6.13 神々の黄昏(Layer:1 Main Story)
デイビッドと対峙するエミリーの顔には、すでに血の気がなかった。それでもなお、彼女は膝を屈することなく敵を睨み続けていた。
『わたしが消滅する前にあいつを斃さないと、怒ったあの子がなにをしでかすか想像もできない。それを抑えられるのは、わたししかいない。わたしが存在する理由と意味が、最後の最後になってやっとわかったわ』
ロンドン・アイで聞いたエミリーの言葉が、マイケルの耳によみがえる。あいつは、ただこの街や俺たちを守るためだけに、命を懸けてくれているんだ。
マイケルの全身が、一気に熱を帯びる。
――絶対におまえを助けにいくぞ。
エミリーの許に行けたとして、何ができるのかわからない。むしろ共倒れになる可能性の方が高いだろう。それでも俺は行かなければならない。エミリーを守り、最後まで一緒にいると誓ったのだから。
しかし、立ち上がろうとしても激痛に阻まれ、果たせずに倒れ込む。
口の中で混ざり合った血と砂を吐き出し、再び膝をついて顔を上げたマイケルの目に、ロンドン塔の上空を横切る航空機が映る。その機影を追うように、二発の鮮やかな緑の光球が打ち上がった。
作戦の成功を知らせる、ビリーの信号弾だ。
「エミリーっ、作戦は成功したぞ」
考えるよりも先に、マイケルは大声で叫んでいた。
張りつめていたエミリーの横顔が、ふっと綻んだように見えた。安心したように、彼女の瞼が下がってオッドアイを覆い隠す。
そして、今まで誰にも屈したことのない彼女の膝が折れ、その身体がゆっくりと地面に崩れ落ちた。
――まさか……。
マイケルの頭から、一気に血の気が引く。
「エミリーっ」
声の限りに叫んでも、倒れ伏したエミリーは微動だにしなかった。高揚感が、一瞬で絶望に変わる。
たしかにデイビッドの計画は潰え、ロンドンの街は壊滅の危機を免れた。救われた人命は数知れず、それに比して払われた犠牲は小さかった。ハノーヴァー公なら、そう言うだろう。だが……。
マイケルは、デイビッドの足元に横たわるエミリーに目をやる。自身の命やロンドンの命運と、引き換えてもいいとさえ思ったひとだった。これでは十五年前と同じではないか。俺はまた、大切に思うひとを、あの男によって永遠に奪われたのか……。
ふがいない自分への怒りを、相手への憎しみに替えてデイビッドを睨む。
だがマイケルの視線の先にあったのは、意外にも沈痛な面持ちを浮かべた敵の姿だった。
「おとなしく余の命令に従っておればよいものを。このようなことで命を落とすとは……たわけが」
そして、航空機が飛び去った西の空を見上げたデイビッドは、肩を落として沈んだ声で続けた。
「こたびは失うものばかりで、得るもののない出征であったわ……」
デイビッドはエクスカリバーを手にしたままで、すべて終わったと言いたげにエミリーに背を向けた。
「さらばだ、姫君」
幕切れを告げるデイビッドの声に重なるように――。
「命じる」
冷たく澄み渡ったその声が、辺りの空気を一瞬で凍結させた。
倒れたままのエミリーの唇は、ほんの少しも動いたようには見えなかった。しかし、たしかにその言葉が彼女から発せられたものだと、マイケルの頭脳は理解していた。
「三世六界の理よ、力となりて、顕現せよ」
彼女の身体が青緑色の燐光を放ち、瞼に隠れていたオッドアイが見開かれる。
その瞬間に彼女が発した気配に、マイケルは圧倒された。身が縮むなどという生易しいものではない。こちらの存在が消し飛ばされそうなほどの圧力だ。
彼女がゆっくりと立ち上がる。燐光を身にまとい、背負った満月に浮かび上がるその姿に、マイケルは息をのんだ。
――なんだ、あれは……。
月の光を浴びた白い髪が、風に揺れて光の粒を撒き散らす。透き通るような肌を濡らす赤い血でさえ、彼女に彩りを添えているように見える。
