3-14 その一族、豪胆につき
夜勤が終わった朝帰り、シド(宍戸)は駅前であることに気付く。早朝であるにも関わらず居酒屋が開いていたのだ。不思議に思った彼は店主である大将に話を聞くと、近所の修道院から野菜を貰うために開けていると知る。そんな折、修道女が野菜を持って現れたが、時を同じくして怪しい男も飛び込んできた。そして何も言わずシスターに赤子を押し付けて走り去ってしまう。これが、とある一族の陰謀に巻き込まれる合図だとは、このとき誰も知る由もなかった……。
その昔、ある豪族がいた。
豪族が集落を置く地には自然が満ち溢れていた。北には雄々しき山々が並び、麓から一本の河が流れ落ちていた。河はやがて東と西に別れ、そこから更に別れ、次第に細くなりながらも、南の海へと緩やかに流れていった。
奈良や京に都が興るよりずっと以前から、豪族は自然に囲まれながら慎ましく繁栄し、生きながらえていた。
そしてなんやかんやあってここ、西河市が誕生した。
年の瀬も近づいてきたある日、太陽も目覚めぬ未明の頃。あたりの空気がキンと張り詰める中、ひとりの男がJR西河駅東口から出てきた。短く切った金髪や顔の若々しさとは裏腹に、身につけている服装はまるで40を越した中年のように思えた。くたびれた黒のジャケットは破れやほつれが目立ち、まるで人生そのものに疲れたような、まさに気苦労が絶えない中年らしさを如実に表している。そのアンバランスさがどこかおかしく見えた。
駅を背に少し歩くと、男は何かに気付いたようにフラリと左の路地に入っていった。すると飲み屋の赤ちょうちんが我先にと目に飛び込んできた。が、早朝ゆえに店は殆ど開いておらず、閑散としている。
男は路地に入って一番手前の居酒屋を前に、入るでもなく腕を組み、何かを考えている。やがて何か吹っ切れたような面持ちで暖簾をくぐった。
「いらっしゃい……おぉシドか、久々だな」
中はこぢんまりとしており、席はカウンターでの立ち飲みだけ。しかも10人と入れない。壁にはメニューが金額とともに隙間なく壁を埋め尽くしている。カウンターの奥では大将らしき初老の男がひとりラジオに耳を傾けていた。シドと呼ばれた男はジャケットを脱ぎ、店に入ってすぐの椅子にそれを放り投げた。
「いやァ、久しぶりに大将の顔が見たくなっちまってよ」
アホ抜かせ。包丁を持ちながらそう吐き捨てると、大将はシドに小皿を出した。白菜の漬物と沢庵。シドは箸も使わず、まずは沢庵を口に入れる。ラジオからは演歌が流れている。
「忙しくやってるみたいだな」
「おかげさまで。大将はヒマそうだな」
「バカ言うな。今何時だと思ってやがる、6時手前だぞ」
「夜勤明けだけど寝付けそうになくってよォ、そったら大将の店が明るかったからよ、んじゃとりあえず飲むかーッてなったワケよ」
大将はシドの話を聞き流しながら徳利を入れた鍋に火をかける。
シドが白菜の漬物を噛んでいると、いつの間にかラジオの演歌はニュースに代わっていた。要約すると、西河市を中心に住宅地や繁華街で強盗めいた犯罪が多発している、死傷事件も挙がっているため注意されたし、とのことであった。
「強盗ねぇ、ここァ安心だな」
「どういう意味だそれは……ほれ」
シドの前に熱燗とお猪口を置くと、大将は表口から外に目をやった。6時の時報は少し前に鳴り終わっている。しかし、いまだ日が昇る様子はなく、外は薄暗いままである。
「そいや明かりがついてたから入ったけどよ、なんだってこんな時間に開けてんだ? 仕込みったってそんな時間かかるモンじゃねぇだろうよ」
ラーメン屋ならいざしらず、早朝6時は一介の居酒屋が仕込みをするような時間ではない。漁港近くであれば早朝でも酒や飯の需要はあるだろうが、生憎この店の近くに海はない。
「この近くにな、修道院があるんだ。知ってるか」
「ん? あったっけか?」
「あるんだよ。んでな、そこでは敷地内で菜園をやってるってんで、最近野菜を貰うようになったんだ。その白菜や沢庵だってその修道院のシスターさんから貰ったやつなんだぜ」
居酒屋を出て左に少し歩くと、古ぼけた修道院が見えてくる。噂によると明治維新と時を同じくして建てられたらしく、誰もが知るあの人やこの人もはるばる祈りを捧げに来た、などと時々噂が流れてきたりもする。
「へェ、大したモンだな……で、その修道院から野菜が届くのが今くらいの時間で、大将はそれを待ってるッてこったな」
「そういうこった」
普段はこんな時間から客なんて入りっこない。が、修道院から野菜が届くのをただ待つだけではつまらない。ラジオでも聞き流しながら店を開けて野菜を待ち、届いたら二度寝するのがいつのまにか習慣になったらしい。
「こんな朝早くから来てもらわなくたって普通に店やってる時に来てもらやいいじゃねェかよ。なんだってこんな早い時間に」
「店やってる時間だと真夜中だぞ。んな遅い時間に女の子ひとり歩かせるわけにゃいかねぇだろ」
