扶桑
琉球を制圧して千利休殿を託し、蒲生氏郷殿率いる南方軍に高山国攻略を託した俺は一旦内地に戻ることにした。蒲生殿には高山国攻略後は一旦一休みをして戦略拠点としての要塞化をひとまずお願いした。明や呂宋への出撃は体制が整ってからにする予定だ。高山国に向かって出港する蒲生殿たちを見送った後、俺は旗艦扶桑改二に乗り、九州に向かった。その時運悪く大時化に巻き込まれてしまい、なんとか沈むことはなかったものの、扶桑改二はマストが何本か折れ、どうにか航行して鹿児島港に転がり込んだ。
「木津川口の戦い以来よく働いてくれた船ですが、流石に限界ですな・・・」
とどうにか上陸して一息ついた後、渡辺勘兵衛さんが言った。
「うむ。木津川口と言い、長崎攻略戦と言い、よく働いてくれた…」
俺は船首楼に飾られていた菩薩像を外すように指示すると鹿児島から替えの船を出してもらい、ひとまず肥前名護屋に向かった。そこで豊臣秀吉殿下に琉球攻略の報告と、高山国への攻略開始を報告した。
「寧波を先に落とすのではないのか?」
と殿下に確認され、
「はい。高山国を拠点とし、寧波と呂宋双方に向かおうかと。」
「うむ。まだ清正の攻略する東北も準備ができてないゆえ、それでよかろう。」
と殿下の許可を頂いた俺は、長崎や佐世保での追加建造艦や物資輸送の指示を伝令で出した次に小倉に向かった。長崎や佐世保では物資輸送用の専用船として長:幅:高=30:5:3のノアの箱舟サイズ(最も安定して現代のタンカーなどでもよく用いられる)の輸送船を建造し、大量の物資を朝鮮や琉球に輸送する予定となっている。戦闘艦についてはガレオン船とその上級の戦列艦などある程度数が揃ってきたので一旦打ち止めにして輸送艦を最優先で建造させている。朝鮮や琉球への輸送計画は細かい割振りは面倒なので輜重の天才長束正家殿と法令整備の天才北条氏直殿に丸投げしてきた。そちらと連絡をやり取りしてもらっている伊集院忠棟殿が『仕事が多すぎる』と過労で青い顔をしているが、それはそれで良いことにしよう。わはは。
九州での差配が終わると、俺は一旦佐和山に戻ることにした。たまには正妻のうたさんの顔も見ないと。その前に小倉でこれまた正妻の督姫様にさんざん搾り取られて太陽が黄色くなったのと、小倉から神戸に運ぶものがあったので輸送艦で海路神戸にたどり着いた。
「三成殿!久しぶりだな!」
神戸あらため神戸信孝様が声をかけてきた。実に日に焼けていて良い海の男。
「大殿はいかがなさってますか!」
信孝様と一緒に信孝様の父上、織田信長公がいるのは秀吉様と俺たちの公然の秘密だ。秘密をばらしたものは伊賀者が消す。慈悲はない。
「おお、父上か。父上なら近くの芦屋に瀟洒な邸宅と帆船の出入りできる港を作って海に出る日々だぞ。」
…芦屋の高級住宅街とマリーナかよ。織田信長公贅沢だな。
「ところで今回の要件は?」
「はい。神戸川崎造船所で新しい船の建造を始めることにしまして。」
川崎と付けたのは川崎が好きだからだ。コックカワサキとか最高だ。
小倉から積んできたのは蒸気タービンエンジン。うん。蒸気レシプロ作るぐらいならタービン最初からでスクリュー機関で良いじゃない。工作精度難しくて試作機なんども爆発したけど。
「それとこちらの砲を用います。」
「お?この大筒は砲身の下になにかからくりが付いているのだな?」
「これは駐退機、という装置なのです。これがあると砲撃しても砲が動かなくなり、素早く連射することができます。ですから小さい砲を多く、ではなく巨大な砲を積んだ『戦艦』を創れるのです。」
「おお。それは凄まじいな。」
「一応今回引き連れてきた船も戦艦のようなものなのです…」
と俺は付いてきた船を指した。
「おお、あの船は鉄製か。」
「はい。小倉で完成させた総鉄製の船、『弩鬼丸』といいます。」
「お主にしてはえらくぞんざいな命名だな。なんかあちこちに砲が付いているのがすごいが。」
そう、弩鬼丸はリベット打ちの総鉄艦のテスト艦なのだ。それにろくに駐退機も装備してない大砲を形だけ無理やり砲塔に詰めて(流石に打てるように反動で下がっても良いように砲塔の後ろを開けてあるというぞんざいな設計)、あの英国の革命的戦艦『ドレッドノート』と同じ配置にしたのだ。多分ろくに砲撃もできないけど。とりあえず瀬戸内海を航行してきて浸水して沈まなかったから鉄船のテストはエンジンやスクリュー含め成功だな。作っていてよかったグリセリン(スクリューのパッキンに使った。)
なぜ無理やりドレッドノート配置の鉄艦を弩鬼丸、とつけたかというと、
「そしてこちらが神戸で建造中の『超弩級戦艦』でございます。」
そう、超弩級、と付けたかったので超える『ド』級がないとカッコつかないのだ。
だから弩鬼丸なのだ。ドレッドノートが出てくるのは待てないのだ。でも『超弩級』カッコいいじゃないの。
新戦艦は艦型はあちこち寸づまりなところもあるけれど、基本的には史実の戦艦扶桑の艦政本部から提案されたと41 cm砲 (16インチ) への改装案に近い形状をしている。41cm砲どころか36cm砲もまだ造れなかったので、28cm砲(ドイツのシャルンホルスト級が好きなのでこの口径にした。)連装二基+三連装二基、違法建築、と称される塔状の艦橋、副砲は陸上用使い回しの8.8cm速射砲、掃討用の12.7mm機銃数機という構成、石炭用釜だが蒸気タービンで最大速力15ノット(計画)。石油はボルネオ島が制圧できたら将来ブルネイで生産したい。
「うむ、こんなバカでかい船を鉄で作り出して私も驚きましたぞ。超弩級戦艦とはな。名はなんとつけるおつもりで?」
「長らく活躍してくれた旗艦、扶桑がこの間琉球から戻る時に大破してしまいまして、ですのでこの艦には『扶桑』の名を継がせようかと。」
「おお、二代目扶桑か!初代はまれに見る武勲艦であった。良き名だな!」
と盛り上がる信孝様と造船の打ち合わせをして、俺は佐和山に帰る前に今日は有馬温泉に宿を取ることにした。




