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6.14 バニシング・ポイント(Layer:1 Main Story)

 

 戦闘を終えると同時に、彼女から発せられていた強烈な気配は消失した。

 ――ようやく、終わったな。

 マイケルは仰向けになって、ほっと一息ついた。

 デイビッドが画策したテロを阻止できた安堵もあったが、なによりもエミリーが無事だったことがマイケルを安心させた。

 思い返せば、今日はほんとうに長い一日だった。今日だけで、一生分の勤勉さを使い果たしたような気がする。

 緊張がほぐれたせいか、身体のいたるところが、忘れていた痛みを訴えだした。肉体的にも精神的にも、疲労しきっていた。このまま芝生の上に寝ころんで、ゆっくりと休息をとりたかった。


 ハノーヴァー公の部下たちが封鎖しているのか、これだけの騒ぎを起こしているのに、ロンドン塔周辺には人影は見られない。

 オーシャンが擱座したタワーブリッジでは、押しかけた数多くの緊急車両が青や赤のパトライトを点滅させ、上空にはヘリコプターが飛び交っている。

 視線を巡らせると、ロンドン塔の向こうには、眩い光の装飾を身にまとって夜空にそびえ立つ高層ビルたちが見えた。不夜城のごときオフィスでは、今も多くの人々が働いていて、その足元にあるレストランやパブでは、人々が食事や酒でつかの間の憩いを得ているにちがいない。

 朝の地下鉄テロに端を発した一連の出来事は、どれひとつをとっても、世界中にニュース速報が流れるほどの大事件ばかりだ。だがロンドンは、その巨大な図体になにもかもを飲みこんで、何事もなかったかのように一日を終えようとしていた。


 感慨に耽っていたマイケルの耳に、かつかつという乾いた足音が聞こえた。 メトロノームを思わせる足音は、エミリーのものに違いない。今日の最高殊勲選手である彼女を、寝転んだまま出迎えるわけにはいかないだろう。

 マイケルは身体を捻って、ゆっくりと上体を起こした。

 思った通り、エクスカリバーを手にした彼女が、怪我人とは思えないほどしっかりとした足取りで近づいてきていた。

「大丈夫か」と開きかけたマイケルの唇は、しかし次の瞬間に凍りついた。

 目の前に、青白く光る剣の切っ先が突き付けられていた。その先端から、ひとしずくの血が地面に落ちる。

 剣からフリルの袖口、そして返り血に染まったアンダードレスをたどって、マイケルの視線が彼女の顔を見上げる。

 ほぼ真下から仰ぎ見てすら、彼女の姿は美しい均整を保っていた。しかし、造物主の愛を独り占めにしたかのような完璧な造形は、作り物のような冷淡さを併せ持っていた。

「エミリー?」

 マイケルの呼びかけに、彼女は眉ひとつ動かさない。そして、低く乾いた声が降ってきた。

「だまれ」

 その声、その口調は、セシルのものだった。

「エミリーと話がしたいんだ。悪いが、替わってくれないか」

 ふん、とセシルが鼻を鳴らす。

「あの子は、もういないぞ」

「いないって、おまえ何を言って……」

 マイケルはそこでようやく、セシルの言葉の意味に気づく。緩んでいた気持ちに、いきなり冷水を浴びせかけられたような気がした。

『わたし、もうすぐ消えてしまうのよ』

 ロンドン・アイで聞いたエミリーの言葉が、今さらのようにマイケルの脳裏によみがえる。

 ――あいつ、まさか。

 デイビッドとの死闘のさなかに、誰に気づかれることも見送られることもなく、彼女は去ってしまったと言うのか。

「エミリーっ! おい、聞こえているなら、すぐに出てこい」

 思わず上げた叫び声に、セシルが顔をしかめる。

「もう手遅れだ。あの子にはあまり時間がないのだと、言っておいたはずだぞ」

 セシルの言葉が、マイケルの心を握りつぶした。

 わかっていた、つもりだった。エミリーの覚悟を受け入れたときから、いつかはこうなると、マイケルもまた覚悟をしていたはずだった。

 けれど。

 俺とエミリー、どこまで行っても平行だと思っていたふたつの直線が交わったのは、それだけで奇跡と言っていいほどのことだった。その先にあったのが、無限に続く未来の始まりではなく、有限の終わりを思い知らされる消失点だったとしても。

