小田原征伐 I
ついに小田原征伐の号令が発せられた。俺、石田三成は関白太政大臣豊臣秀吉殿下に呼ばれた。
「三成は領国の信濃から森、仁科、真田などを引き連れ出陣せよ。また北国勢の前田利家、上杉景勝などを統括し、北国街道から上野、武蔵を攻めよ。」
「はっ!」
北国勢の軍監なら忍城攻めなくても良いかも知れないぜ。ラッキー。
「武蔵の諸城を制圧したらな、」
「小田原の殿下に合流して我が配下の伊賀忍軍に風魔への意趣返しをさせてやろうかと。」
「いや、その前にだな。」
…ちょっと悪い予感がする。
「武蔵の諸城を落としたら北国勢と別れて、常陸の佐竹義宣や下総の結城晴朝殿、そして下野の諸将と共に忍城を水攻めで落とすのじゃ。」
…来たよ忍城水攻め。
「忍城にいる成田の甲斐姫は美貌で知られておってな…しかも気が強いとか言うから楽しみでたまらんわ。グヘヘ。」
そんなに気が強い姫がよろしければうちの督姫様とか池田輝政殿の所の五徳姫とか好みだったのでは?とも思ったが、来ちゃったよ忍城水攻め。
「必ず水攻めで姫を殺さずわしのもとに連れてくるのだぞ!水攻めを成功させれば石田三成が豊臣秀吉の愛弟子として天下にその力量が広く知れ渡ることになろう…ちなみに断ったら。」
と言って殿下はスッスッと腹を切る真似をした。
「こうだからよろしくな。」
えー。よく存じていますとも。俺が関ヶ原関連以外で死んだ最初ですもの。迂闊なことを言ったら切腹でしたもの。
「ではよろしくな!わしは東海道から堂々と攻め入るでな。」
「殿下、そちらの事で一つ御願いしたい儀が。」
「おお、なんだ。また誰か引っ捕らえるのか?」
「いえ、それは後の話で…九州での失態から改易となった仙石秀久様ですが、徳川家康様の陣で陣借りできませんでしょうか。」
「おお、権兵衛か。家康は良いのか?」
「はい、すでに承諾は頂いております。」
「ならばよい。権兵衛に励めと伝えよ。」
「はっ!その際、我が家臣から何人か手伝いをさせてもよろしいでしょうか?」
「権兵衛の手勢では物足りなかろう。よいよい。」
「ありがたきご高配にございます!」
こうして俺は北国勢を率いて小田原に向かって出発した。直江兼続さんが
「三成さんとこうしてまた出陣でき、楽しみですな!」
と声をかけてきてくれ、俺たちは比較的気楽に進軍し、碓氷峠を越えた上野の要衝、松井田城に到達した。史実では城将、大道寺政繁が奮戦して1ヶ月に渡り落とせず、結局交渉で降伏開城となった城だ。
「松井田城のみなさーん。降伏しなさーい。」
森長可殿がメガホンで呼びかけている。
「あれは石田家の習わしなので…?」
と上杉景勝様が何事だ、という感じで聞いてきたので、
「織田信忠公が信濃攻めで行ってからの当家の伝統です。」
と応えた。ここで籠城した後、大道寺政繁は逆に道案内を勤めて八王子城などの落城に功績を挙げるが、戦後秀吉様の命で切腹となる。どうせ助からないし、大体八王子城皆殺しの原因はここの降伏と大道寺が搦手を案内して逃げてを防いだからなので、むしろいなくてよいか、と俺は思った。
「真田昌幸殿、計略で搦手門を開けさせることはできるか?」
「小田原からの急使、と偽れば容易であります。当家は一時期北条に仕えておりましたゆえ、軍令の仕組みなどは把握しておりますがゆえ。」
「長可殿!」
「ふふ。わかり申した。高遠城の再現、ですな。」
「何が始まるというのだ…」
前田利家殿がつぶやくと、直江兼続さんが
「松井田城は、というより我々の前に立ちふさがる城は不幸、ということですよ。」
と応えた。
真田が騙して開けた搦手門から森が突入し、森はいつもの様に城の屋根に登って屋根を引き剥がして城内に銃弾の雨を見舞った。
「ヒャッハー!者共!狩り放題だぜ!」
森隊の銃撃を受けて城内は大混乱に陥った。森隊とともに侵入した真田の手のものにより、大手門も開かれ、主力が突入する!ほどなくして大道寺政繁が捉えられて引き出されてきた。
「降伏いたす。この先の道案内をするから命はお助けを。」
「うん。道案内してくれるのは知っている。けど、道案内なくてもこの城のように落とせるし、大道寺殿結局一生懸命道案内しても切腹になるから。」
「なんと!」
「だからご子息の直繁殿や直英殿は戦後ちゃんと取り立てて家名は存続させるから、今は安らかに切腹して欲しい。せめてもの手向けに『切腹御免状』。」
「後にむざむざ処刑されるよりは御免状をいただき、名誉の死を遂げ、家名を残したほうが得策か…」
と言い残して松井田城は落城し、大道寺政繁殿は切腹された。
松井田城の苛烈な落城の様子はまたたく間に伝わり、続く諸城はろくに抵抗すらできなくなっていった。
関白殿下も
「それでよい!根切りにして恐怖が伝わればその先は容易に落ちる!これからも手加減をするな!」
とお喜び、と伝えられた。しかし、俺は八王子城を攻める時にこっそり
「今から半日の間に武具を持たずこの搦手から出てくるものは見なかったことにする…この城が小田原に主力を取られて女老人ばかりであるのは存じておる…半日を過ぎたら総攻撃で根切りにいたす。その際残っているものは全て戦闘員とみなす…諸城での我が隊の戦いぶり、よく伝わっておろう…」
と伝えさせ、城門からわらわら出てくる女性や兵を見送った。ほとんどの非戦闘員は逃げ出したようで、それを無理に止めようとした北条兵が逆に討たれたことも多かった。期限まで待った後、それでも立て籠もっていた兵はきっちり鏖にさせていただきました。そこまで慈悲深くないし、殿下に逆らうつもりもないからね。




