九州平定 II
天正15年(1587年)元旦、豊臣秀吉様は九州侵攻の大号令をかけた。俺、石田三成は、盟友大谷吉継殿と丹羽長秀様の家臣から秀吉様の直臣に取り立てられた輜重の天才、長束正家殿と組んで兵糧・武装の輸送の担当が史実では割り当てられていたのだが、なぜか豊臣秀長様が率いる日向にいた。長束正家殿は秀吉様がその才能を聞きつけて打診した所、
「天下の金蔵のあれやこれやから俺が開放されるなら差し上げちゃって大丈夫よ!秀吉様のところで金の算段超頑張って!秀吉様派手好みな上に石田三成とか石田三成とか金稼ぐけどそれ以上に使う奴がいるから!俺は自分の家のことだけに専念してもう幸せ!」
などと大歓迎で譲ってくださったという。俺は他の奉行と一緒に戦前の輸送の準備などには真面目に携わっていたのだが、秀吉様に
「念の為秀長の陣に参加してくれ。」
と頼まれ日向に向かう軍勢に参加していた。秀長様の軍勢が豊前に上陸すると豊後をほぼ制圧していた島津勢は即座に退却に転じ、日向まで退いた。秀長様の軍勢は山田有信が立て籠もる高城を包囲した。
高城を包囲する軍勢の内、宮部継潤様が率いる部隊は根白坂に突出していた。そこに島津義久、義弘、家久が率いる2万が襲いかかったのである。メンバー的に完全に島津の主力だ。
しかし空堀や板塀で入念に砦を築いた宮部様の陣は強固であった。軍監の尾藤知宣は
「島津を迂闊に攻撃しては仙石めの二の舞です!決して動いてはなりません。」
と強固に秀長様に主張していたが、秀長様家臣の藤堂高虎殿が立ち上がった。それに黒田孝高様、小早川隆景様も賛同し、宮部様への援軍となり、喚く尾藤を無視して出陣したのである…当然俺も。
藤堂殿や黒田様の部隊は包囲する島津勢を背後から襲いかかるように動き、俺が率いる石田家土鬼隊は密かに宮部様が守る砦に入った。
「石田殿!来ていただけて助かった。心強い。」
「藤堂殿や黒田様も島津の背後を突くべく動いております。あと一息です。」
「おう!」
それから程なく、島津忠隣が必死の攻撃を根白坂に仕掛けてきた。空堀を突破し、土塁をよじ登ってきた島津忠隣に俺は声をかけた。
「こんにちは、島津殿、そしてさようならだ。」
島津忠隣は無数の銃弾に蜂の巣になって絶命した。
怯んだ島津勢に藤堂殿の部隊が一斉に襲いかかり、島津勢は総崩れになった。
「今こそ追撃してとどめを刺すべき!」
と黒田様や小早川様は主張し、秀長様も同意していたが、尾藤知宣は
「島津ですぞ!また待ち伏せしているのに違いないのです!決して出陣してはなりません。出るなら腹を切ります!」
と大騒ぎをした。
「…いっその事どっかの大友がやったみたいに箱に詰めて返品するか?」
「…いやあれはいくらなんでも不味かろう。後で殿下に報告を。」
「ここで仙石殿が軍監だったらなぁ。戦は明るいほうが良いよ。」
諸将が頭を悩ます中、俺は隷下の銃騎兵と山砲隊を率いて出撃した。
「三成!どこに行く!勝手な出撃は軍令違反ぞ!」
尾藤が騒ぐ。
「当方信長様の時代より独断専行は許されておる!構うな!」
と号令して退却する島津本軍を猛追した。じきに追いついて見えてきたので銃撃を浴びせると
「相手は小勢だ!怯むな!討ち取ってから引き上げるぞ!」
とさすが剽悍で鳴る島津勢、こちらに向かって突撃してくる。しかしこちらの銃騎兵が装備しているのはボルトアクションライフルである。島津の持つ火縄銃の3倍の射程を持ち、島津勢は近づいてくる間もなく、次々と撃ち倒されていく。
しかしさすが戦闘民族で知られる薩摩隼人、幾人かは突破してきた。
「三成殿!敵は投石してきたぞ!」
「アコース、コズン、クラッカーだ!でなくて昌恒!左近!手投げ弾だ!」
とこちらは炸裂する陶製手投げ弾で反撃する。島津義久はさすがの名将で、こちらを小勢と侮ったのを省みたのか、今度は退却に転じた。
「捨て奸か!そうはいかん!」
