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現在舞台上では、剣術部による演舞が披露されていた。
本来ならエルザ様も参加する予定だったのだけれど、足の怪我を理由に、裏方として舞台準備をされている。
本来は競技用の剣を使うのだけれど、この時はあえて生徒用の小剣を使っているのだという。
剣衣と呼ばれる服の上から防具をつけ、輝く照明の下で行われる演舞は美しく、舞台袖から見ていたユイニィは思わず息を漏らした。サリスさんが興奮しながら話していたのがちょっとわかるような気がする。機会があれば、またお話を聞きたいと思った。
「……ユイニィさん。演劇部の皆様、準備できたわよ」
「わかった。タニアさんここお願いね。私はクロ様に伝えてくる」
やってきたタニアさんと頷きあって、ユイニィは舞台の下にある通路へと向かった。
舞台の向こう側へ繋がる通路は、天井も低いし狭いしで腰が痛くなる。そこを皆様に往復させるのも気が引けたので、ユイニィは連絡係をかって出たのだ。
というより、これくらいしか出来そうなことが無かったのだけれど。思って悲しくなった。
剣授の儀は中止のまま、当日を迎えた今日。
部活動紹介は滞りなく進み、予定より一刻程遅れてはいるものの、それも想定の範囲内だ。
「……クロ様。演劇部、準備出来たそうです」
「おお、ご苦労なのですよ、ユイちゃん」
通路を抜けると、普段より少し引き締まった表情のクロ様が待っていた。
「よいですか。剣術部の後は一度幕が下ります。そうしたら演劇部と一斉に準備に取り掛かるのですが、剣術部はこっち側に下がるので、私たちはすぐには出られないのですよ」
クロ様が人差し指をくるくる回しながら説明する。
「そこで、ユイちゃんはアニスと向こうで待機して、準備に回るのですよ。こっち側は私たちに押し付けていいので、向こうから順番に道具を配置するのです」
「わかりました……あ、アニス様。よろしいですか」
クロ様に頷いて、その後ろのアニス様に声をかけると、アニス様が小さく頷いた。
「んじゃ、とっとと行くが良いですよ。焦らなくていいですからね?」
クロ様の言葉に背中を押されるようにして、ユイニィが先に通路に入る。後ろからアニス様の足音がしたので、ユイニィは邪魔にならないように少しだけ足を速めた。
頭上からは剣術部のたくさんの足音が聞こえる。
いくつもの音が揃って響き、一定間隔で繰り返されるそれは、何かの旋律のようで耳を奪われた。
「……ユイニィさん」
「は、はいっ……ったぁ!」
通路の中ほどで、突然アニス様に声をかけられ、ユイニィは反射で背筋を伸ばす。当然天井で頭をしたたか打ちつけ、目の前が白く弾けた。
ああ、どうか剣術部の皆様が驚いていませんように。
「ご、ごめんなさい……大丈夫?」
「は、はい……どうされました、アニス様」
ユイニィはじわりと浮かぶ涙を拭いながら、狭い通路でどうにか振り向く。
光源があるわけではないので、薄暗い。その中でアニス様の銀色の瞳と髪だけが輝いていた。
「今日も随分しっかりしているけれど、どうしてユイニィさんは、そんなに頑張れたの?」
「……え?」
首を傾げるアニス様に、ユイニィも首を傾げてしまう。
「なんだか、凄く頼りになる。エルザ様のことだって、私たちはやっぱり少なからず動揺している。一年のユイニィさんなら、それが凄く辛かったことぐらい、私でもわかる」
「……アニス様」
ああ、心配して下さっているのだろう。だって、ここのお姉様方は皆様とてもお優しいから。
その優しさは、きっと代々に受け継がれているものだから。
「無理は、しなくてもいいのよ」
普段はとても無表情なアニス様が、とても心配そうに笑ってくれている。
ああ。それがどれだけユイニィの心の支えとなるだろう。
「ありがとうございます。そのお言葉だけで、私、頑張れますから」
