山崎夏のパン祭り
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本能寺の変は今日で一段落です。明日からはまた佐吉さんの活躍になります。
「「「「進軍!持怨!進軍!持怨!」」」」
燃える炎の火の玉となった羽柴秀吉率いる軍勢約4万は、姫路から凄まじい雄叫びを挙げつつ摂津・山城国境の山崎に到達した。道中の凄まじい号令は付近の住人に感銘を残し、後に港として整備され発展した神戸の町では、夏に『慈恩祭』と呼ばれる武者行列の祭りが開かれるようになったという。持怨、ではあまりにもおどろおどろしくなってしまうので転化したものであろう。
山崎では明智光秀が率いる約1万が待ち受けていた。明智光秀は『私は信長公を殺していない』と各所に訴え、畿内安定のための勅許を朝廷に要請したものの
「猟官活動か。主殺しのお主がとても持つとも思えないから半年後にまた来れたら征夷大将軍にしてやる。」
と、にべもなく断られたのである。
情報が錯綜したこともあって頼みの大和の筒井順慶は全く動かず、丹後の細川父子も『信長父子に弔意を示す』と言って引きこもってしまい、秀吉勢が近づくにつれて逃げ出すものも多くなってきたのだ。
明智光秀は秀吉達に誠意を持って説明すれば通じる、と信じていたが、全く取り合われない危険も高かったため、硬軟両方に備えて布陣して待ち構えていたのである。
両軍が向かい合う。明智光秀は『ららぁ、私を導いてくれ…』とつぶやいてから前に進み出て呼びかけた。
「秀吉殿!」
「光秀か?なんだというのだ。」
「お願いだ、話を聞いてくれ。」
しばし考えた後秀吉は応えた。
「よかろう。明智殿の言い分、聞いてみようではないか。」
話を聞いてもらえると知り、明智光秀は若干安堵して息を吐いた。それから
「信長公を討ったのは私ではない!信じてくれ!」
「ではどうなっていたというのだ!」
「私が京に入った時には、すでに本能寺は信忠の軍勢に包囲され、炎上していたのだ!私はその信忠を討っただけだ!信忠も『私はやっていない…』と言っていたが本当だかどうだか。その後本能寺の焼け跡を探してみたが信長公は見つからなかったのだ…信じてくれ!私は断じて信長公を襲っていない!」
「うむ。信じよう。」
秀吉の言葉に光秀の顔が明るくなる。
「秀吉殿!信じてくれるというのか!共に畿内の安寧を取り戻そうぞ!」
「うむ。光秀殿が信長公を襲っていないことは信じよう、だが」
と言って秀吉は続けた。
「光秀殿よ、我らは織田家臣で間違いないな?」
「何をいう、我々は織田の家臣に決まっておろう。」
「信長様は織田の家督を信忠様にすでに譲られている。よって我々は今現在、信忠様を主君として仰いでいるのではないか?」
「あ…」
光秀の背筋が寒くなった。そこに秀吉が続ける。
「光秀殿が信長公を襲っていないのは信じよう。しかし貴殿は信忠様を殺した。よって貴殿は紛うことなき『主殺し』である!有罪である。」
「待て、待ってくれ、それは信忠様が信長様を殺したと思ったからで…話せば分かる!」
「問答無用!鉄砲隊!放てっ!!」
秀吉の号令とともに凄まじい数の小銃から銃弾が放たれた。
「殿!危のうござる!下がって、下がって!」
明智光秀重臣の斎藤利三が慌てて光秀を自陣内に連れ戻す。
「私は信長公をやってない…やってないのだ…」
呆然と呟く光秀。斎藤利三は近くの者に
「殿を連れて後方へ下がれ!ここはわしが食い止める!」
と光秀を馬に乗せて強引に後方に下がらせた。
…ここは私が食い止める、と奮戦した斎藤利三であったが、4倍にも届こうという兵力差、信長公の敵討ちに燃える戦意の高さ、そしてそもそも石田三成の影響で新型銃の装備率が非常に高い羽柴家の部隊の装備差、とあらゆる要素が明智勢の不利を示しており、そのとおりにあっという間に明智の軍勢は瓦解してしまったのであった。
戦場にほど近い山崎の町は、明智光秀が禁制を出していたのが仇となり、『逆賊明智に組みした』とされ、羽柴勢に完膚なきまでに焼き払われることとなったのだった。その炎は7日間に渡って燃え続け、『火の七日間』と言われたという。
この戦いの際、羽柴勢は重量が重く輸送が大変な大砲の搬送を後回しにして、ほぼ小銃のみで戦ったため、『パンッ!パンッ!』と乾いた音が戦場中に響き渡ったという。
そのため、この戦いは『山崎夏のパン祭り』と呼ばれるようになり、再建なった山崎の町では後に明智光秀を偲んで夏になるとパンを食べるようになった。
明智光秀は周囲を守られながら馬に乗り、居城、坂本城に向かって敗走していた。小栗栖の辺りを過ぎた時、小銃の乾いた発射音が響いた。
「なんだか先日偉そうなお侍が来てここを通る一団があったら撃っとけって言って大金と鉄砲を置いていったんだよなぁ。手応えあったと思うんだが。あれだけ数が居たら確かめに行ったら返り討ちだな。まぁ金はもらっているしこれでいいべ。」
と射撃した地元の者は呟いた。(この時代、普通の農民もいざ戦闘となれば足軽として駆り出される戦闘員なので武具の扱いには慣れている。)
近習は速度を上げて振り切り、追手がないことを確認して一息ついたが、その途端、光秀が馬から崩れ落ちた。
「光秀様!もう少しで坂本です!」
近寄った配下が声をかける。
「もう良いのだ…ああ、ららぁ…私にも刻が見えるぞ…」
そう言い残して明智光秀は絶命した。
山崎の大勝利を受け、羽柴秀吉は京の町に凱旋した。
続きプランBにします!
すみません。
明日出します。




