていたかもしれない。
「その、ウツギさん」
「ウツギでいいです。なにか」
「……私の『アトラス』、修理にどのぐらい掛かりますか」
修理、だって? このポンコツを?
両腕どころか頭がもぎ取られて、外部センサーもほぼ死んでいる。その上、脱出用のハッチがひしゃげるほどの衝撃を受けて、原形を保っているのがやっとの、これを?
「東の第六避難区に向けて、小型の『イサナ』群が侵攻中なんです。私の所属していた小隊が迎撃に当たっていたんですが……その途中で、機体が壊れてしまって」
「その、ゴイサギ少尉、申し訳ないんですが」
「修理がダメなら、せめて援護射撃だけでも! センサーと右腕さえ動けば、なんとか」
期待を込めてこっちを見る彼女に向けて、青年は無慈悲な現実を口にした。
「第三整備班は、壊滅しました。俺は、最後の生き残りです」
「え……?」
「班長に言われたんです。この整備マニュアルを持って……脱出しろと」
やってきた通路を振り返る。来た道は潰れている。それどころか、潰れた通路の向こう側も、おそらくは。
「シドニー・フォートレス東防衛線司令部。中型のイサナ集団により、壊滅しました。それを伝えるために、俺もここへ。運が良ければ、まだ無事なアトラスがあるだろうって」
「……そんな」
それまで必死に表情を保っていた彼女が、唇をかみしめてうなだれる。
だが、そんなセンチメンタリズムを、許すような世界ではなかった。
破壊音。
閉じられていた外部ハッチに、巨大な質量が暴力的に、荒々しく叩きつけられる。
『緊急警報。メインゲートに対する破壊行為を検知。至急迎撃態勢を取ってください』
ハッチに仕掛けられた自動防衛機構。その無機質な警告に弾かれたように、パイロットの少女は再び機体へもぐりこんだ。
「ゴイサギ少尉!?」
「武器をください! 私が、何とかしますから!」
砕けた巨神の四肢が駆動音を響かせ、ゆっくりと立ち上がる。
素早く背から飛び降りた整備員に向けて、少女は決意を叫んだ。
「私が守ります! だからお願い――私に、戦う力を!」
無理だ、できない、今から脱出を。
一切の言葉が、喉まで出かかって押しとどめられる。
ハッチの破壊音は高まり、逃げるべき場所はもうない。生身でイサナとやり合うなんて不可能だ。
つまり、このポンコツと彼女に託すしかない。
『私たち整備班に、一番大事な資質は何か、分かるか?』
脳裏にひらめいた言葉。握りしめていたマニュアルに、視線を落とす。
配属された日、班長に尋ねられた。
新人に対する洗礼、今後の仕事に対する訓示、そういう意味合いを秘めた質問だ。
短く刈り上げた髪の毛に、顔の左にやけどの跡を残した、背の高い女性。その鋭い視線に、たぶん、ひどく間抜けな回答をした、気がする。
彼女はにこりともせず、噛んで含めるようにして、告げた。
『よく覚えておけ。私たちに必要なのは――』
深呼吸し、ネガティブを押し込める。
「機体の診断に、五分下さい。こいつがまともに動くか、それを見てからです」
「了解。お任せします」
整備用のサービスパネルは、機体の踵にある。近づき、蓋を開くと、タブレットと機体の制御系をリンクさせ、メニューを開く。
『――正しく問いを投げることだ』
それは道を拓くための、魔法の言葉。
緊張を呑み降し、宇都木蓮司は勇気を奮い起こした。





