小田原征伐 II
八王子城など武蔵野諸城を制圧した俺たち北国勢だったが、殿下の命を受けて俺、石田三成傘下の部隊は北国勢の主力と別れて武蔵忍城に向かった。
「三成殿!」
常陸の大名、佐竹義宣殿が合流し、声をかけて来た。
「なんでも忍城は水攻めで攻めなければならないと聞きましたが、本当ですか?」
「殿下の立ってのご要望なので…」
「では堤を造らなければなりませんな!これは長大なものになりそうだ!」
「ええ、しかし堤は形ばかりでよいのです。結城勢や下野の諸将に手伝ってもらいましょう。」
「なんと。ではいかがいたすので?」
「ふふふふふ。この日のために俺はこれを用意してきたのです!」
「…なんと面妖な。うしろに筒がぶら下がった細い大筒ですか?」
「これは『ポンプ』、というものを使った『放水銃』というものなのですよ!」
「ぽんぷ、ですか…」
そして我々忍城攻略隊は形ばかりの築堤をはじめた。それを見て城に籠もる成田勢は水攻めが行われる、と看破し、城将成田長親の指示であちこちで築堤は妨害された。さすが『のぼう様』だな。しかし、俺の忍城水攻めは一味違うのだ。
忍の川や城の周囲の沼にポンプをつなぎ、城門の前に並べ立てる。この日のために必死で南蛮からゴムを買い集めてホースを作っておいたのだぜ。(もちろんゴムは大事なところにだけ使ったからそんなに量は使ってない。ゴムの木もやっとのことで入手したがあれ、ゴムが取れるのに7年もかかるのだ…)うちの金蔵は空っぽだ!(いつもだが)
城門の上に甲冑を纏った女性が立った。遠目に見ても美女だ。たぶん。あれが甲斐姫だろう。
「猿の賊軍め、異様なものを並べて攻めて来ぬとは腰が引けたか!いざ尋常に勝負せよ!」
…いやこちらが本気出して砲撃始めたらあっという間に潰れちゃうんですけど。でもそれやっちゃ駄目なんで。
「猿の腰巾着の腰抜け共め!そちらから来ないならこちらから行くぞ!」
と弓を射かけてくる。逞しいなぁ。うちの督姫と逞しさ勝負させたいわ。
「是非に及ばず。ポンプ隊、放水銃で放水開始。」
俺の号令とともにポンプからおびただしい量の水流が忍城の城門に降りかかる。
「あばばばばばば。なんじゃこれは!尋常に、尋常にしょうbあばばばばばばばば」
水流に押し流されて甲斐姫の姿が見えなくなる。その後も放水銃を各所に配置し、城門に兵が見える度に
「あばばばばばば」
土塁の上や櫓に兵が見える度に放水して
「あばばばばばば」
「なんという卑怯!我らには弓矢もいらぬというのか!」
甲斐姫様が叫んでいますが、やっぱり放水して
「あばばばばばばばば」
幸い周囲にいくらでも水源はあるから放水はやり放題だぜ!
そうして放水し続ける内に、城内の鉄砲は当然役立たずになり、水浸しになって食料も痛み、疫病すらうろちょろし始めて城内の士気はだだ下がる一方となった。
「こうなっては最後の一戦を交えて華々しく散るのみ!」
と城門から出てきた敵兵も
「放水で片付けろ。」
と命を下し、
「あばばばばばっば!尋常に!じんじょあばばばっばばばば。」
と城内に押し返した。
「城兵のみなさ~ん。今なら城主・甲斐姫様含め全員のお命を保証いたしますよ~。」
今回ノリノリで降伏勧告しているのは竹中半兵衛様だ。水絡みの城攻め、と聞いて俄然燃えていたのだ。なにせ小便をかけられたから、と稲葉山城を落とした方だけに。
「石田隊の降伏勧告は受ければ命が助かると言うぞ。」
「逆に聞かないとくさき一本残さず討ち果たされるとか。」
「ここに至ってはやむを得ないか…」
小田原。山中城を突破して小田原城を囲む包囲軍の中で、俺は殿下のもとに参上していた。
「うわっ!三成、バカに早かったな。まだ小田原を包囲したばかりだぞ。」
「というわけで忍城、『水攻め』できっちり落城させました!」
「お、おう。」
「こちらが殿下の求めし伝説の美女、甲斐姫です!」
「お、おう…なんか姫の衣装は濡れていないか。」
「…どこもかしこも濡れてしまい、殿下の前に参上するにも濡れた着物しかなかったのです…」
としくしく泣く甲斐姫。
「水も滴るいい女であります!」
と俺は元気よく応えた。
「わしのために濡れているというのか…ぐへへ。三成よ、よくやった。甲斐姫よ、悪いようにはいたさん。こちらに参れ…ぐへへへ。まだ淀も着かないでな…」
と言って殿下は甲斐姫の肩を抱いて陣所の奥に消えていった。
こうして俺は『忍城の水攻め』を成し遂げたのだ!やったぜ!
ついに最初に豊臣秀吉様に切腹させられたイベントを突破したのだ!
一つの大仕事を成し遂げた満足感で俺は陣所でバタッと倒れて一眠りしたのであった。
世の中ではこの忍城の水攻めを評して
「確かに水攻めとしか呼べないが…あれって水攻めじゃないよね。」
「軍務尚書殿にかかれば水攻めも新しい姿となるのだな。」
「げに恐ろしきは軍務尚書の智謀。」
「しかしやっぱり水攻め、ではないよな…」
と評価は分かれたという。また石田三成本人は戦下手との評判が立つのを気にしていた、と言われるが、
「戦下手って…長篠以来いくつ城落としたと思っているんだ、あの人」
「そもそも『長篠の首刈り鬼』って言われているだろ。」
「あれが戦下手なら瞬殺された新発田重家や真田兄弟や土屋昌続はなんだって言うんだ…」
「だいたいそれなら佐久間盛政や森長可が付いてこないだろ…」
と本人の預かり知らぬところですでにそれなりの評価を得ていたのであった。