ユイニィの胸の奥が熱くなる。この熱が少しでも伝わるように、ユイニィはそれを全部笑顔にして返した。
「……本当、不思議な子」
アニス様が、苦笑混じりにユイニィの髪を撫でた。
「こりゃっ! そんなとこでちちくりあってないで、とっとと行くですよ!!」
クロ様から小声でお叱りを受けた二人は、苦笑しながら慌てて通路を駆け抜けた。
『……以上で、今期部活動紹介を終了したします。もし興味を持たれた方がいらっしゃれば、是非各部室に足をお運び下さい。きっと、皆さんの成長の糧となるはずです』
部活動紹介は、拡声器を通したレシル様のお言葉で幕を閉じた。
各組毎に生徒達が行動から出て行き、続いて脇に控えていた各部活の部員達が出て行く。
ユイニィとタニアさん以外の手伝いの一年生も出て行き、残っているのは生徒会役員と、ユイニィとタニアさんと……
「お疲れ様。予定通りに終わって、良かったよ」
教師達の中で唯一残っている、生徒会顧問のデミア・ロイス先生。
「はい。ありがとうございます……ああ、そうでした、ロイス先生」
舞台の正面。程近い所に集まっている中から、レシル様が一歩前に出る。
「ん、なんだ?」
ロイス先生が、尋ねる。
ユイニィ達は、予定通りに、それぞれの持ち場に移動する。
「折角なので……最終練習にお付き合いください」
「最終……?」
その時だった。壁際に取り付けられた装置が作動し、講堂内の全ての窓に暗幕が落ちる。
「な……っ?」
暗幕の隙間からこぼれる光だけの明かりは、なんとか人の姿を浮かび上がらせる程度で、それぞれが何をしているかまでは分からない。
そして、ゆっくりと、降りていた舞台の幕が上がり始める。
ユイニィは、舞台袖にいた。
舞台の上には、純白の筒状の光線に照らされ、金の粒子を舞い散らせるその人の姿がある。
ユイニィはじっと見つめる。そのお姿を、決して見逃したりはしない。
「……マテリア・コールウェル」
ロイス先生の呟きが聞こえる。
舞台の上、目映い光の中に凛と微笑むマテリア様の姿は、息を呑むほど美しい。
そして、その背後の台座の上に、二振り一対の、白の剣が立てられていた。
純白に、ほんの少し何かの色を落とした、それでも純白としか表現できないような双剣は、鞘から抜かれたその刃も同様に白く、一点の曇りも存在しない。
柄には優雅に羽を広げた蝶があしらわれ、一振りなら横から見た様子を。二振りの柄を合わせれば、両の羽を羽ばたかせた、美しい大きな蝶の姿となる。
それは、この世にただ一つ。マテリア様のためだけに打たれた、唯一無二の双剣。
「そんな……なんで、双剣が……っ!?」
ロイス先生が驚きの声を漏らす。
あの日盗まれたはずの双剣は、しかし確かにそこに存在している。
「ロイス先生。もう、全部わかっています」
進み出たのはレシル様だった。
「残念でしたね。貴方が持ち出した剣は、事前に私がすり替えておいた別の剣ですよ」
「な……なにをっ」
不適に微笑むレシル様に、ロイス先生がたじろぐ。
「準備室が狙われているようでしたからね。ならば目的は双剣。用心しておいて正解でした」
「何を言っているんだ。お、俺は剣があったことに驚いただけで……」
「お黙りなさいっ!!」
ロイス先生の言葉をさえぎり、レシル様の焼き尽くすような声が響き渡る。
「エルザをたぶらかし、自身の目的のために利用した……教師として、人として、恥を知りなさいっ!!」
「……デミア兄さん」
「エルザ……」
控えていたエルザ様が、そっと歩み出る。
「もうやめよう。マテリアに何かしたって……コールウェル家への復讐にはならないよ。マテリアには、何の罪もないんだよ」
エルザ様は瞳に涙を浮かべ、ロイス先生を見つめる。
「調べさせて頂きました。お父様の工場が、コールウェル家の魔道具部門の部品を扱っていたこと。不備があり、コールウェル家が取引を中止したこと。工場を維持できなくなったお父様が……命を絶たれたこと」
それが、ロイス先生の、コールウェル家に対する恨みであり、この事件の原因だった。
