小田原征伐 V
この物語で小田原落城を投稿した8月10日が、北条氏政・氏照公の命日でした。全く狙ったわけではありませんでしたが、なにかご縁を感じました。両公と小田原の犠牲者の皆様のご冥福をお祈りいたします。
「…というわけで北条氏直が降伏いたしました。こちらが北条氏照の首でございます。」
と言って俺、石田三成は関白豊臣秀吉殿下に北条氏照の首を差し出した。遠距離からの銃撃で討ち取られた、との事でまるで『信じられない』と言った表情をしている。
「北条氏政は砲撃で行方不明、おそらくは死んだ、ということで良いな?」
と殿下。
「はい。砲撃で崩れた小田原城御殿には判別のつかない死体が多数あり…おそらくはこれで良いのではないでしょうか?」
といって俺は焼け焦げた北条氏政と見られる首を差し出した。
「うむ。それでよい。今回の開戦の原因は北条氏政・氏照兄弟にあり、両名は討ち果たされたということで決着だな。氏直の身柄は三成、お主に預けるから好きにせよ。」
「はっ!」
そうして戦後の処理に取り掛かっていた所、奥州から伊達政宗が参陣した、との報があり、俺は殿下と一緒に面会することになった。
「政宗、遅かったな。同じ奥州でもお前よりずっと遠い津軽為信殿はとっくに参陣して所領を安堵したぞ。」
「…殿下の参陣命令と三成殿から頂いた書状を読んで、母が出陣祝と称して出してきた食事にも手を付けず、弟の小次郎も家臣に見張らせるだけで放置して、全力で駆けて来たのですが…まさかこんなに早く小田原城が落ちるとは…」
「関白殿下の御威光の賜物である。」
俺が引き取った。
「せめて我が伊達家が誇る騎馬鉄砲隊を御覧いただきたく…」
相模の原に出てきて鉄砲足軽隊に演武させる。
「…なんだ突入するまでは良いが一発撃ったら後は鉄砲は使わず馬上槍か刀か。あまりパッとせぬな。」
秀吉様がごちる。
「ぱ、、ぱっとせんとは?」
「鉄砲騎馬とはこうやって使うのよ!清正!銃騎兵出陣!」
呼ばれて加藤清正殿が率いる銃騎兵が現れた。馬上のまま突貫し、ボルトアクションライフルで次々と銃を連射していく。そして政宗の騎馬鉄砲隊の数倍の距離から的を正確に射抜いていった。
「…これは…これは…上方とはこれほどまでの差とは…」
「10年早く生まれても天下どころか奥州も支配できないじゃろ?」
と殿下はニヤリと笑った。
「伊達政宗、参陣は殊勝なこととして存続は認める。大崎や葛西は取り潰しだからずっとよいじゃろ?ただし、芦名との一戦は惣無事令違反とみなし、会津黒川、そして本領の米沢は没収し、大崎・葛西の領地に転封とする。」
「会津のみならず米沢も収公ですか!」
「繰り返すが、大崎や葛西のように改易でも良かったのだぞ。それとも先の演習の様子を見てなお一戦を望むか?額面としては72万石を与えるから悪くはないと思うが?」
「…殿下のご厚情に感謝いたします。」
本来の歴史だと大崎・葛西の領地は木村吉清に与えられるのだが木村は無能ですぐ伊達の陰謀で一揆起こされるから最初から仙台与えちゃえ作戦。
「城地は岩出山でなく仙台で良いぞ。開拓すれば非常に豊かになるところじゃ。」
「…おお、仙台ですか。それは思いつきませんでした。殿下のご慧眼には平伏するばかりであります。」
伊達政宗は良いのか悪いのか微妙な結果に、少し微妙な表情をして帰っていった。
「殿下、となりますと会津は。」
「うむ。蒲生氏郷だな。米沢は直江兼続に。」
米沢領直江さんに行くのは本当は蒲生氏郷殿が亡くなって上杉景勝殿の転封とセットなんだけどなー。しかし殿下が
「会津を蒲生に、米沢を直江にやれば、伊達政宗がちょっかい出すとしても蒲生と直江、並びに直江の背後の上杉を相手にすることになって分散するから蒲生の負担も減るじゃろ。お主が『蒲生が大変』『蒲生が気の毒』と散々言うから。」
「殿下の深謀遠慮にはまさに心服するばかりであります。」