 だから、彼女の最後のときがこれほど突然に訪れ、これほどあっけなく彼女が去ってしまうとは思っていなかった。いや、思いたくなかった。なのに……。

 返す言葉も見つからないマイケルに、セシルが追い打ちをかける。

「なのにおまえは警告に従わず、わたしからあの子を奪った。その罪は……」

 セシルがエクスカリバーを振り上げる。

「その命で償ってもらう」

 その意図は、もはや明白だった。

 マイケルは、どんな状況でも自らの生存を確保する訓練を積んでいた。たとえ身体が不自由であっても、ぎりぎりまで相手に抵抗する術も体得している。

 だというのに、身動きもできなかった。

 恐怖ではなかった。エミリーがいなくなったという現実を理解できないままで、心も身体も停止していたのだ。

 マイケルの思考が追随できない速度で、エクスカリバーが振り下ろされる。

 迫りくる死を他人事のように眺めていたマイケルは、突然のタックルを受けて芝生に転がされた。


 マイケルの代わりにエクスカリバーの斬撃に身をさらしたのは、聖剣の本来の持ち主だった。

 横顔に微笑みを浮かべたハノーヴァー公は、防御の体勢すらとらずに、セシルの攻撃をまともに受けた。

 ザンという剣戟の音に、キィンという甲高い音が応じる。

 伝説に名高い聖剣は、主に忠誠を示すかのように、ハノーヴァー公の身体に傷ひとつつけることはなかった。

 セシルが呆れたように、ハノーヴァー公を見下ろす。

聖剣の鞘(カラドボルグ)か。持ち主に似て、堅物なことだ。……で、なんのつもりだ、アーサー」

 剣を引いて一歩下がったセシルに、ハノーヴァー公が笑いかける。

「戦友であり功労者である彼を見殺しにしては、さすがに寝覚めが悪いからね」

 そう告げたハノーヴァー公は、ゆっくりと立ち上がると、穏やかな口調でセシルに語りかけた。

「落ち着け、セシル。もう、すべて終わったのだ」

 はっと吐き捨てたセシルは、ハノーヴァー公をにらみつけた。

「なにが終わったものか。わたしをのけ者にして、無様な戦いをした挙句の果てが、このザマだぞ。アーサー、おまえがついていながら、この失態はなんたることだ」

「言い訳はしないよ。エリザベートは、我々とロンドンを守ってくれた。感謝している」

「おまえたちとロンドンを守った、だと?」

 セシルのくっくっという含み笑いは、やがて哄笑に変わった。

「Der Zerstörerである、このわたしが、か。これはとんだお笑い種だ。なるほど、だから『真夏の夜の夢』というわけか。だがな、これほどひどいミスキャストの茶番劇は、観たことがないぞ。その見物料が、あの子だというのか……」

 セシルの顔から、表情が消え去る。光を失った青い瞳の隣で、真紅の瞳には憎悪の炎が燃えていた。

「ならば、思い知るがいい。わたしの怒りを買い、あの子の加護を失ったものが、どのような末路をたどるのかをな」

 レッドスピネルを思わせる赤黒い瞳からの眼差しは、マイケルにもハノーヴァー公にも向けられていなかった。まるで、その目に映るものすべてが、彼女の憎悪の対象になっているかのようだ。そしてそれこそが、いままで彼女から感じていた恐怖の正体であったと、このときマイケルは理解した。

 マイケルとハノーヴァー公に背を向けたセシルは、感情の欠片も感じられない声で宣告した。

「マルチロール・ウエポンシステム、アクティベーション。即ち(モード)完璧なる(アシュームド・)破壊をもたらせ(ディストラクション)


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