「マテリアに何かあれば、それはそのままコールウェル家の評判に繋がる。剣授の儀はこの街でも有名な行事です。それが脅迫状などで中止となったとなれば、コールウェル家に何かあったのだろうと人々に思わせることができるでしょう」
そこに、父親の自殺の話を流せば、コールウェル家の悪評にも繋がったのかもしれない。
「貴方がコールウェル家を恨むのも仕方が無いかもしれない。しかし、だからといって、エルザの心を利用し、何も知らないマテリアを狙い、この学園の伝統ある儀式を汚していい理由にはならない!」
「……知った風な口を、利くんじゃないっ!!」
瞬間、ロイス先生が走り出す。
「くっ……アニス、クロ!!」
「マテリア、逃げるのです!!」
レシル様の横を駆け抜けたロイス先生は、小刀を取り出し、舞台へと駆ける。
アニス様とクロ様が両脇から止めようと走るが、間に合わない。
「マテリア様ぁっ!!」
マテリア様に鈍く光る凶器が迫り、ユイニィは悲鳴を上げた。
一瞬。それは瞬くような一瞬の出来事だった。
マテリア様に向けて、舞台に跳び上がったロイス先生の刃が迫る。
ユイニィも飛び出していたが、舞台中央までは遠く、間に合わない。
「マテリア様ぁっ!!」
ユイニィの悲鳴が響いた次の瞬間。
「ふっ!」
「……っ!?」
ふわりとマテリア様が身を翻し、金属の音が響くとロイス先生の小刀が床に落ちた。
ロイス先生の身体は宙を舞い、背中から舞台に叩きつけられる。
そして、マテリア様は双剣の一振りを、ロイス先生の眼前に突きつけた。
「ロイス先生……もう、やめましょう」
光の中、純白の刃を片手に沈痛な面持ちで、マテリア様が呟く。
ユイニィは途中で足を止め、その姿を見守ることしかできない。
「貴方のお父様が亡くなられたことは、コールウェルの……お祖父様にも原因があったのかもしれません」
マテリア様のお声は冷たく、これまでに聞いたことのない響きを持っている。
「そして、その孫娘が目の前に現れれば、その恨む心を向けてしまうことも、理解することはできます」
マテリア様の言葉を聴きながら、誰も動くことはできなかった。
それほどまでに、マテリア様の声は張り詰めていて、誰かが言葉を発しただけで、砕けてしまいそうだったから。
「私もコールウェルの娘です。自分の家がどのような家なのか、全てではないにせよ、理解はしております」
「俺の父親は……職人気質で、家業を継ぎたくなかった俺は何度も衝突した」
遮ったのはロイス先生だった。
宙に視線を向け、一言ずつ、静かに吐き出していく。マテリア様も、黙ってそれを聞いていた。
「小さい頃は父親が好きでな。よく仕事を見学していたりしたんだ。でも魔術に興味を持った俺は、どうしても魔術師の資格が取りたくて、家を飛び出した」
ユイニィは、なんとなく自分の妹の事を思い出した。妹は家を飛び出したわけではないけれど、夢に向かう気持ちが、人にそうさせることがあるのは知っている。
「何年かたって、俺は魔術講師の資格を取って、一応報告に戻ったんだよ……父親は、喜んで出迎えてくれた」
よくやった。そう言ってくれたのだという。
「それから、俺はフレアの教師の職に就き、充実した日々を送っていた……そんな時、母親から連絡があった」
お父さんが、工場で、首を吊って。
ロイス先生は震えていた。怒りか、悲しみか、その両方か。
「遺書も見つかった。工員の退職金だけで精一杯だったと。俺と母にすまないと。もう、どうすることもできなかったと」
それからロイス先生は調べたらしい。
コールウェルとの取引がなくなったこと。
他の会社と契約しようとしたが、元コールウェルの下請けというのは、あまり歓迎されないらしく、仕事がなくなったこと。
コールウェルに何度も頼みに行ったが、会長であるマテリア様のお祖父様には会うことすらできなかったこと。
