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七将は来た。

 伏見の屋敷で増田長盛の軍勢に囲まれた、俺、石田三成。

絶体絶命かと思ったその時、新たなる軍勢が現れた!いわゆる七将のみなさんだ。

ここで増田と合流して七将襲撃発生か?でも逃げられそうもない!もうだめだ。


「石田三成公に手を出すのは許さん!」


先頭で声を上げるのは見事な髭が特徴的な加藤清正だ。


え、助けてくれるの?セイショウコさま素敵。ヒゲの美しさもあって美髯公

関羽様に見えてきた。


「太閤の遺命に背き、豊臣家の所領を勝手に恩賞に配る逆賊、石田三成を成敗して何が悪い。」


増田長盛が喚く。俺この三白眼嫌い。


「朝鮮の役は太閤殿下の命によるもの、とはいえその負担に苦しんでいた我々を石田殿は助けてくれたのだ。」


細川忠興様が返す。ボッチなのを笑われたのを根に持っていて悪かった。


「それとも我々とここで一合戦いたすか?」


地味加藤こと加藤嘉明様がいう。もうみんなありがたくて様つけちゃう。

地味とか言ってごめん。甲冑西洋鎧だし抜いた刀はサーベルだし加藤嘉明存外お洒落。


 戦になったらもう、形だけ侍に近い増田長盛とか長束正家ともともと武勇に優れ朝鮮で実践積んできた七将とは格が違いすぎる。

 増田長盛は忌々しそうな顔をして、ブツブツ言いながら引き上げていった。


 俺は思わず七将に土下座した。


「助けていただきありがとうございました!!」


 浅野幸長が話しだした。


「何をいう、石田殿。朝鮮で疲れていた我々のために体を張ってくれたではないか。」


池田輝政も続けた。


「内府様も石田殿が動かなければ増田の目論見の通りになっていただろう、とおっしゃっていたぞ。」


 俺たちは相談して、自分の屋敷ではまた増田たちに襲撃される恐れがある、ということで俺と仲の良い佐竹義宣殿の所によって更に護衛の数を増やしてから徳川家康公のところに匿われることになった。


「ふん、治部、借りは返したぞ。」


家康殿に引き渡される時に福島正則が仏頂面で言い残した。しかしその口元は少し緩んでいるようにも思われた。


「三成殿、今後はどうするおつもりで?」


 家康公が聞いてきた。


「もはや他の奉行との関係は断裂状態…ここは揉め事を回避するため私は奉行を引退して佐和山に帰ります。」


 こうして後に「七将襲撃」ではなく、七将守護、と言われた事件は終結した。

この件は太閤殿下の威光を笠に着て専横を尽くそうとする奉行衆が、それを押し留めて融和を図ろうとする石田三成を追放した事件として知られ、実質的な奉行制度の崩壊、とされている。


 佐和山城で絶賛引きこもり生活、じゃなくて内政に勤しんでいた俺のところに便りが届いたのはしばらくしてのことだった。

 前田利長殿が大坂城で家康公に謀反の疑いあり、加賀を征伐するというのだ。


 加賀征伐は知られるとおり、前田家側が折れて母の芳春院を江戸に人質に送ることで決着がついた。その際、俺は密かに伏見に向かい細川忠興殿を訪ねた。


「悪いことは言わないから貴殿も正妻のガラシア殿を江戸の家康公のところに送りなされ。」


「内府殿はたしかに天下第一の臣といっていいだろう。しかし前田のように直接当家と揉めたわけでもないのになぜ?」


「私が増田に襲われたように大坂や伏見は必ずしも安全ではありません。逆に内府殿の江戸を脅かす存在は天下にありません。

もし忠興様お一人で江戸に妻子を送るのが目立ちすぎる、というなら藤堂高虎様や池田輝政様もお誘いしてはいかがか?

特に藤堂様ならすぐに乗ってくると思います。」


 しばらく考えた後、忠興殿は俺の提案を受け入れてくれた。藤堂高虎たちとともに江戸に妻子を送ったのである。徳川家康はひどく喜んで江戸に屋敷を用意し、細川忠興の妻、ガラシアはその後江戸屋敷で心静かに過ごしたという。

 キリスト教については『ガラシア一代のみ密かに信仰して外に広めないのなら』と言うことで密かに許容された。元々細川忠興はガラシアを決して外に出したり人に会わせたりしなかったので、継ぐ者がいなければ実質的な害にはならないだろう、と裁量されたのだった。

細川家はガラシアの死後、キリスト教に関わるものについては全て破棄するか秘匿するかして、教えを継いだものはいなかったため問題にならずにすんだのであった。


 後に細川忠興は、


「あのとき石田三成公がガラシアの江戸行きを勧めてくれなかったら、その後の戦乱でガラシアは命を落としていたに違いない。石田にはいくら感謝しても足りない。」


と述べ、居城の中に石田三成を祀る神社を建てたという。


 幻の加賀征伐が終わった。

 こうなると次は会津征伐だろう。

 できれば会津征伐自体が発生しないで、さらに目標を移して毛利征伐にもなってくれれば、と俺は期待して、仲が良い直江兼続に自重するように手紙を送った。


しかし、それは時既に遅し、だったのである。


 大坂城二の丸に建った白亜の第二天守、その権勢の象徴とも言われる天守の最上階に俺は呼ばれた。


「徳川家康様、この隠居をお呼びいただいたのは…?」


「貴公は上杉家の家宰、直江兼続と仲が良いからな。この書状を読んでどう思う?」


といって文を渡された。


 …これは直江状だ。きっとそうだ。武家なので軍備をして何が悪い。都のものが華美にするのと何が違う。因縁をつけてくるなら堂々と挑戦に乗るぞ、と挑発してきたとされる文だ。

 よく言われるものはいくらなんでも物語的に誇張されていて、実際にはもっと控えめで実務的なものだったのでは?と言われているから、現物はどうかと思い、覗き込んでみると、


「男のケツと温泉だけが生きがいの名前ばっかり有名で大したこと無い戦国武将、武田信玄に全く勝てずに糞漏らして逃げ回った大狸様へ。

 当家はその武田信玄を戦場で『小僧が、小僧が』と言って切りつけた最強軍神、上杉謙信様の正統後継者である。よって格の違いは明白であり、糞漏らしの指示に従う義理はない。『狸なんかケチすぎて次の天下など取れるか』と言った蒲生氏郷公の言葉に心から賛成であり、蒲生公が作り上げたこの天下一の七層天守から雨あられと銃弾を浴びせてあげたい。そして我家が誇る車懸りの陣を存分に味わっていただき、またクソを漏らす姿をあざ笑って差し上げたい所である。

 正統なる移譲を受けた関東管領上杉景勝(代)直江兼続。

どっかの流れ者の二郎三郎(ププッ二郎で三郎ってどっちよ?)の仮冒の癖に新田源氏とか名乗っちゃっている狸へ。


追伸、青くなってひみつ道具とか腹から取り出したらちっとは役に立つんじゃない。」


…どうしてこうなった。こんなの後世に残せんわ。

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