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二度目の異世界は関が原と一緒に

起きたらまた関が原だった。

これはループものなのか?

また小早川秀秋に土下座に行くのか?俺、などと考えていたら島左近が声をかけてきた。

「殿、どうなされた。皆様お集まりですぞ。」

 自分はやっぱり石田三成だがここは関ケ原ではないらしい。

「岐阜城の織田秀信様はあっという間に敗北して落城したそうだ。」

「となると決戦は関ヶ原。」

諸将が集まっている。俺はちょっと用があるので京に行ってくる、と言い残して

急ぎ京と大坂に向かった。そこで手持ちの財産・人脈すべてを使って必要なものを手に入れると

急ぎ馬を返して関が原に到着した。

 自陣に到着すると島左近や舞兵庫に命じてある工作をさせた。

そのまま人をやって島津義弘殿や大谷吉継殿にも同様の準備をしてもらったのだ。


 それが終わると俺は松尾山城に向かった。まだ時間も早めだ。

伝令はやはり石田三成本人が来たと言ったら前回と同じように驚いていたが、

無事に小早川秀秋に合うことができた。


 「石田三成様がわざわざご足労とはいかなる御用かな?」


小早川秀秋の眼光はやっぱり鋭い。この人顔はむしろ可愛い系なのに眼光鋭すぎて怖い。


隣にはやっぱり徳川家の軍監、奥平貞治がビシッと控えている。


「本日は羽柴秀俊様にお味方いただきたく、参上いたしました。」

「羽柴秀俊とは私の古い名を…お味方とはいかなる意味かな?」

「逆賊を討ち果たし天下安寧を得られた折には羽柴秀俊様に関白になっていただき、

豊臣の氏の長者になっていただきたく。」


 小早川秀秋の顔が歪む。


「何を言っておるのだ。豊臣家の主は秀頼様であろう。お主逆心を抱いたか?」

「秀頼様はまだ幼く天下を治めるにはまだ足りません。

かと言って内府のような羽柴家の血のつながらないものが治めるのは、

仮に預かるといっても将来が安心できません。この戦のあと豊臣家の所領を自分の味方に

ばらまくつもりとも言われています。(歴史知識からいっているから嘘ではないよね。ふふん)

そこで本来太閤殿下の養子であり、正統な後継者であった秀俊様に羽柴家と関白を

継いでいただきたく思います。

しかし秀頼様をないがしろにするのではなく、秀俊様が秀頼様の岳父となり、

秀頼様が十分に成長なさったら今度は秀俊様が亡き太閤殿下のように太閤の座についていただき、

天下を守る、というのはいかがでしょうか?」


「戯言を。そんな空約束をしても意味はないぞ。」

「空約束ではございません。こちらは『天下安寧の後羽柴秀俊を関白とし、豊臣家の氏の長者とする』と


記された勅許と、諸公卿達の書状です。


元々秀俊様公卿の皆様とは親交厚く、秀俊様なら関白をおまかせしても良い、とのことでした。」


「こちらは秀頼様とご母堂の淀の方様からの書状でございます。天下平穏がなされた暁には

秀俊様を第二の父として敬い、天下についてご指導お願いしたいと。」


 これを聞いて小早川秀秋は立ち上がった。

「よし。この羽柴秀俊、天下のため、秀頼様のために尽くすことを誓おう。」

 これを聞いていた奥平貞治が慌てて立ち上がる。

「秀秋様、内府様とのお約束は。」

「ええい。国政を壟断する佞臣、内府には退いていただくのが正しい道なのだ。

そちの命は取らぬから内府のところに帰るが良い。

次に見えるときは正々堂々と戦おうぞ。」

と言って書状をもたせて陣から追い出してしまった。

そして俺の手を取ると

「忠臣石田殿、そなたのおかげでは私は目が覚めた。豊臣家、天下のために共に闘おうぞ。」

と固く握手をした。俺は何度も礼を言うと自分の陣に戻った。


 今度はやるべきことができた気がしたので、

その晩、俺は久しぶりにぐっすりと眠ることができたのだった。


 翌朝、霧の中で関ヶ原の戦いが始まった。相変わらず宇喜多勢と福島・松平忠吉が交戦している。

我が陣のところにも黒田長政が襲いかかってきた。しかしここからが今回は違うのだよ。

 「先陣を切らせてもらえないとなんか物足りないですなぁ。」

と俺の隣で島左近がぼやく。


 そう。島左近に先陣で交戦させるのを禁止したのだ。黒田隊は我が方に向かって突貫してくる。

相変わらず見事な突撃だ。しかしそこで見たのは立ち並ぶ柵と広がった塹壕だった。

 そう。こちらも織田信長の軍勢の末裔なのだ。長篠の真似をして何が悪い。

ちょっと第一次世界大戦風味だけど。塹壕に身を隠して一方的に射撃し、

ついでに火炎瓶(流石にガラスは使えないので陶器で作らせた)をホイホイ投げさせたのだ。


 こちらも決定的に打ち破ることはできないが向こうもどうにも攻めあぐねて膠着状態になってきた。

島津殿や大谷殿のところも同様に準備をしてもらったので、西軍は実際に戦っているのが

小勢の割には持久戦の状態を呈してきた。


 このまま守りを固めて本来想定されていたような長期戦に持ち込み、和平交渉をゆっくりすすめるのも悪くはないのだが、ここで先に打っておいた手が炸裂する。


 宇喜多隊が福島正則を後退に押し込み、徳川家康の本隊を歯牙に捉える所まで来たのだ。

その時松尾山から巨大な軍勢が駆け下りてきた。

豊臣家を守る騎士となった小早川秀秋の軍勢15000である。

 裏切り?

