後始末
織田信長は本能寺の地下の脱出路を森乱丸、力丸、坊丸と進んでいた。
「上様、脱出の際に時間稼ぎで火を放ったのは失敗でしたね。」
坊丸がぼやく。
「お陰で煙に追われて燻される羽目になりました。…助かったからいいけど。」
力丸が応える。
「まあそう言うな。さすが石田殿、中途に換気も良い休憩できる部屋があり、糧食まで用意されていたお陰でしばらく潜むこともできたではないか。」
乱丸が返した。
「うむ。騒ぎも収まったようだし、追手の姿も数日潜んでいたが見えず、そろそろ出口に向かうか。」
「はっ」
信長の命にかしこまる三兄弟。出口に偽装されている民家がなぜか崩れかけており、それをどかしながら脱出するはめになった。時間がかかったのでまた糧食等を休憩所から運んだりもしたのでさらに時間がかかった。
「佐吉め!凝り過ぎだ!」
信長は思わずぼやいた。
「ふぅ…やっと出られたぞ。上手く行けば石田三成が迎えに来ているかもしれんな。む?あれは?」
信長が見た先にいたのは羽柴秀吉だった。脇には忍者が数名控えている。
「上様。ご無事で何よりです。」
「うむ、秀吉か。大儀であった。さっそく安土に戻ろうか。」
「なりませぬ。」
秀吉が応える。
「なぜだ?」
「上様は明智光秀に討たれた事になっており、先日大規模な葬儀をあげました。」
「なに?明智?明智は関係ないぞ。来たのは信忠だった。」
「その信忠公を明智光秀が討ち取り、本能寺は灰燼に帰しました。明智光秀は私が討ち取ってございます。」
(それって火を着けたわしも悪いかも…)信長は焦る。しかし、
「しかし表に出て間違いだった、と頭を下げればすむだろう。」
「上様は石田三成が話していた『カタカム・ズシムの故事』をご存知ではありませんか?」
「カタカム・ズシム?…そういえば・・・うぅむ、今ひとつ出て来ぬ。」
「ザブングル、という戦記の逸話です。文化が果てた世界でカタカム・ズシムという一軍の将が戦で行方知れずになった後、自軍に戻ったのです。その際、立派な自分の葬式が挙げられているのを見てカタカムは感激し、いづことも知れず去った、人々は後にカタカムの男らしさを称賛した、という物語です。」
「うぅむ。わしはすでに死んだ事になっている、と。」
「はい。これから出てきても影武者や偽物として容易に処する事ができましょう…」
「信忠も死んだ、と。」
「明智光秀に討たれました。」
…信長はしばし考えた。
「どうやらわしの負けのようだ。わしは死ぬのか?」
「いえ、上様のお命をいただくつもりはありません。私の脇の伊賀者共もそれは許さないでしょう。」
「その忍者は佐吉のか?」
「はい。私は佐吉の上司ですから佐吉の意に明らかに反しない限りは私の命を聞くのです。」
「で、わしはどうなる?」
「叡山に上がっていただき天台座主になるというのは…」
信長は笑って応えた。
「信忠と同じことを言うな。」
「冗談にございます。ひとまず志摩の九鬼嘉隆の所に屋敷を用意させていただき、そこで温泉にゆるりと入って休んで頂くのはいかがでしょう?」
「その後は?」
「佐吉が作らせている戦列艦が揃ってきたら上様には海外に渡っていただきたい、と。」
「うーむ。むしろ最終的にはわしの夢が叶う、というわけだな。秀吉、温泉が有馬の湯でなくてよかったぞ。有間皇子のように処分されてはかなわん。」
「ではこの伊賀者たちが案内いたします。乱丸たちも同道ねがいます。」
「わかった。いう通りにしよう。秀吉よ、後はお主に託すが、せめてわしの子どもたちには手をくださないでくれよ。」
「…善処します。」
そうして織田信長と森三兄弟は伊賀者に密かに護衛されて志摩の温泉に向かったのであった。織田信長は伊賀攻めの際に石田三成が伊賀者を逃してくれていたお陰で、伊賀の里を焼いたものの恨みを買うことが少なかったのがもっけの幸いであった、と密かに胸をなでおろした。彼らの先行きについては…しばしこの物語がすすんでからの話になる。