と応えた。この殿下、その場の対立関係を作って大名の弱体化を狙った本来の豊臣秀吉よりも百年の計を考えた安定性を考えていそうですごいぜ。
蒲生氏郷殿の会津襲封が決まり、俺は氏郷殿を呼び出した。小牧の役で一緒に信雄の伊勢を攻めた頃から俺たちはマブダチなのだ。ぐはは。
「都から離れて我が野望は破れた…」
といじけ気味の氏郷殿に俺は
「とは言っても百万石ですぜ、百万石(本来の領地は92万石なのだが、少し伊達の方にはみ出させて百万石を捻出したのだ。)大坂城ですらない七層天守を上げるお許しをいただきましたし。」
「おお、そうだったな、七層天守は天下無双となろう。」
「ちなみに城の図面は?」
「おお、甲州の『信玄の目』と言われた曽根昌世に縄張りをさせたのだ。これじゃ。」
「これは素晴らしい城で…一寸加藤嘉明殿にも見せてよろしいか?」
「嘉明殿に?三成殿のいうことなら差し支えないが。」
と見てもらった所、やはり大手の向きが悪い、と指摘され、付替えを勧められた。
「おお、嘉明殿の見地も素晴らしいな!」
と氏郷殿は感心している。いや、史実で蒲生家の後に加藤嘉明殿が会津若松に入って大手を改修したのを覚えていたんだよね。最初から最強版でいいじゃん。
「ところで氏郷殿?」
「うむ。」
「いくつかお願いというか絶対に守っていただきたいことが。」
「三成殿のいう事ならよほどのことがない限り聞こう。」
「まず、伊達政宗とは色々揉めると思いますが、絶対に『和議のために茶会を開くので来ていただきたい。』と言われて茶や食べ物を口にしてはいけません。絶対です。行くときは絶対全部持参、というか茶会絶対やめましょう。」
「毒消しを持っていても駄目か。」
「氏郷殿は豪胆だからそれで凌ぐでしょうが、その場は無事でも絶対ダメです。なぜなら毒物で肝臓を壊し、数年してから死にます。」
「おお、その場をしのいでも駄目なのか!伊達の開く茶会には決して行かぬ。」
「万が一茶会でないと和解できない、と言い出したら『外で正々堂々相談できないならいっそ一戦するか』と脅してしまってもいいです。とにかく伊達の出すモノは口にしない。」
「伊達の出すものは口にしない。」
氏郷殿が繰り返した。
「それとお酒を控えてください!豪胆なのは分かりますが酒を飲みすぎるとやはり肝臓を壊して死にます!上杉謙信公が急死したのは覚えておいででしょう。大体福島正則が酒のんで暴れて家臣に何人逃げられたかもご存知では?」
「わしは酒は強くて福島みたいなことは…」
「それは悪しゅうござる!」
なんかうちでの金吾殿や秀忠様の修練見ていて疋田文五郎の口癖が移った。
「うわ。それでも駄目か?」
「駄目でござる大体会津は酒絡みで芦名の当主が何人も死ぬなど、酒は美味いが控えないと恐ろしい土地柄なのです!」
「相わかった。酒も控える。」
「お願いします。後。」
「まだあるのか?」
「会津城下で天下を狙うために殿下を付け狙って毒物を栽培したり、殿下に献上するために毒手のような毒を満たした美女を作り上げる、などの計画は絶対にやめてくだされ。」
「ぬうう!それをなぜ知っているのだ!」
…やる気だったのか蒲生氏郷。昔読んだコミックでそういうのがあって好きだったんだよね。
「私でも分かるぐらいですから殿下に返り討ちに合うか、毒女に裏切られて氏郷殿が死ぬかどっちかです。」
「わかったわかった。会津百万石七層天守、奥州の主で諦める!政宗の出すものは口にしないし酒も控える!」
「それが氏郷様のためならばこの三成、こころからお願い申し上げます。」
最後の毒の一件が本当に思い当たることがあったようで、蒲生氏郷殿はなんかえらく首肯しながら帰っていったのであった。どうも史実の死因は肝機能障害が原因で、政宗にもられた毒か酒の飲みすぎが怪しいんだよね。これで無事長生きしてくれればいいよなぁ。




