厭離穢土欣求浄土
豊臣秀頼様が生まれた。生まれたばかりだからまだ『拾丸』様なのだが、秀吉様が
「秀俊も秀忠も若くして元服したからこの子も早くてよかろう。それにこの子はどうも鶴松と違って丈夫そうだ。」
と言い出したので冷や汗をかいた。なんとすでに元服の儀式の予定が組まれている。いいのか秀吉様。乳児死亡率高いからまだ油断できないぞ。
第一今になって思い出したのだが史実で秀次公が謀反疑われて、という名目で切腹したのは秀頼様が生まれてから焦って動き回ったから、であり、今よりずっと後のはずなのだ。大体史実だと謀反自体が秀吉様が秀頼様可愛さに言いがかりをつけた事実無根のものであり、秀次は本来ただ誠実に職務をこなしていただけで謀反を企んでいなかった、という説も根強い。
俺は秀次様は諸侯に金をばら撒いて借金で縛っていたので主導権を握ろうとしていた節はあり、全くの無罪とも言えないと思うけどね。少なくとも今回、俺が処した秀次のように積極的に謀反や呪詛は企んでいなかったと思う。まぁここまで来て今更だがもう元の歴史とは違う世界を生きているのだな、と実感した。
そんなある日、中国東北、わかり易くいうと満州にいる加藤清正から贈り物が肥前名護屋の豊臣秀吉様の所に届いた。
「おお、これは虎か!」
巨大なアムールトラの毛皮である。
「清正様が虎退治をされたよし。お一人で槍で仕留めたとか。」
「さすがは清正、ん?こちらは羆か!」
虎の毛皮と一緒に送られてきたのは更に巨大な羆の毛皮だった。俺、加藤清正の虎退治は知っているけど熊殺しは知らない。
「清正殿が徒手空拳で羆を打倒し、倒れた羆を太刀で仕留めたとか。」
…加藤清正、どこの空手王者だ。それともどっかの茶道頭の漫画でのモデルの世界王者のごとく拳闘を極めたのか?体を鍛えすぎて最強生命体になってしまったのかもしれない。
「書状によれば清正殿はヌルハチ殿と親しくして、ヌルハチ殿が東北諸部族を従えるのを支えているそうです。ヌルハチ殿は古の『金』の領国をほぼ手中に収めたとのこと。」
「うむ。して清正は例の事を成し遂げたのか?」
「はい。北京の北、万里の長城の北側に古の『上都』を完全ではありませんが再建した、と。」
「よし!時は来た!徳川内府家康殿を呼べ!」
そして内大臣(内府)に昇進し、江戸城の拡張や入り江の埋め立て、上水道の整備など江戸の町の大拡張に勤しんでいた徳川家康様が呼ばれたのであった。
「家康殿、関東の整備は着々と進んでいるようだな。」
「はっ!天守もあがり、江戸の町作りも目鼻がつきつつあります。下総の堀秀政様の留守居のご家来衆などとも協力して利根川を東に付け替えようかと計画中です。」
家康様それ大分後の偉業のはずだがもう取り掛かっているの?
「うむ、伊奈忠次や土井利勝など優秀な者たちがよく働いていると聞く。関東はもう安泰だな!これも家康殿のお力。」
「はっ!ありがたきお言葉にございます。これも転封後に領国経営に専念させていただいていたからこそ。」
「ところで家康殿。」
「はっ。」
「家康殿の旗印は『厭離穢土欣求浄土』であったな。」
「若き日に追い詰められた際に寺から授かった言葉にございます。この言葉を胸に何度も苦境を乗り越えました。」
「うむ。で、家康殿にはわしは『関東』をおまかせいたす、と常々もうしておるな。」
「秀吉様の仰るとおり関八州を任せていただいております。」
「ところであたらめて家康殿の旗印は?」
「『厭離穢土』です。」
「家康殿の今の本城は?」
「江戸です。」
「うむ、え、ど、よな。」
「は?まさか。」
「家康殿は『えど』を遠ざけるのが信念とされている。よって江戸は家康殿にふさわしくない!そして今回、加藤清正は伝説の都『ザナドゥ』を再建した。すわわち『上都』である。じょ、う、と。」
「それは…つまり…」
「まさに上都こそが家康殿が求める浄土である!!」
秀吉様が力強く宣言した。
「関東は家康殿とその優秀な家臣団によりすでに安定した。よって遠ざけたくてたまらない江戸は秀忠殿と若い家臣団に任せ、浄土を求める家康殿はその最大戦力を率いて希望の地、『上都』を都とし、中華東北『関東』を支配する『関東軍』となって明を打破するのだ!」
おお、っと諸将から声が漏れる。
「それは…ありがたきご期待にございますが…某では力不足かと…」
「うむ!問題ない!三成に命じて最新の砲、銃、弾薬も大量に輸送の準備が整っておる!」
「とはいえ新しい兵器・戦法には当家ではむしろ秀忠のほうが習熟しておりますが。」
「三成の部隊も共に付き、共に戦う!清正も引き続き攻略に携わるしさらに島津まで同道させるからもはや東方不敗!王者の風を東北に吹かすのだ。」
「それで現地のヌルハチ殿などは納得いたしますでしょうか?」
「あくまでも我々は明を打倒し、ヌルハチ殿の国を作る手伝いをする心積もりよ。その後ヌルハチ殿の国と友好・交易関係が結べればよいのだ。すでに清正が心胆語り合っていて話はついておる。
ともあれ、家康殿、これは命令である。全ての関東は家康殿のもの、欣求浄土へ向かい、出撃せよ!」
「はっ!」
家康様は『とんでもないことになった。』とボヤきつつも逆らう訳には行かず、早々に江戸の執政を秀忠殿に移譲し、渡海準備を進めた。
そして徳川家康直属軍5万と、俺、石田三成1万5千、そして島津義弘1万5千の計8万の軍勢は永明城(現在のウラジオストク)に上陸し、加藤清正やヌルハチ殿と合流した。速射砲と機関銃、そしてボルトアクションライフルで武装した我々は中途遭遇した明の防衛軍を相手にせず、予定通り上都に到着し、本陣をおいたのである。こうして万里の長城は目前に近づいていた。
朝鮮半島に入っていた小西行長も軍隊を再編し、朝鮮には最低限の部隊を駐留させた上でガレオン船で遼東半島を襲撃、艦砲射撃で防衛施設に打撃を与えて上陸し、橋頭堡を築いた。高山国で港や城の構築をしていた蒲生氏郷や藤堂高虎も動き出し、寧波に上陸した。…そして、今、本来なら明の救世主となる袁崇煥はまだ9歳であり、福建省ですくすく育っていて軍属にすらなっていなかったのであった。
注)本当は中国東北地方を関東と言い出したのは清が成立してからです。
どうしても関東に家康公を行かせたかったの。ゆるして。
本編残り5話です。最後までお付き合いいただけましたら。




