千利休
「殿下…この度は…」
俺、石田三成は関白太政大臣、豊臣秀吉様の所に弔問に訪れた。
「三成か…丹羽や竹中を救ったお前でも秀長と鶴松は救えなんだ…」
「本当に申し訳ありません…」
「注射が難しい鶴松のためについにサルファ剤の内服まで作ってくれたのにな…」
「お心遣い本当に痛み入ります。」
秀吉様の弟で大和大納言と称された豊臣秀長様と秀吉様のお子(詳しくは以前のエピソード参照のこと)鶴松様が相次いで亡くなったのだ。
「唐入り目前だっただけに二人にも見せてやりたかったな…」
「かくなる上は唐入りを成功させましょう。」
「うむ。」
決意を新たにする俺たち主従なのであった。
「ところでわしは唐入りの指揮に専念するために関白を譲ろうと思うのだが。」
「豊臣秀俊様なら安心でしょう。摂関家の皆様と親しく、古今の宮中行事にも詳しく、また膂力でも今では土屋昌恒が自分以上、と認めておりますし。」
「いや秀俊ではなく秀次じゃ。」
「…秀次様でございますか?悪いとは言いませんがなぜに。」
「お主のいう通り秀俊は立派に成長してきた。酒も断って諸将や公卿も認めておる。」
「では。」
「だからこそよ。わしが関白を退いて秀俊に譲ったらみなわしの事など隠居とみなして秀俊に群がって相手してくれなくなるわ。」
「あ。」
「それこそお前の差し金で関東の平穏のために漫遊して暗躍するどっかの黄門様になってしまうわ。」
「う。」
「ならばこそ、関白を譲っても実権がわし、とみな受け取れる凡庸な秀次なのよ。」
「殿下の鬼謀には足元にも及びません」
「そこで秀次に付ける補佐なのだが…わしは前野長康を筆頭に考えておるのだが。」
「前野様は止めましょう。真面目すぎてなにかあった時に巻き込まれます。」
「まるでなにかあるような言い分だな。」
「いえ、凡庸なものは天才の思考を理解できないことがありますので…」
「うーむ。前野なら付き合い長いからわが豊臣家の家風をよく秀次に伝えてくれるとおもったのだが。なら蜂須賀か?」
「いえ、ここは増田長盛様はいかがでしょう。増田様の優秀さなら腕をふるえるかと。」
増田長盛苦手なのは確かだが、政治家として優秀なのは認めざるを得ない。後秀次が将来史実通りやらかしたり切腹になっても増田や田中吉政なら優秀だから逃げ切れるだろうと思った。
「後秀俊様は今後お子が生まれたりしても養子に出したりしないで公卿共との折衝をさせる役割にするのが良いかと。」
「うむ。公卿共とのやり取りは厄介だからな!また子ができてもその子を武家の棟梁として秀俊に朝廷工作をさせよう。それとな、」
と言って秀吉様は続けた。
「利休が最近侘び寂びとか言ってわしのやり口にケチを付けてくる割に茶道具の値段を釣り上げて儲けていたりしてうざいのだが。」
「利休殿の娘御を側室に狙っているのではなくて?」
「いくらわしでもそこまでは…なぁ?でも七哲はじめ信奉者が多く、わしの言うことよりも利休の言うことを聞いて将来に禍根が残るのでな、処してよいか?」
ぬわあ、利休殿切腹だよ。しかし、
「いえ、処してしまっては利休殿が伝説として祭り上げられることになりましょう。」
「軍務尚書卿は大友義統のように良い方策がある、と申されるか。」
とこちらの軍務尚書の真似をして目を細くして殿下が言われる。ちょっといやん。
「大友のように処刑するはなく…」
こうして関白太政大臣、豊臣秀吉様は関白の座を豊臣秀次殿に譲られ、自らは太閤となられた。秀次殿は左大臣も兼任された。
そしてついに肥前名護屋で唐入りの大号令がかけられたのである。
「第一陣は小西行長、加藤清正と西国諸将、目標は朝鮮である。」
それは至極当然だな、と諸将はうなずいた。しかし、太閤殿下はつづけた。
「諸将は朝鮮南岸、旧任那諸国の領域程度と釜山等の港湾の確保に止めよ。小西行長とその寄騎のみ西岸を北上して京城を落とせ。そして朝鮮王家、明とダラダラ交渉を続けるのだ。」
「だらだら?」
小西行長殿が聞いた。
「そう、だらだらだ。よほど破格の条件でもない限り相手の言うことを聞いてまとめる必要はない。福島正則は半島での輜重・補給を任せる!」
「はっ!」
「そして加藤清正は東岸を攻め上り、そのまま満州に入れ!」
「満州にですか。」
「そうだ。満州に入ったら女真族と同盟を結び、族長ヌルハチと盟友となるのだ。その際我々の銃騎兵の武装、技術、大砲などを与え、共に戦ってよい。そして満州を荒らし回り続けて次の指示を待て!」
「満州を…ですな。」
腕が鳴る、という様子で加藤清正は応えた。
「朝鮮については以上!」
「となりますと我々の出番は?」
「うむ。残る諸将の内、堀秀政、蒲生氏郷、丹羽長秀などは石田三成の指揮下でまず琉球を落とすのだ。落としたら本人の希望通り亀井茲矩を『琉球守』として駐在させ、本隊は高山国(台湾)を攻略する。」
「おお、高山国を!」
「高山国を攻略したら明へ行くものと呂宋へ向かうものの二手に分けるから石田に聞くが良い。」
「はっ!」
「我々の出番は?」
『神戸奉行』神戸信孝殿が聞く。
「うむ、そちらは徳川殿などと同じく、今は待機じゃ。しばし待て。それでは者共良いか!出陣ぞ!」
そして肥前名護屋や長崎、佐世保から次々と唐入り攻略隊が出港した。朝鮮攻略軍は予定通り南岸に拠点を作り、あっという間に京城入りした小西行長、宇喜多秀家殿が明を相手に交渉している。
「太閤殿下のいう通り、『日本国王に任ずる』だのくだらないことばかり言っていて相手になりません。」
と行長殿から知らせが届いた。加藤清正殿は予定通り満州に侵入し、ヌルハチと面会に成功。銃などの供与と共に同盟関係を結ぶことに成功して満州を荒らし回り、万里の長城に迫る勢いとなっていた。
そして俺は南方攻略軍を率いて旗艦山城改二で琉球に上陸、首里城を占拠して尚王家を降伏させた。
「あなた達の独立性は太閤殿下に従う限り担保されます。」
「しかし明がなんと言ってくるか。」
「明…明なら間もなく消え去りますから気にしなくて良いですよ。」
「なんと。」
「それとこの方を琉球に住まわせますから丁重に客人として扱ってください。」
と言って差し出したのは千利休殿だった。琉球を制圧した時点で蒲生氏郷殿に高山国攻略をおまかせして、俺は一旦九州に戻ったのであった。
琉球に送られた千利休は丁重なもてなしを受けて暮らしていた。しかし
「こんな明るく色彩豊かなところでは、侘び寂びの精神ががががががが!」
とよく錯乱され、じきに慣れて生花にハイビスカスを植えたり日焼けして現地の娘に子を産ませるようになったりしたが、
「我が茶道の真髄の心は京に置いてきた。我が正統なる後継は京の養子や弟子たちとせよ…こちらに来て我が道はすっかり代わってしまった…これを仕組んだ石田三成、人面獣心なり」
と言い残したという。