氷から削り出したような静謐な顔のなかで、ルビーとサファイアの瞳が凪いだ水面のように世界を映していた。まるで、この世界には何事も起きていないかのように。否、この世界の出来事など、その水面にさざ波も起こせぬかのように。
『その座にいますかたは、碧玉や赤瑪瑙のように見え、また、御座のまわりには、緑玉のように見える虹が現れていた』
不意に、マイケルの脳裏を黙示録の一節がよぎった。
時を同じくして、彼女に魅入られたように身動きひとつしなかったデイビッドの顔に、恐怖するかのような表情が浮かんだ。
「そなた、エーデルワイスではないな。いったい何者か」
デイビッドの声は掠れ、そして震えていた。しばし宙をさまよったその視線が、彼女の背後に浮かぶ月を捉えた。
「まさか、そなたは……」
ふっ、とデイビッドが口を歪めて嗤う。
「そうか、そういうことか。そのような姿で、長きにわたって我らを謀り続けておったということか。ならば真の狙いは、我らティターンではなく、ガイアなのだなっ」
血を吐くようなデイビッドの叫びに、彼女が静かな嘲笑を返す。その桜色の唇がちいさく動いて、ひとつの言葉を発した。
「――」
「おのれっ」と口走ったデイビッドの顔が、みるみるうちに怒りに歪む。「そのような目論見など、余が粉砕してくれるわ。ファランクス・ヘタイロイ」
デイビッドが右の拳を握って突き出す。目にもとまらぬその瞬撃よりも、なお速く……。
「来たれ、『聖杯の騎士』」
彼女の右手が、青緑の軌跡を描いて一閃される。
突き出されたデイビッドの右手が、手首から切断されて地面に落ちる。
「まだまだっ」
がら空きになった彼女の頭上に、デイビッドがエクスカリバーを振り降ろす。
「来たれ、『聖杯の守護者』」
頭上でクロスさせた彼女の両腕が、間一髪のところでエクスカリバーを受け止める。
彼女の身体を包む燐光が斬撃を押しとどめ、その体勢でふたりの動きが一瞬だけ止まる。
だがデイビッドの腕力は、少しずつ彼女の腕を押し下げていった。
いくら尋常でない気配を放っているとはいえ、もともと大の男と少女という圧倒的な体格差があるうえに、彼女は満身創痍の状態なのだ。
――なんとかしなければ。
この身体では、あそこまで行き着くことはかなうまい。ならば、ここから出来ることをやるしかない。
マイケルは、腹這いになって銃を構えた。照星の向こうに、デイビッドの持つエクスカリバーを捉える。残弾は一発。やりなおしはきかない。
銃を握る掌、引き金にかけた指、そのすべてに神経を研ぎ澄ます。
「ぐおぉっ」
絶叫とともに、デイビッドが剣を押し下げる。その手首をロックオンして、マイケルは引き金を引いた。
ばん、という乾いた銃声が響いて、デイビッドの手首が跳ね上がった。エクスカリバーが、その手を離れて落下する。
そしてそれは、彼女が差し出した手に、吸い寄せられるように握られた。
瞬きする間もなく、その刀身はデイビッドを刺し貫いていた。彼の背中を突き破った白銀の刃が、月明かりに鈍く輝く。
デイビッドは、虚ろな目をマイケルに向けた。その口が開き、搾り出すような声がした。
「たわけが。この女とともに、滅びの道を歩むか。だが……」
ふっと、デイビッドの表情が綻ぶ。エミリーを見下ろすまなざしに、優しげな色が差し……。
その口から、静かな言葉が流れ出した。
「それが、この世の理というものかもしれぬな。責任を果たさぬままで去るが、許せよ」
デイビッドからエクスカリバーを抜き取った彼女は、舞うように身体を回転させながら斬撃を繰り出した。
白い閃光が、デイビッドの身体に一直線の軌跡を描く。
そして異種の王は、穏やかな笑顔を世界に向けたまま、完全に絶命した。