 いや、今回はそんなことはなかった。そのまま松平忠吉と福島正則の部隊を粉砕して

宇喜多隊と轡を並べて家康の本陣に向かっていくではないか。


 プロイセンの将官、メッケルが明治の世になって言ったとおり「西軍の勝ち」の必勝体制である!


「やったぞ!金吾殿が徳川に食らいついた。当方の勝利だ!」


思わず歓声を挙げる。それに我が隊の兵士も勇気づけられてついに黒田隊も後退を始めた!


「長篠の再来だ!追撃して名のある将を討ち取れ!」

「おう!」


ここで俺は島左近や舞兵庫、蒲生郷舎など我家が誇る精鋭を投入した!

これで変なビームを出す戦車とか謎の巨大鬼とか忍者の操る空中戦艦でも出現しない限り勝てるぞ!!!


…と思ったけど負けました。はい。


…小早川と宇喜多はすごい勢いで徳川の本陣に殺到したのだけど、相手は海道一の弓取りなのよね。

しかも現地の司令に本多忠勝。

徳川側の前線ちょっと崩れたと思ったけど、そこに本多忠勝が現れて叱咤しながら戦っただけで

立ち直り、それどころか押され始めたの。

 だって徳川の本陣だけでも3万いて、宇喜多+小早川でも兵力は同等以上、

しかも宇喜多も小早川も戦った後なのに徳川はこれからで疲労が段違い。

 そこに本多忠勝が現れて前衛は突き崩されるは、忠勝には射撃しても当たらないわ、

でやや押され始めたところに、ここにいないはずの人が現れた。


 それは水野勝成。お前関ケ原本戦は外されてたのじゃなかったのかよ。

でもこちらも話変えちゃっているから他でも変わっていてもおかしくない、

ってことをここに来て俺は理解した。ヤバい。


 水野勝成は天正壬午の乱の時に数万の北条軍に突っ込んで大将首とってくるほどの猛将だ。

多分単体の戦いとかさせたら戦国で一番恐ろしい人の一人かもしれない。

そんな水野が、よりによって結構な数の手勢をもって、本多と戦って膠着している

宇喜多隊の側面に突っ込まれたからたまらない。


 あっという間に宇喜多隊は崩壊。今回は宇喜多秀家は泳いで逃げるスキもなかったらしく

捕縛されてしまった。後で泳いで逃げたらしいが。


小早川秀秋は踏みとどまって戦っていたけど、こちらはなぜか史実通り裏切った脇坂安治に

後ろから挟まれ、さらに負傷しながらも持ち直してきた松平忠吉と井伊直政にも囲まれ、

正面は本多忠勝と水野勝成と取り囲まれてしまい、

「嬲り殺しとは人面獣心なり。」

とどこか言う人が間違えている気がするセリフを吐きつつ討ち取られてしまったそうだ。


 関が原はまたいつものように西軍の負け、で勝負が決まった。


 その後は何時ものように島津義弘が正面突破したり、という流れになった。

できれば今度があったらいつも捨てガマリで死んでしまう豊久さんもなんとかレスキューしたい。


 俺はまた伊吹山の山中で捕まってしまった。

腹を下すのは嫌なので水は沸かしたりして頑張ったのだが。


 二度目に拝見した徳川父子は相変わらず立派だった。神君オーラ出ている。


 今回は本多正信とも話す機会が多く、お互い内政官僚としてなんか意気投合した。

 刑が決まるまでの間にとにかく機会を作って柳生石舟斎、宗矩親子と仲良くなった。

これは絶対譲れないのだ。なぜなら切腹のときの介錯を柳生親子にお願いするからなのだ。

今回もなぜか斬首から切腹にはしてくれたのであった。謎の気遣い。


 家康様に必死にそこだけは、と訴えたのもあって、六条河原での介錯は柳生宗矩がしてくれた。

前回はひどく手間取って辛かったが、さすが柳生新陰流。

気づく間もなくスパッと首が胴体から離れたのであった。


今回で終わりかもな、と思っていたら

ブーーン。と音がしてまたエンドロールを見る羽目になった。


 なになに。小早川秀秋は徳川家康が将来豊臣家を簒奪して滅ぼすことを予感して

身を捧げた忠義の武将、になっている。

秀秋に当てた文書は徳川家にはバレていて、豊臣家は家康が秀忠に将軍を譲ると同時に

それまで文書の件を持ち出されて浪人を集める暇もなく大阪城に立てこもるも3日でケリが付いて全滅。


なので史実の真田幸村的な人気で小早川秀秋が取り上げられているようなのだ。

徳川幕府は末永く二百数十年…小早川領は最初から池田輝政に与えられたのね。

大谷吉継は病気のため切腹などにはならず改易・蟄居のみでまもなく死去か。


…うーん。歴史の修正力かこれは?

今度があるなら次はペニシリン作らなきゃ。とか思っていたら目が覚めた。


まだ俺の石田三成は続くらしい。

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