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9.Paratroopers

1.はじめに

 戦闘職種である普特機。その中でも歩兵は骨幹戦力であり、歩兵の精鋭は空挺であった。南アフリカでも例外ではない。

 アンゴラへの本格的介入となるOperation Savannah以前から南西アフリカではSWAPOが、南アフリカ本国ではANCのゲリラが暴れていた。歩兵の精鋭として落下傘大隊は各地に駆り出され、1960年代には南西アフリカでゲリラの掃討に動いていた。光洲事件で韓国軍空挺部隊が動員されたが、COIN作戦と考えればソウェトに動員された第44落下傘旅団と同様の任務と理解できる。



2.Paratrooper

 Paratrooperは戦争のほぼ全期間に渡って第一線で戦い続けた。

 1966年、第1落下傘大隊から警察へ士官と下士官が送り込まれた。Jan Breytenbach大尉、Kass van der Waals中尉、W Hugo軍曹、W Burgess軍曹他で、SWAPOの反乱対策である。

 1971年7月、Citizen Forceの第2落下傘大隊が編成された。

 1975年10月、南アフリカはUNITA支援としてアンゴラへ派兵した。Operation Savannahである。Task Force Zuleはアンゴラ南部、Combat Group Foxtrotはアンゴラ中部、Combat group Xrayはアンゴラ東部を席巻した。落下傘大隊も支援任務を割り当てられていた。

 1978年初頭、SADFは、アンゴラ南部、南西アフリカ国境からわずか数kmの地点に、SWAPOの兵力と兵器が大規模に集結していることに気づいた。

 SWAPOが雨期に合わせて新たな攻勢を計画していることが明らかだった。

 空中および地上の偵察出撃が相次いだ。キャンベラ写真偵察機が、アンゴラ南部上空を高度2万フィートで飛行し写真撮影し、第32大隊偵察ティームが基地の証拠を求めて捜索した。

 こうしてSWAPOが秘匿名「ベトナム」と名付けたChetequeraの駐屯地が発見された。

 ベトナムには推定200〜300名の兵士が駐屯し、さらに数百人が主要基地の周囲に点在する小規模な外郭基地に駐屯していた。

 ベトナムは、主に攻撃が予想される南側に、塹壕とバンカーの迷路によって堅固に守られていた。

 北東部、つまりベトナムの左後方はかなり開けており、防御もなく通常攻撃に対して明らかに脆弱だった。

 SWAPOとソ連の軍事顧問は、巧妙な欺瞞工作を繰り出した。

 Cassingaの町は、植民地時代にはポルトガルの駐屯地であり、小規模な鉄鉱山地帯の中心地であったがアンゴラ内戦の間に使われなくなっていた。

 主要道路が整備されており、Cunene川の支流であるCulonga川のすぐそばに位置し、南西アフリカとアンゴラの国境から北へ250キロに位置していた。

 Cassingaが敵の軍事拠点である事が明らかになったのは、キャンベラの定期写真偵察飛行でフィルムが持ち帰られた時だった。

 統合航空偵察解釈センター(JARIC)の通訳の一人が、画像を拡大してみると、それは練兵場に白塗りの石が敷き詰められた南西アフリカの輪郭線で、輪郭線の中央には国旗がはためき、何百人もの兵士がその周りで行進していた。

 南アフリカ真実和解委員会第2巻第2章「1960年から1990年までの南アフリカ国外の状況」には、次のように記されている。

「1978年3月8日、陸軍司令官Constand Viljoen中将は国防軍司令官宛ての声明の中で、CassingaのキャンプがSWAPOの武装組織であるナミビア人民解放軍(PLAN)の作戦本部であり、ルバンゴにあるSWAPOの国防本部にのみ従属する場所であると特定した。また、このキャンプは重傷を負ったゲリラの治療を受けるための主要な医療センターであると同時に、ルバンゴとルアンダの訓練センター、そして東クネネと西クネネの作戦基地に派遣されるゲリラ新兵の集結地点でもあると指摘した。キャンプでは、歩兵戦と地雷敷設の訓練課程も実施されていた」

 確信させたのは、町の三方を囲むように広がるジグザグの塹壕網だった。

 町の西側は蛇行する川に接しており、雨期には水深が深く幅も広いが、乾期には障壁としての役割は薄れていた。基地の北側と東側はしっかりと守られていたが、南側の塹壕網は未完成で、まだ建設中だったと推測される。