「でも、父親の作った製品の不備が原因だったなら、俺もこれほどコールウェル家を憎むこともなかったんだ……」
ロイス先生は顔を起こし、マテリア様を睨みつける。
「コールウェルの魔道具製造部にいる知り合いから聞いた……部品の欠損は、コールウェルの工場で起きていて、親父の落ち度じゃなかったんだよっ!」
マテリア様の表情に動揺が走り、その身体が揺らぐ。
「後々の調査で原因は分かっていたんだ。だが、もう親父の工場との契約を切っていたコールウェルは、そのことを隠し、なかったことにしたんだっ!!」
自身の会社の落ち度を認めることを許さなかったコールウェル会長は、結局この責任をロイス先生の父親に全て被せ、そればかりかこの街の全ての会社に、ロイス先生の父親の工場との契約をしないようにと、手回しをしていたのだという。
そうして工場は潰れ、事実は葬られた。
ユイニィはマテリア様をずっと見ていた。
張り詰めていた表情はロイス先生の話によって崩れ、顔色も蒼白になっていた。
「マテリア・コールウェル。これがお前の祖父のしたことだよ……お前に恨みはない。だが、俺はどうしても、コールウェル家を許すことはできなかったんだ……っ!」
「……それはっ」
マテリア様がよろめき、数歩後退る。その手から純白の剣がこぼれ落ち、乾いた音を立てて舞台上に転がった。
誰も動けない。
それほどまでに、少女達にとって、ロイス先生のコールウェル家に対する憎しみは、受け止められないほどの重さを持っていた。
だけど。
「でも……それでも、私はエルザ様の気持ちを利用したことは許せないっ!」
ユイニィはマテリア様に駆け寄り、その今にも倒れそうな身体を支えて叫ぶ。
「コールウェル家が憎いとしても、それがマテリア様を傷つけていい理由になんか、ならない!」
「……子供に、何がわかるんだっ!?」
「わからないです! でも、エルザ様がロイス先生を慕っていたことは分かるし、傷ついていたことは分かります!」
怖かった。大人の男の人に感情をぶつけられることが、こんなに怖いことなんだと初めて知った。
だけれど。
「マテリア様が、脅迫状の時から……ううん。もっと前から、ずっと苦しんだり、傷ついたりしていたんだって、全部じゃないけれど、分かります!」
「……ユイニィ」
支えているマテリア様の身体が震えているなら、それを支えて差し上げたいと、支えになりたいと思うから。
「なんで、傷つく人を増やすんですか! みんな、ロイス先生と同じで、夢とか、目標とか、色々なことに向かって頑張ってるのに、その気持ちは知っているはずなのに、みんなが悪くないことくらい知ってるはずなのに……なんで大人たちの勝手な理由で、それが傷つけられなきゃいけないんですかっ!!」
悔しい。
ユイニィには、こうやって叫ぶことしかできない。
マテリア様の苦悩を取り去ることも、エルザ様の苦痛を受け止めることも、ロイス先生の憎しみや悲しみを消すことも、何も、何もできやしない。
「私たちは、子供だから……お父さんや、お母さんや、先生や、大人の人たちに頼らないと、まだ、何も知らない、何もできない子供なんですから……大人に裏切られたら……悲しい……辛いですよ……」
「……アールクラフト」
歪む視界の中で、ロイス先生が身体の力を抜くのが分かった。
ひょっとしたら、こんな子供の言葉でも、少しくらい届いたのかもしれない。
「……っ」
その時だった。
「マテリアっ!!」
「マテリア様!!」
マテリア様が舞台を飛び降り、講堂の出口へ向かって走っていく。
「……ユイちゃん」
「クロ様」
いつの間にか、倒れているロイス先生の傍らでクロ様が膝を付いている。
「ここは私たちに任せて、マテリアをお願いするのですよ」
クロ様は、寂しそうな笑顔でそう言った。
ユイニィはクロ様に返事をして、足元のそれらを拾い上げ、走り出した。
「……貴方は馬鹿なのですよ……本当、馬鹿」
ロイス先生に向かって、クロ様が落とした言葉が、ユイニィの胸を締め上げた。




