加州連邦
石田三成が南方攻めに旅立った頃、もう一つの艦隊が神戸から出港した。
「わしゃあの『扶桑』とかいう最新の鉄の城の様な船に乗りたかったんじゃがのう!」
初老の武将が艦上でごねる。
「父上!蒸気動力のみの船はまだ信頼性が確実でないから、長駆を行く我々には危険だ、と三成殿も言っていたではありませんか。」
と応えたのは神戸信孝である。父上、と呼ばれたのは織田信長であった。
「わかっとるわい。しかし『扶桑』の方がカッコいいし強そうではないか!」
「速さならこの機帆船、『赤城』の方がずっと速いですよ!船型もスマートですし。」
「わしゃあの28cm砲塔が火を吹くほうが…こちらは20cm砲が申し訳程度で…」
「ちーちーうーえー」
「なんだお前、信忠に似てきたな。」
「顔だけなら大和で気軽にお茶飲んで過ごしている信雄兄のほうが信忠兄には似ていると思うのですが。」
「信雄は本当に気楽でよいな。前内大臣の地位を使って京でも楽しく過ごしているようだし。」
とやり取りをする内に機帆装甲艦『赤城』『加賀』と兵員・物資輸送にあたる強襲揚陸艦(実は単に兵装よりも物資をたくさん詰める機帆船だ。)『蒼龍』『飛龍』『瑞鶴』『翔鶴』からなる6隻の艦隊は布哇にたどり着いたのである。乗員は積載されていた大量の柑橘類と蒸気駆動アンモニア冷蔵庫のお陰で壊血病にかからずに済んだ。
布哇では慎重に文化的な習慣などを聞き取りながら、後のジェームス・クックのように文化的な誤解を受けて襲撃されて殺されないようにしつつ、諸部族の間を調停し、ついには一つの国家としてまとめ上げることに成功した。
「というわけで信孝。お前は布哇王としてこの地を治めよ。」
信長公が諸酋長たちに長として祭り上げられた信孝殿に言った。
「父上と別れるは名残り惜しゅうございますが、この信孝、布哇を立派に治めてみせましょう。」
と別れの挨拶をし、信孝とその部下を残して信長はさらにアメリカ大陸へ向かったのであった。信孝の血統は布哇王として末永く続き、亜細亜同君連邦の一角として重きをなしたという。
布哇を出て航海を続け、太平洋の荒波を乗り切ってついに織田信長率いる艦隊はカリフォルニアに到達した。織田信長は現在のロサンゼルスの辺りにたどり着き、そこを『天使城』と名付け、城を築いた。信長は周囲の先住民と平和的に交渉・共存を目指し、相手の文化を尊重しつつ持っている技術を先住民に伝えた。そしてカリフォルニアの豊かな大地で米の生産を始め、後に『加州600万石』と言われるようになったのである。桑港、不死鳥などの町を建設し、加州の支配を拡大した織田信長は周囲の日本人、先住民の双方から推戴され、ついに『加州連邦』の大統領となったのであった。その際、オダノブナガでは言いにくい、と先住民に言われ、
「俺も弾正だからな。そういえば松永弾正は三成の家臣になってからジョーダンと名乗っていたな。俺も日本の織田の立場を切ってきたから『オダギリ・ジョー』と名乗ろう。」
こうして加州連邦初代大統領オダギリ・ジョーが誕生したのであった。
織田信長についてきた森乱丸・坊丸・力丸は西部に向かい、先住民諸族と交流し、加州連邦に加盟させ、また鉄砲などの技術を伝えた。
南西部諸州に入ると、イスパニア人が先住民から搾取したり、虐待しているところに出くわすようになった。
「我ら森家三兄弟『サン・ウッズ!』」
とマスクをして体にピッタリの原色の衣装を着た三人組がイスパニア人から守ってくれる、と先住民の間で広まったのはその後のことである。
サンウッズの活躍で守られた先住民たちは加州連邦に加盟するようになった。そしてサンウッズは先住民の伝統を守りつつ、自衛のための武器や技術、文字などの教育、そしてアルコールに耐性がない先住民が飲酒をさせられて騙されない様に教えていった。
こうして先住民の文化を尊重しつつも、農業・工業生産は先住民の聖地を侵さない等の配慮をしつつ発展を遂げていったのである。
ただし先住民の文化であっても喫煙は『できれば吸わない。吸うにしても程々に。できれば儀式的なときにのみ』程度に抑えるように推奨されたし、後に南米に領地が広がった際にはコカなどの麻薬は医療用の材料以外は禁止された。
そしてサンウッズが西部の平和を守る伝説となった後しばらくして、オダギリ・ジョーの後を継ぐ二代目大統領にモリ・ランが就いたのであった。モリ・ランは先住民諸族から『大酋長』としても推戴され、後に加州連邦の銀貨には大きな羽飾りを付け、仮面を付けたモリ・ランの像が刻まれるようになったのであった。
加州連邦からは日本へトウモロコシやジャガイモが送られ、その後日本では蝦夷地の開発が急激に進むこととなった。蝦夷地の開拓は大規模なものとなり、必ずしもアイヌ民族の希望をすべて叶えたものとはならなかったが、大農業・漁業地帯として発達した後もその文化は尊重された。その際、米大陸先住民との交流・交渉の記録が非常に役立ったという。
その後時代が降って、東方から広がってきたアメリカ合衆国と接する頃には、加州連邦はアラスカからロッキー山脈の大半を支配し、さらに山脈を越えてグレートプレーンズの一部やテキサスまで広がっていた。南もすでに中米の大半を支配下に収めており、イスパニア人にキリスト教の信教の自由は認められたものの原住民への改宗の強制や搾取は認められず、平等な商業や農業経営に携わることを納得できたものだけが残っている状況となっていた。(逆らったけど帰らなかったものは…お察しください。)
とはいえ、加州連邦はその技術力の高さから非常に豊かであり、残ったイスパニア人達にとっては加州連邦の制度を受け入れることはむしろメリットが大きかった。
オダギリ・ジョー以来の軍事力は更に拡大し、カリフォルニアやテキサスの石油を使って加州連邦はすでに機械化文明の段階に入っていたが、パナマ運河の建設はまだ成功していなかった。そのため太平洋艦隊がパナマ地峡を越えることはできなかったため、加州連邦の戦艦群を見たこともないアメリカ合衆国は加州連邦と対峙した際、加州を侮った。しかし騎兵隊の突撃は鉄条網と機関銃に阻まれ、マスケットでは突撃銃の弾幕に対応できず、さらにエンジンを完成させていた加州連邦の繰り出す装甲車や戦車の前に蹂躙され、アメリカ合衆国は実質的には敗戦と言わざるを得ない状況でボストンで和平を結ぶことになったのである。そして『すべての民族の自由と平等』を謳う『地球連邦』となって二つの国家は発展的に解消し、南北アメリカ大陸の全てがその傘下となったのであった。
広大な国家故に地球連邦の首都機能はいくつかの都市に設けられたが、その一つは『軍事的最終拠点』として南米アマゾンの森深く、ジャブローというところに設けられたという。




