中国大返し
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俺は石田三成。なんだか久しぶりな気がするぜ。備中高松城に旅立つ前に信長様には明智光秀殿に気を使うようによーーーく念押しをしておいたから多分二人は和解して幸せな未来にレッツゴーするはずだ。最終的には日向守の名前通り宮崎あたりにリゾート建設していただき引退してもらえたら何よりだ。もし万が一和解に失敗して本能寺の変が起きたとしても、本能寺には脱出路が張りめぐされてあり、その経路は俺と(縄張りした馬場&ダンペア)と信長様しかしらないので信長様は京の外へ脱出できるはずなのである。
無事脱出したら山の中で服部半蔵の娘あたりを口説いてもらって『夢幻のごとく』ルートに突入していただくのだ。そうすれば関ヶ原など起きずに最終的には鉄甲船を山越えさせてコンスタンティノープルを陥落させて世界統一だぜ。
…などと妄想しつつヤキモキしていたら、伊賀者から情報が入った。ニンニン。
…え?本能寺炎上?下手人は明智光秀?光秀本人は違うとか言ってるって?なにがなんだか分からない。
伊賀者の情報は早速秀吉様に伝えられた。
「信長様っ!」
と言って秀吉様が涙をこらえて震えている。なんか『お館様っ』っぽいのが気になる、とか不謹慎なことを考えてしまった。
「御運が開けましたな。」
あ、黒田官兵衛様、それ言っちゃだめなやつ。以後それで警戒されるんだってば。
すると秀吉様は官兵衛様の方を向いて言った。
「開けました?だと?何を言っているのだ。だからお前は陪臣止まりなのだ。」
そして不敵な笑いを浮かべて言った。
「運は開けるものではなく自分で開くものなのだよ。」
それからは史実通り大慌てで撤収にかかることになった。安国寺恵瓊を丸め込み、休戦協定の交渉をする。
毛利の陣に白装束で現れた俺を見て毛利の大将、吉川元春は
「なんじゃ!白装束の石田が来たということは我々兄弟も腹を切れということかぁ!」
といってちょっとキレ気味。
小早川隆景様が宥めてくれてようやく話を始め、清水宗治様も助命してもこちらとしても差し支えない、と伝えたが
「石田三成様が御免状を与えていただけるなら清水宗治、自らの命でこの戦を収めたいと申しております。」
と言われてしまい、清水殿の切腹で和議となった。
清水殿の切腹は俺が完璧にコーディネートし、清水殿に御免状を差し上げた。清水殿は
「これで思い残すことなく逝けます。残る者の事はくれぐれもよろしくお願いします。」
と堂々たる態度で船に乗られた。
そして作法を完璧にこなした清水殿はケチのつけようがなく完璧な切腹をされた。
それを見守る両軍の兵で涙を流さなかったものはいない、と言われるほどのものだった。
俺も切腹マスター引退でいいんじゃない?
その後は本来信長公を迎えるために整備していた街道をフルに逆向きに活かして兵を姫路に戻したのは史実通りだ。武具は姫路に大量にあるし、食料も替え馬も中途の拠点に用意してあるから鎧兜を脱いで身軽に身一つで全力行軍だ!もったいないのは急がない部隊を編成してあとからひろって車に積んでえっちらおっちら帰ってきた。(結構量があって本当にもったいなかったので良かった。)
そして秀吉様は精鋭を引き連れて、途中から新造なった高速戦列艦『金剛』『比叡』に乗って姫路にまっしぐらに向かった。俺と土鬼隊も乗っていったが相変わらず船酔いで参る。瀬戸内は海がおとなしくてまだマシなんだけど。
船の部隊は2日で到着し、残る部隊も3日で着いた。いくら身軽とはいえ早い。
姫路に到着したら丹羽長秀様率いる四国攻略軍と摂津の諸将が何故か在陣していた。
何故だ、と思ったら四国に出発する前にどうしても信長様に言っていきたいことがあり、その準備をしていたのだと言う。
「これ信長様に読んでもらおうとしたんだけどなぁ。」
長秀様がちょっといじけています。
「書くのに熱中して周りを遮断していましたから本能寺の件も『後にしろっ』とか言って硯投げつけてきましたよね。」
と長束正家さん。
「下手に口出すと津田殿のように処されそうで…」
と織田信孝様。
これで集まってきた羽柴勢2万に長秀様と摂津の兵を合わせて3万5千を超える圧倒的な兵力となった。姫路城にしこたま溜め込んでいた糧食や金銀が振る舞われ、兵の士気が高まる。
そして秀吉様が皆に姫路城の西の丸の大きな広場に整列するように通達されたのであった。