 これらの前提証拠によって、陸軍司令官Constand Viljoen将軍は、Cassinga基地が南西アフリカから250kmも離れており、リスクが高いため、南アフリカで最も経験豊富な戦闘員をカシンガ攻撃の指揮官に必要と判断した。使用される部隊は空挺部隊となる。

 空挺作戦で何か問題が起きれば政治的な代償は莫大な物となる。将軍はJan Breytenbach大佐を召喚した。

 当時、この襲撃はアフリカーンス語で「結婚式」を意味する「Bruilof」というコードネームで呼ばれていた。Bruilof作戦が開始され、Breytenbach大佐は、SWAPOSの拠点、モスクワがあるCassingaを占領し破壊するために何が必要か検討を始めた。

 当初、この任務を遂行するには450名の空挺部隊が必要と見積もっていた。

 要塞化された陣地では、防御兵力の2.5倍の攻撃兵力を用いると規定されているが、Breytenbach大佐は、空挺部隊が数的優位に立たなくても勝利できると確信していた。

 綿密な計画と軍事演習の過程で、輸送にはC-130輸送機またはC-160輸送機が7機必要だが、帰還には38機のヘリコプターが必要で、利用可能なヘリコプターはわずか18機だった。つまり、450名を安全な場所に輸送できるのはわずか210名で、残りの240名の空挺部隊で4,000名もの敵軍と対峙することになる。

 部隊を二波に分けて撤退させるという案が浮上した。しかしこの問題は、Viljoen将軍が使用済みの戦車を持ち帰ることを主張したことでさらに悪化した。

 二波で救出を成功させるには、Cassingaから30キロメートル以内にヘリコプター管理区域(HAA)を設置する必要があり、燃料の備蓄と警備隊の配置が必要となるため、計画はさらに複雑になる。

 ヘリコプターの搭載能力が低下したため、降下可能な空挺兵の数は343名にまで減少した。

 この段階の主目的は、南西アフリカ国境から北へ約30kmに位置するChetequeraの敵陣地への空挺攻撃であり、Cassingaは副次的な拠点であった。

 主要な拠点は2つあり、1つはChetequera、もう1つはその東20kmに位置していた。これらの拠点の両側に、2列の空挺部隊が並行して降下することになっていた。

 1つは阻止部隊、もう1つは突撃部隊である。

 突撃部隊は前進し、防御部隊を阻止部隊に押し付けることで敵を排除することになっていた。

 第2落下傘大隊と第3落下傘大隊で構成されていた。彼らの多くは、Fireforceの任務を何度もこなして来ており、ザンビアやアンゴラから侵入し、地元住民に対してテロ行為を行ったSWAPOを追跡した経験がある。

 しかしスパイのDieter Gerhardtにより、空挺攻撃迫っている事が伝えたられ、機密漏洩のため作戦が延期された。

 4月20日、第44落下傘旅団が編成された。旅団司令部はPretoriaの北、Murrayhillに置かれた。以後、旅団は4個落下傘大隊に拡充される。旅団は落下傘大隊の他に第44対空連隊、第44対戦車中隊、第44降下誘導(Pathfinder)中隊、第44工兵中隊、通信、整備等で構成された。Ferret装甲車や、12.7㎜機関銃を車載したJakkalsジープが配備され機動力と火力を高めていた。

 数週間後、落下傘部隊の一部が再び召集された。今回は、大規模合同軍事演習Quicksilver作戦のためだと告げられた。

 Quicksilver作戦は防諜上の物で、召集が単なる訓練演習だと信じ込ませる為だった。

 新しい計画はReindeerトナカイ作戦と名付けられた。

 5月4日、Operation Reindeer発動。0519、プレトリアのWaterklof AFBからキャンベラ爆撃機4機離陸。0543、同基地から68㎜SNEBロケット搭載のバッカニア4機が離陸。0600、南西アフリカのGrootfontein AFBから降下部隊を載せたC-130輸送機4機、C-160輸送機5機が離陸。0750、Ondangwa AFBからミラージュⅢCZ戦闘機2機が離陸。0802、空爆開始。降下部隊は600~800フィートで降下開始。

 この作戦は南アフリカがアンゴラで行った代表的な軍事作戦の一つとして上げられる物で、アンゴラ領内約250㎞のCassingaにあるコードネーム「モスクワ」と呼ばれたSWAPO拠点に対する攻撃。第44落下傘旅団の第2落下傘大隊、第3落下傘大隊(Citizen Force:SADFの80%がCFだった)を基幹とした320名が投入された。PLANに対する殺害戦果608名、捕虜200名。この他に戦車1両、BTR152装甲兵員輸送車9両を撃破している。本件は難民キャンプに対する虐殺と広められているが、AK-47、RPG-7、PPSh、SKSと言った東側火器が多数確保されている。

