石田三成、天正壬午に乱入する II
俺、石田三成隷下の土鬼隊と森長可殿率いる森家のヒャッハーな皆さんはついに信濃に乱入した。まずは木曽路の入り口、木曽義昌のところである。
「木曾殿。」
森長可殿が声をかけると木曽義昌は幽霊でも見たかのごとく飛び上がった。
「森様ぁ?うちは倅がまだ五体満足で帰ってきたから良かったですが、また信濃に何のようで?」
「要件はわしから伝えよう。」
「馬場美濃守?生きていたという噂は本当だったんで?」
「うむ。石田三成様のところでお世話になっておる。ところでお主が武田を裏切った代償に信長公からもらった深志城だが…」
「返します!深志城主っていったら馬場様です!返しますから皆様どうかお手柔らかに。」
「別に取ってくおうというわけではないのだ、木曽よ。」
「ひぃぃぃ。仁科盛信様!裏切りは生き残るためにしかたなかったのです!どうか、どうか成仏してくだされ。」
「わしも生きているぞ。木曽よ、過去の行動は問わん。深志を馬場に返して今後石田三成様とその主君である羽柴秀吉様の命に従うか?」
「従います、従いますとも、なんまんだぶなんまんだぶ。」
「だから生きておると言うに。」
「ひぃぃぃぃぃ!土屋昌恒までも。どうか斬らないで!許して!」
木曽義昌の混乱が落ち着いた後、木曽には深志城を馬場に譲り、この後味方をする約定を取り付けた。自分が助かるというだけでも儲けもの、という顔をしてはげしく首をブンブン振って木曽はうなずき、求めてもいないのに血判状まで持ってきた。
そして木曽からの援軍を加えて、我々は深志城に着陣した。
「深志城よ!私は帰ってきた!」
馬場美濃守信春が感慨深そうにつぶやく。
「木曽よ、今把握している事態について説明せよ。」
「はっ、三成様大明神様、現在海津の春日信達(高坂昌元)は上杉景勝に接近すると共に北条氏直にも使者を送り、日和見をしております。北条は碓氷峠を超え佐久に入りましたが、砥石城の真田昌幸(武藤喜兵衛)と手切れになり、沼田を攻めつつ小諸を放棄して甲斐に侵入、徳川家康が守る新府城に向かっております。その数3万。」
大明神はいらねー、と思いつつ更に聞く。
「3万か。高遠は?」
「はっ、盛信様の高遠城は信長公から与えられた毛利秀頼が本領に帰ったため実質空城となり、徳川と北条が睨み合っています。現在は徳川についた依田信蕃が守っているようです。依田信蕃は信濃諸城主に徳川家康に味方するように呼びかけています。」
「甲斐は?」
「河尻秀隆が殺害され、徳川家康殿が甲斐府中を押さえました。しかし西からは先程申し上げた北条3万と新府城で睨み合っており、東も都留郡を北条に押さえられ、これまた3万の兵と相対しております。」
…徳川家康殿は甲斐でちょうど北条に挟まれている形になっているらしい。
「よし、まずは信濃の諸城を味方にするぞ。まずは真田昌幸殿に使者を送るのだ。お味方すれば信濃・上野双方の本領を安堵し、上野はさらに切り取りを認める、と。」
真田昌幸は『長篠での兄の仇』である俺に従うことを渋ったが、北条や徳川よりも明らかに良い条件であったこともあり、最終的には味方をしてくれた。
「あなたがあの『長篠のスコップ戦鬼』石田三成殿ですか…」
『表裏比興の者』と称される(まだされてないけど)真田昌幸はやはり知性と陰謀にあふれる、と言った顔をしていた。髭が生えたギレンか。
「人質にこの信繁を預けていきます。どうかよろしく。」
…通称真田幸村ゲットー。個人的にはお兄様のほうが最強と思っているけど。
真田を味方につけた我々は早速海津城に進軍した。
「かーすがーくん、あーそぼーよー。」
森長可殿がノリノリである。
「僕の海津城返してよー。」
「わああ、あれだけ無体な事をして人質皆殺しにしてまだやり足りないというのか!」
春日信達が反発する。
「うん。足りない。今度は君の首がほしい。膵臓が食べたいわけじゃないから安心して。」
なにが安心できるのだか全く理解できないが、森長可殿はぶっ殺す気満々である。
でもこの春日信達、あの名将高坂昌信(春日虎綱)の跡取りの癖にあっちにフラフラ、こっちにフラフラ色気出しては陰謀ではめようという蝙蝠野郎なのであまり同情できない。
「銃隊、構え、目標、あそこの武将と言っているデブ。」
長可さん春日の扱いが酷すぎる。
「銃でバッチリ撃ち殺してやるから!逆さ磔とかより十倍楽だから!だから動くなよ!」
…確かに楽かもしれないがもうちょっと人権を考えても…
「放て!」
…こうして春日信達さんはあっさり討ち死にしたのでした。弟は逃げられたので春日家全滅とは行かないですみましたが。
「俺もやるやる!海津城よ、俺は帰ってきたぁ!」
櫓の屋根の上でシャウトする長可様。心底楽しそうでなにより。
海津城を手に入れた我々は、ひとまず押さえに長可様をおいて、更に北上して越後に入った。
越後を攻めるつもりはない、と使者を送った所上杉家からは直江兼続が派遣されてきた。
「直江兼続です。以後お見知りおきを。」
「石田三成です。よろしくお願いします。」
こうして本来の歴史でもマブダチな俺達は出会ったのであった。




