清洲会議
徳川家康様と信濃は羽柴、甲斐は徳川、と分割を決めた和議を結んだ帰り、家康様にご息女の督様を嫁に、とお話を頂いてしまった。
「そんな家康様のご息女とは畏れ多くて拙者のような小者にはとても釣り合いませぬ。妻のうたもおり息子の重家も生まれてますし…。」
「なに、石田殿のところだったら側室でもよいぞ。」
「いえいえ!滅相もございません。徳川様のご息女を側室など!」
俺は思わず土下座する。
「それに陪臣の私が徳川様のような立派な大大名からの縁談、となりますと主君、羽柴秀吉の許しがなければそれこそ独断専行で切腹ものです!」
「ふむ。そうだな。どうかこの話は羽柴様の所に持ち帰っていただけますかな?」
ひとまず保留で良いか、助かる!
「はい。ここはどうか一度話は秀吉様に伺いを立ててから、ということで。」
「うた殿にもよろしくな!急がずともわしはいつまででも待っているぞ!」
「ははぁ!どうか徳川様もご息災で。ところで大事な話の後でありますが、どうしても徳川様にお願いしたい儀が。
「うむ。なんなりと。」
そちらのお願いの話はうまく行った。
「長七郎、よく三成殿に仕えるんだぞー。」
なんだか上機嫌で家康様は去っていった。正直脂汗が出た。うたさん愛してる。けどどうしよう。
家康様の話ばっさり断ったら将来関ヶ原の戦いが起きたら逆さ磔で竹鋸挽きぐらいになりそうだ。
俺はそれから信濃を馬場信春や仁科盛信達に任せると丹羽長秀様の所に向かった。
「丹羽様っ!」
「なんだ、佐吉か。お前東美濃から信濃を手に入れ上杉、北条を手玉に取り徳川様に頭を下げさせたと言うではないか。今度はわしに何をする気だ!安土城の金蔵は焼けてもう空っぽだぞ!」
そう。安土城は焼けてしまったのです。ヤマザキのパン祭り(山崎の戦い)の後、安土城に入られた織田(北畠から戻した)信雄様が
「俺もこの安土の大灯台の点火をしてみたい!」
と強固に言い張られまして、天守最上階の灯台に点火した所、油の桶をひっくり返してしまい、火が燃え移って天守はみるみる焼け落ちてしまったのです。信雄様は命からがら無事に脱出できたそうですが。
「いえ、たしかに弾薬は使いましたが金の話ではありません。金は北条からしこたま頂いてきましたから。」
「ではなんなのだ。あの巨大な船の数を3倍にでもするか?伊勢の港は織田家の南蛮船でいっぱいだぁ。あはははは。」
丹羽様そんなに怖がらないでください。
「いえいえ、丹羽様には徳川様から頂いてきたこの薬を差し上げたく。」
「徳川様から?」
徳川家康様は薬のスペシャリストで色々お持ちなので頂いてきたのだ。俺から、というより多分1万倍は信用してもらえると思うし。
「こちらが駆虫薬のセンダンと鷓鴣菜湯でございます。鷓鴣菜湯にはマクリ(海人草)というよく効く成分が入っております。丹羽様が腹が膨れて重くなっているのは丹羽様のお腹にサナダムシという虫がいるからなのです。」
「なに、サナダムシ…」
あ、サナダムシというのは関が原に負けた真田父子が九度山で作っていた真田紐にちなんでいるから今はまだそう言わないんだった。ごめん、真田一家。
「そして丹羽様が夜腹の上の方の胃がキリキリ傷んだり、食事を取れなくなったり、だるくなるのは『胃潰瘍』という病気なのです、それにたいして徳川様からこの『六君子湯』を頂いてきました。」
本当は駆虫薬にプラジカンテル、胃潰瘍にはプロトンポンプインヒビターがあればよかったんだけど、流石にそんな未来的な薬は造れないからある物でなんとか調達した。
でも漢方等の中では寄生虫駆除と胃潰瘍にちゃんと効くものだ。(現代でも使われる)今まで丹羽様には苦労かけ通しだったからなあ。
「おお、徳川様がおすすめなら間違いないか…佐吉、ありがとな。」
と言って丹羽様は受け取ってくださった。
そして6月末、織田家の将来を話し合う、『清洲会議』はついに始まった。
俺は秀吉様にくっついて控えていた。柴田勝家様が
「では、先の相談の通り織田家の跡目は信忠様のご長男、三法師様、ということでよろしいな。」
ここまでは誰も異存が出ない。そして誰が三法師様の後見となるか、が主な議題だ。
「織田信雄様は…なんていうか…安土城を燃やしてしまわれたからなぁ…」
「ご本人もしばらくは反省しておとなしくしていたい、と。」
「なれば織田(神戸)信孝様がご後見か。」
と柴田様が続ける。
「いや待たれよ。信孝様は神戸家を継いでおり、単独で後ろ盾になるのはいかがなものかと。」