 第2目標である国境の北25㎞に位置するSWAPOの拠点「ベトナム基地」(Vietnam Base)はFrank Bestbier中佐の部隊が襲撃。PLANに対して殺害戦果248名、捕虜200名を得た。別の文献によると30㎞となっているが誤差の範囲と考えられる。

 1978年8月25日から27日にかけて実施されたOperation Revenge。第1落下傘大隊が参加している。

 1979年3月6~11日にかけて行われたOperation Safronに第1落下傘大隊からB、E中隊が参加している。

 1979年7月6日から7月12日にかけて実施されたOperation Stoom Pot。ザンビア南西部のPLAN拠点を第1落下傘大隊D中隊が攻撃。

 1979年7月19日から23日にかけて実施されたOperation Moonshine。アンゴラ領内のPLAN拠点を第1落下傘大隊E中隊が攻撃。

 1979年7月31日、第1落下傘大隊(E、F中隊)と第32大隊による作戦。

 1979年8月、第1落下傘大隊の108名がローデシア軍の迷彩服を着てMatabeland南のKezi地区に前進。Operation Uricの為の準備と考えられる。

 1979年9月5日、モザンビーク領内のゲリラ拠点に対して、ローデシア軍、SADFは共同で大規模な攻勢をかけた。このOperation Uricで第1落下傘大隊は予備隊として待機していた。

 1979年11月、南西アフリカでのCOIN作戦、Operation Carrotに第1落下傘大隊(A、B、D、F中隊)と第2落下傘大隊(A中隊)が参加している。

 1981年、第44降下誘導中隊がOperation Proteaの為に第40戦闘団に参加。中隊は自動車化されており、Land RoverやトヨタのLand Cruiser、Babymogと呼ばれる1トン半トラックにソ連製14.5㎜機関銃、ブロウニング12.7㎜機関銃を搭載して運用した。

 1982年3月13日、Operation Superでアンゴラ南西部Kaokolandの北、CambenoValleyに位置するPLAN拠点を第1落下傘大隊D中隊と第32大隊が攻撃した。

 1982年7月から8月にかけて実施されたOperation Meebosでアンゴラ南部Mupaの西、PLAN拠点を1Recce、第1落下傘大隊、第2落下傘大隊が攻撃した。PLANに与えた殺害損害は345名。SADFの損害は戦死29名。

 1983年9月6日から1984年1月13日に実施されたOperation AskariでLubangoのPLAN拠点を第61機械化大隊、第82機械化旅団、第4歩兵大隊(4SAI)、1Recce(Jakes Jacobs少佐指揮)が攻撃した。落下傘大隊も作戦を支援している。

 1985年、ソウェトのCOIN作戦Operation Xenonへ第44落下傘旅団が動員された。

 1987年10月31日に始まったOperation Firewood(10月31日~11月4日)で第101大隊の支援として第1落下傘大隊(C、D中隊)、2Recce、5Recce、第32大隊が動員された。PLANに与えた損害は殺害戦果300名、SADFの損害は5名。

 戦争末期、独立任務部隊として第1落下傘大隊と第4落下傘大隊から抽出されて第14落下傘大隊戦闘団(14 Para Battalion Group)が編成された。



3.その後

 旅団は連隊に改編・縮小されたがSANDFの精鋭として各地に派兵された。中央アフリカ内戦での戦死者は戦後最大の損害と言える。


4.その他

「Pathfinder Company 44 Parachute Brigade」の著者Graham Cillmoreは1RLI Support Commando で2年間、通信に携わった。1980年、SADFの降下誘導中隊に所属した。

 Mike Landskovは元米軍特殊部隊、Mark Sullivanはイギリス人だがフランス外人部隊とローデシア軍装甲車連隊経てSADFに入った。Art Nulty軍曹は元RLI、Fred Verduin中尉は米軍歩兵からローデシア軍山岳部隊のグレイス・スカウツを経てSADFに入った。降下誘導中隊先任下士官のDennis Croukampは元RLIでローデシアのブロンズクロス勲章を授与されている。

 Graham Peak中尉は豚のFUPを飼っていた。Peak中尉はローデシアSAS、ローデシア陸軍支援部隊(Service Corps)経て、ローデシアからSADF第44落下傘旅団に配属された。他にも元米海兵隊や元米軍レンジャー、カナダ人も落下傘部隊には所属していた。

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