「裏口に置いてってもらうとか」
「直接手渡ししたいんだと」
「なんで?」
「さぁな」
そうこう言っているうちに外がほのかに明るさを取り戻してきた。気がつくと表口のガラスに人影が映り込んでいた。両手には人の顔よりふた周りは大きな黒丸があった。影の主は両手の影を地面に置くと、その両手で引き戸を開けた。
「ごめんください。お野菜をお持ちしました」
「おぉフランちゃん、おはよう」
「おはようございます、大将さん」
シスターだった。
それは紛れもなくシスターだった。
その風貌は100人中120人がシスターもしくは修道女と答えられるくらいには典型的な白黒のシスターだった。
フランと呼ばれたシスターは背が低く、せいぜい150cmあれば良い方といった程度。彼女は自身が持ってきた野菜の袋をカウンター下の隙間から大将に手渡した。白菜、大根、蕪、葱、レタス、人参、ほうれん草……。彼女の上背からはにわかに想像できない量の野菜を魔法のようにポンポンと繰り出す。手渡された大将は働きアリのように野菜を店の奥へと仕舞いに行っては戻りを繰り返していた。
「いるもんだなァ、シスター」
「?……あ! お客様ですね、失礼いたしました。シスター・フランチェスカと申します。すぐそこの修道院の修道女です。よろしくお願いします」
「え、あァどうも」
シスター・フランはお辞儀をすると、面食らったシドも思わずお辞儀を返してしまった。突然声をかけられしどろもどろになっているシドを前に、フランは何も臆することなくニコニコしている。
しばらくその状況が続くと、シドはたまらず店の奥に引っ込み、大将を手で招いた。
「なんだよ」
「大将、俺あの子ちょっと苦手かもしんねェ」
「お前にも苦手なもんがあるんだな」
「うっせ」
「悪い子じゃねぇさ。ただ、ちょっと天然かもな」
「いや、だからそこがよォ」
フランを尻目に男二人が店の隅でコソコソ何かを話し合っている。自然と仲間はずれにされた彼女は何が起こっているか理解できず、そして二人が話している内容が気になったので何も考えず近づいた。
シドが面白く慌てふためいていると、とつぜん外から騒々しく音を立てながらひとりの男が店に入ってきた。男は酷く息切れしており、タオルに巻かれた何かを両腕に抱えている。大将、シド、フランの3人は突然の出来事に呆気にとられていた。
「……これは……ハァ……運命か……」
男は息を切らしながら店内を見回し、そしてフランをじっと見つめた。彼女も負けじと男をじっと見つめる。何が起きているか、もちろん彼女は分かっていない。
「シスターさん……頼む……この子を……」
「え? な、なんですか?……え?」
フランが状況を把握するまでの数秒の間に、男は両腕に抱えていた物を彼女に手渡し、店を出て、左へと駆けていった。遠くの方で小競り合いのような不穏な音が聞こえてくる。何を言っているかまでは聞き取れないが、怒号のような声も時折聞こえてくる。
「あの、すみません……」
大将とシドが依然として店の隅で唖然としていると、フランから声をかけられた。そういえば彼女は男から何かを渡されていた。タオルに包まれていて店の隅からでは詳細が見定められない。しかし、手渡されたフランには流石にその正体が分かっていた。だからこそ彼女もまた困惑している。
「どうしましょう、これ……いえ、この子」
「この子?」
タオルに顔を覗き込むと、たしかにいる。生後半年ほどしか経っていないであろう赤子が。自身に何が起きているのかまるで分かっていない、分かろうはずもない純粋な目をこちらに向けている。となると。
「ありゃ父親か」
大将が言うやいなや、シドは店を飛び出し、男の後を追った。いつの間にか小競り合いの音はすっかり止んでおり、遠くでシドの走る音以外は外から何も聞こえてこない。ラジオは最近流行の歌謡曲を呑気に流している。
ラジオがトーク番組に移った頃、シドが一人で戻ってきた。父親らしき男の姿は見えない。不審に思った大将がシドに仔細を尋ねる。が、当の本人は首を横に振る。
「とりあえず一帯探したけど……どこにも居なかったや。誰かに追われてたんだろな」
「そんな……じゃあこの子は」
「捨て子、ってことになるわな」
店に沈黙が流れる。沈黙の元凶は依然として何も理解していないらしく、あたりを見回したり、ラジオから流れてくる音楽を不思議そうに聞くのみだった。
「さて、どうすっかねェ」
「どうするも何も、まずは警察だろうが」
「そうですね。修道院は孤児院も併設しています。いざと言う時は私から神父様に話を通します」
依然として困惑の色は抜けきらないものの、3人はこれからの道筋を立てて行動せんとしていた。日はすっかり昇り、外はいつも通りの賑わいを取り戻しつつある。
この後すこしもしないうちに、突然舞い込んできた赤子を中心にとある巨大な抗争に巻き込まれることを、この時点で彼らはまだ知る由もなかった。