「秀吉、信孝様を愚弄するか。」
「わしも信孝様を単独でご後見とするのは反対でござる!」
と元気いっぱいに応えたのは丹羽長秀様だ。薬の効きは抜群だったらしく、あの後数日して
「佐吉よ、たしかに虫だったわ!みろこの長い紐みたいなやつ!お前の言う通り頭もちゃんと出たからこれでスッキリだな!あははは。」
といって虫を持ってきてくれた。いえ、見せなくてもいいです。
「胃の調子も抜群で食が進むわ!お前と徳川様には感謝感激だわ!」
と腕をぶんぶん回す。なんていうか元気いっぱいオラ悟空、な感じになって印象変わってます、丹羽様。
その丹羽様が元気いっぱい続けた。
「諏訪四郎勝頼が武田信勝の後見になって何がおきたか、皆さんご存知であろう。他家を接いだものが惣領になりかわる、というのはそれだけ困難なことなのだ!」
「そうだそうだ。」
と池田恒興様も続ける。山崎の戦いぶりを見てから秀吉様べったりなのだ。
「ぬう。では秀吉が後見ということか?」
「いえいえ。」
秀吉様が続ける。
「わしが専横すると思われても織田家のためになりませんので、堀久太郎秀政もお願いしようかと。」
「秀吉単独でなければまぁ、しかたないか。」
柴田勝家様も折れ、織田家の跡目は三法師様、と決まった。
その後織田家の所領を分ける話になった。秀吉様は播磨、但馬、美作、因幡の直轄領に合わせて備前の宇喜多が寄騎、そして山城と明智光秀の旧領丹波が加増された。池田恒興殿には摂津が与えられた。(多分大坂を開けるために後でどっか移動になるだろう、と思うが。)丹羽長秀様には若狭の旧領に合わせて近江坂本が加増された。そして柴田勝家様には元秀吉様の領地の長浜が加えられたのだが、
「ところで佐吉」
「はい。」
「お前の佐和山の領地、本来19万石だったのをわしに貸していたのだな。」
「信長様はそうおっしゃってました。」
「うむ。信長様の言う通り、そこから借りていた分は返すわ。」
「それでは長浜に残る分がえらくへってしまう!」
勝家様が絶叫する。
「しかし佐和山の持ち分はこの石田三成のもの、と信長様が認めていたでな。」
こうして長浜領は柴田勝家に譲られたものの、大部分は佐和山領となり、猫の額のようになってしまった。
それから堀秀政様には美濃大垣城が与えられた。織田信雄様は伊勢から滝川一益などの分を引いた半国ぐらい(信孝様が移った分は加増)と、新たに尾張が与えられ、清州城を居城とすることになった。
そして織田信孝様は三法師様が住まう安土城(山上の本来の主郭は焼け落ちているので山麓にひとまず屋敷を築いた)の城代と、美濃岐阜城が与えられた。
「これは納得いきませぬ!」
「信孝殿、いかがなさった。」
「岐阜は確かに織田の本城、しかし考えてみてくだされ、西美濃は稲葉一鉄を始め羽柴秀吉殿と親しいものが割拠し、更に大垣にほぼ羽柴の寄騎の堀秀政、その先は羽柴の陪臣、石田三成の武器庫、近江佐和山城ですぞ。それだけならまだしも、東美濃は石田三成が和睦させた斎藤利治と森長可、北の飛騨も石田三成に恩義を感じている斎藤利治、美濃の先の信濃は一国丸々石田三成の手下の馬場、依田に、あの仁科、さらに三成と親しい森がまた海津、と実質石田三成の領国ではないか!岐阜は西も東も北までも石田の手のもので囲まれているのだぞ!」
「三成はわしの配下でわしに忠実であるし、信孝様と敵対する意志もないのだから問題ないではないか。」
と秀吉様。
「なにをいう。三成めは上杉や徳川とも話をつけていると言うではないか。これでは岐阜のわたしは檻の中にいるようなものだ。」
「そのようなことはありません。どうして私が織田家の方を粗略に扱うことがありましょう。」
と応えた。
「そういうことだ。佐吉は織田家の配下たるこの羽柴秀吉に仕えているのだから全く問題はない。
わしと信長様には実に忠実な裏表のない男じゃよ。安心なされよ。」
「そうだ。佐吉はわしの体も治してくれた良いやつじゃよ!」
と丹羽長秀様も助け舟を出してくださり、当初の予定通り信孝様は岐阜城主、と決まった。
「おのれ羽柴秀吉…おのれ石田三成…このままでいられると思うなよ。」
信孝様がブツブツ呟いており、それを慰めるように柴田勝家様と去ったのは激しく気になるけど、まあ置いておこう。その後信孝様の仲介で信長様の妹、お市の方様の柴田勝家様への輿入れが決まった、と聞かされた。
あ、俺の方の話はどうしよう。家康様に『急がなくても大丈夫』と仰っていただいたので後で考えよう。




