伊達政宗
小田原征伐の後、しばらくして蒲生氏郷殿が聚楽第に駆け込んできた。
「やっぱり三成殿がいう通り伊達政宗が一揆を扇動してこちらに侵入しようとしやがった!まあ一揆勢など 瞬 殺 でしたがな。
三成殿が言った通り茶室で手打ちを、と言い出したから持っていった瓢箪でグビグビ飲んでから茶室を焼き討ちにしてやりましたわ!慌てて逃げ出す政宗の面白かったこと!」
焼き討ちはやりすぎな気がするが、毒には全く手を付けなかったのは良かった。史実だとこの時代、『公儀のことは秀長(秀吉様の弟)様に、内々のことは利休殿に』と言われていたのだが、所領と交友関係の関係で、今は『公儀のことは西国は秀長様に、東国は三成殿に、渋い侘び寂び茶道は利休殿に、明るくド派手な『ティータイム』なら『マイケル・ジョーダンに』』とか言われてしまっているのだ。そう、東国は俺が蒲生殿だけじゃなく上杉様や徳川様とも親しくさせてもらっているので僭越ながらまだ分からないではないのだが、茶道が
「利休のは堅苦しくての、もっと気楽で派手なのが良いわ。」
と秀吉殿下が言っているのをジョーダンが聞きつけて
「芸術は爆発だ。ゴールドでエクスプロージョン。」
などと豊臣秀俊様達に俺が
「これからはイスパニアだけではなく英語が大事です。」
などと怪しい理由をつけて教えていたらさすが弾正、あっという間に覚えてしまったのである。そんな派手好きのジョーダンと殿下は意気投合し、ジョーダンの派手派手ティータイムが一大勢力となってしまっていたのだ。閑話休題。
「…というわけで伊達政宗が調子に乗って一揆を扇動していますが、処しますか?」
と俺は殿下に尋ねた。
「うむ。ひとまず政宗を呼ぼう。」
ということになり、伊達政宗は京へ釈明のため呼び出されたのであった。
京に呼ばれた伊達政宗は白装束を着て、黄金の大きな十字架を背負って京都の街を練り歩き、聚楽第にやってきた。そして聚楽第にたどり着くと、殿下の前に土下座して
「伊達政宗、この様に反省しておりますれば!」
と平伏した。
「…政宗よ…」
「はっ!」
派手好きの豊臣秀吉に自分の行動が届いた!と思い伊達政宗は勝利を確信した。が、
「足りぬ。」
「へ?」
「お主の謝罪、なかなか面白かったが、それ今流行りのエゲレスの言葉でいうと『ノン』じゃ。」
「へ?」
「だーかーらー、お前がやった謝罪、昔わしは手取川で上杉から逃げた後に安土で信長様にやったの。」
「殿下がなさった…?」
「まさにお前がやったとおりでな。けどなんか足りないから許さん。おい、やって。」
と言って殿下は政宗が背負っていた十字架を丘に建てさせ、政宗を縛り付けた。
「殿下、殿下、なぜに私をお見捨てになられるのか。」
「おお、ならばよし。」
「へ?」
「わしは安土の山上で自らを縛らせ、『エリ、エリ、サバが食いたい』と言った所許されたのだ。」
「サバが食いたい…?」
「その意こそまさに今政宗、お前が言った『主よ、主よ、なぜ私をお見捨てになられるのか』であり、そのためにわしは許されたのじゃ。よってわしもお前を許す。」
ちなみにエリちゃんは本能寺の動乱も無事に生き延び、今では伏見で料亭を開いているそうである。
「サバにそんな深遠な意味が…」
「その言葉がなければ処刑しているところであったな。感謝せよ。大体一揆など扇動して痩せ野の領地を増やすくらいならさっさと仙台を開墾した方が利が大きいぞ。」
「はっ!関白殿下の鬼謀・ご厚情この政宗、しかと承りました。以後は領国で励みます!」
「うむ!」
こうして伊達政宗は一揆扇動の罪を許され、仙台で領国経営に専念することになったのだる。なお、この一件の後伊達の領国では鯖は聖なる魚とされ、サバを食べる前には神に捧げてから食するようになったという。
「さて三成。」
しばらくしてから秀吉様に相談された。
「いよいよ唐入りだな。良き方策はあるか?」
ついにこの時が来た。
「はっ。朝鮮を攻めて先導に、との考えもあると思いますが…」
「ではいかんのか?」
「朝鮮は明の属国でたとえ京城が落とされようとも降伏しません、というより明の許しがないとできないのです。また土地は痩せて寒く糧食もなく、いたずらに兵を損耗するばかり。」
「では唐入りはならんというか。ならば切腹だぞ。」
と言っているが秀吉様はなんか分かっておる、という顔をしている
「殿下、ここまで好きにさせていただいたのはまさに唐入りのためでございましょう。『朝鮮攻め』ではなく、真に『唐入り』ではいかがでしょう。」
「まさにそのとおりである。話せ。」
そして俺たちは長い相談をはじめたのであった。
それから唐入りの号令がかけられ、出陣の基地として肥前名護屋城の建設が始まった。そして長崎屋佐世保などで建造されている戦列艦(ガレオン船)も続々と完成、就役が始まった。
その頃、池田領の播磨神戸が天領とされ、大規模な港・工場・造船所が建設された。そしてその神戸の奉行として発表された人物を見て、諸将は驚きを隠せなかった。
「神戸の奉行は神戸信孝じゃ!神戸だけにな!ははははは。」
と豪快に笑う秀吉様。信孝が生きていて抜擢されたことに驚くとともに
「神戸は『神戸』信孝殿の神戸は『かんべ』で読み違うじゃん…」
とヒソヒソされたのである。信孝殿は
「俺は織田だ!」
と言おうとした所、殿下にギロっと睨まれたので
「…かんべあらためこうべのぶたかです。よろしくおねがいします。」
と地名の方にすり寄ることにしたという。