潜みそうな所に片っ端から銃撃を浴びせて行く。騒ぎ立てずうめき声だけで死んでいくのはさすが隼人である。更に島津の本隊が進む先に集中的に砲撃の雨を降らせた。
「兄者!進む先に砲弾が雨あられと降ってくるぞ!」
「義弘、これでは進めば砲撃に撃たれ、下がれば騎兵に銃撃され進退どうにもならぬ!」
「かくなる上は最期の一兵まで戦い、我らが武名をあげようぞ!」
と覚悟を決めた島津三兄弟にうちの隊から森長可殿のメガホンが響き渡る。
「島津のみなさ~ん。ここは恥を忍んで降伏してくださ~い。当方はあの北条3万騎を生け捕った『石田三成』隊でーす。」
「何をいうか!ここに来て恥を晒せと言うか。」
「繰り返しますが当方は『石田隊』でーす。只今降伏すれば所領などについても薩摩・大隅佐土原など島津家が恥ずかしくない領地を認める、と秀吉様から許可を頂いていまーす。」
うん。本当はちゃんとした許可はもらってないけど秀吉・秀長様からそんなものだろうな、という話はされていたので。いいのだ。多分許してくれるだろ。
「なに、薩摩・大隅、佐土原だと…」
「兄上、これはむしろ破格の待遇では?」
「島津のみなさ~ん。ここで意地を張って徹底抗戦してからの降伏でしたら、
お前ら元々伊作島津家なんだから伊作家の領地しか認められなくなるぞゴルァ。」
と突然口調が荒くなる森長可殿。
「石田三成殿なら交渉条件を守ってくれると言うぞ…」
「逆に新発田重家は撥ね付けて一族根切りになったではないか…」
「ここは…石田殿を信じて」
「「「降伏しよう。」」」
こうして日向戦線に参加していた島津義久、義弘、家久三兄弟は降伏した。主力の降伏は九州平定の実質的な終わりを意味していた。
その後降伏した島津家久に豊臣秀長様が会いに行くというので俺は秀長様の所に参上した。
「秀長様、そのお持ちの容器の中身は毒ではないですか?」
「さすが三成、これが毒と見破るとは。」
「家久殿は勝ち目がないと見るや潔く降伏いたしましたが。」
「だが島津家久は強すぎる!龍造寺隆信、十河存保、長宗我部信親、そして無数の龍造寺、大友の重臣、いくつ大名首や大身の首を獲ったというのだ。そんな強すぎる男が世に放たれてはあまりにも危険すぎると思わないか?」
「仰せの通りにございます。さすが秀長様。」
「だから家久殿には退場していただいたほうが良いのだ。」
「全くもってそのとおりでございます。ですが、」
と言って俺は話を続けた。
「家久殿を島津の手元においておくなら危険極まりないでしょう。しかし首輪をつけて手元においておくことができれば。」
しばらく考えて秀長様は応えた。
「佐吉!またお前やる気か…まあ…しかし…お前のところなら安心だし兄上も納得するだろう。よし、お前が先に声をかけて島津家を離れて従うなら良し、島津家にあくまでも残る、というなら。」
「その時は秀長様のお心のままに。」
「うむ。」
そして俺は島津家久を訪ねた。
「もしよろしければご子息、豊久殿とともに薩摩(日向)を離れて我が家臣となってもらえないでしょうか。それが島津家のためにもなるのです。」
「島津家のため・・・ともうしますと?」
「豊臣秀吉様は島津家に薩摩・大隅など十分な所領を認めるおつもりですが、島津家が強すぎることは望みません。ですから家久様親子が島津家にいる限り、島津家は天下の脅威とみなされるわけです。」
「なんと。」
「家久様を害してしまえば話は早い、と思われるかも知れませんが、私にはそれはあまりにも惜しい。知っての通り我が家臣には様々な出自のものがおりまして、家久様も馴染めるのではないかと。」
「うーむ。むざむざ命を落とすのもなんですな…わかりました。三成殿、親子ともどもお世話になります!」
こうして俺の家臣にあの島津家久と『妖怪首置いてけ』島津豊久が加わったのだ。
今日はここまでです。まだもうちょっと九州は続くのじゃよ。




