6.12 ドント・クライアウト・ラウド(Layer:2 Side story)
ステファニーは携帯電話を操作しながら、独り言のように言葉を連ねた。
「彼はね、いつもあたしをリードしてくれたの。俺についてこいって。子どもっぽいところも多かったけど、まっすぐで頼りがいがあって、そういうところが好きだった……」
テロ対策課の警察官と、ソフトウェア技術者という仕事の関係で、デートは思い通りにはならなかった。しかし、お互いの仕事や立場にも理解を示せるだけの気持ちの余裕はあったから、ステファニーにとってはじゅうぶんに幸せな毎日だった。
けれど関係が深まってくると、ステファニーはマイケルとの間に小さな隙間があることに気がついた。なにかがそこにあって、彼の心の深い部分に届かない、そんな感触だった。そしていちど気になりはじめると、その隙間は日を追うごとに大きくなっていくように感じた。
連続通り魔殺人事件が起きてからは、すれ違いも多くなり、その隙間がはっきりとわかるくらいに二人を隔てるようになった。それが決定的な破局になったのは、スコットランドヤードに捜査本部が設置された日の夜だった。
久しぶりに二人で夜を過ごした明け方、マイケルは悪夢にうなされて飛び起きた。
「ねえ、どうしたの?」
問いかけるステファニーに、マイケルは「なんでもない」とそっけなく答えた。
「あたしでよければ、話して……」
言いかけたステファニーの言葉を、マイケルはぴしゃりと遮った。
「君には関係のないことだ」
その剣幕に押されて口を噤んだステファニーに、マイケルはすまないと謝った。
「これは、だれにも触れられたくないんだ」
深い憂いに沈んだマイケルの顔を見て、ステファニーは恋人に意外な一面があったことを知った。できることなら、自分が力になって支えてあげたいと思った。
けれど、ステファニーにはそのチャンスは与えられなかった。その日が、一緒に過ごした最後の日になったのだ。
「しかたがないと思ったわ。彼の聖域に入れてもらえなかったんだって、諦めようとしたわ。あの子と一緒にいるところを目撃するまではね。彼とあの子、つきあっているどころか、仲が良さそうにも見えなかった。なのに、あの子と彼の間には、あたしが感じていた隙間がまったくないように思えたの。きっとあの子は、彼の聖域もなにもかも手に入れてしまうんだって、ひとめ見ただけでわかってしまったのよ。悔しくて、自棄を起こして。結局、恋も仕事もみんななくしちゃった」
そう言って薄く笑ったステファニーの肩に、ビリーはぽんと手を置いた。そして、訓練で失敗した部下を励ますように、「気にすんな」と言って笑いかけた。
「あの刑事さんにフラれたって、会社をクビになったって、それであんたの人生が終わったわけじゃねえ。無くしたんなら、また手に入れればいい。それだけのことだろ」
携帯電話の液晶画面から顔を上げたステファニーは、驚いたようにビリーを見た。
「それだけのこと?」
「ああ、それだけのことだ」
しばらく唖然として、そしてステファニーはふうっとため息をついた。その口角が上がり、ブルーの瞳に輝きが戻った。
「そうよね……。なんだ、それだけのことじゃない。ごめんね、泣き言なんて聞かせちゃって」
ありがとうと言って、ステファニーはビリーに微笑みかける。
ビリーはへっと短く笑うと、照れたように頭を掻いた。
「で、ドアの開錠パスワードはわかったのかい?」
ええと頷いたステファニーは、テンキーにパスワードを打ち込みながら言った。
「ねえ、これが終わったら、あたしを警察に連れて行ってくれる?」
まるで食事にでも誘うような気軽さで、ステファニーが問いかける。
トカレフを構えたビリーは、こともなげに「いいぜ」と答えた。
「あんたを護衛するのが、俺の仕事だからな。それじゃ、さっさと片付けちまおうぜ」
ドアが開くと同時に、ビリーはコントロールルームに突入した。
倒すべき敵は、すぐに視認できた。トカレフの銃口を、敵に見せつけるように構えて、まっすぐに突進する。
敵は人質を取っている。しかも出入り口は一か所だから、こちらには正面突破しか手はない。言うまでもなく、敵の方が圧倒的に有利な状況だ。しかし、こちらと相手が一対一だという一点において、ビリーには勝算があった。
ビリーの読み通り、敵は人質でなくビリーに、カラシニコフの銃口を向けた。こちらが一人で、火力で勝るとわかった時点で、守備ではなく攻撃に出たのだろう。
その判断は正しかったが、ときすでに遅しだった。
敵が嵩張るカラシニコフを持て余しているうちに、ビリーはスライディングで相手の足を払った。
野球のクロスプレイで弾き飛ばされた二塁手のように、相手はカラシニコフを放り出してもんどりうった。
床に倒れた男の眉間に、ビリーはトカレフの銃口を突き付ける。
「フリーズ」
ビリーが発するはずだったその言葉が、思いもかけない方向から聞こえてきた。
声の方を見ると、どこから現れたのか、別の男がカラシニコフの銃口をステファニーに突き付けていた。
壁を向いて立たされたままで、ビリーは背後の男たちの動きを気配で読み取っていた。
防犯カメラの映像には三人しか写っていなかったが、敵はどうやら四人いたらしい。ビリーは武器を取り上げられ、ステファニーや他のエンジニアたちと同じ、捕虜の一人になっていた。
もう時間は残り少ないはずだ。なにかきっかけを掴んで反撃しないと。
焦りはじめたビリーの耳に、敵の男が漏らした言葉が入った。
「くそっ、早く切り上げてタバコが吸いたいぜ」
「やめてくれ。ホテルの部屋でも、ずっと吸いやがって。俺はタバコの煙が嫌いなんだ」
ビリーは、一計を案じる。これに掛けるしかない。
首だけを斜め後ろに回して、ビリーは男たちに声をかけた。
「なあ……」
睨む男たちに向かって、ビリーは愛想笑いを送る。
「タバコが吸いたいんなら、俺のをやるぜ」
男たちは、顔を見合わせる。
「もう抵抗はしない。ここまで我慢してたが、ニコチンが切れるとダメなんだ。だから一本だけ吸わせてくれたら、残りはあんたにやるよ」
「タバコを持ってるのか」
ビリーの言葉に、一人の男が顔色を変える。
「胸のポケットに入っている。マルボロだぜ」
男は薄笑いを浮かべる。そして、ビリーのシャツの胸ポケットから、白と赤の派手な箱とライターを抜き取った。男は自分がまず一本くわえると、ライターで火をつけた。
「ありがたい。ロンドンはタバコが高いからな」
もう一人の男が、舌打ちをして顔をしかめる。
「コンピュータールームなら、禁煙にしろよな」
煙草をくわえた男は、口の端に笑いを乗せながら、ビリーの口にも新しいタバコをくわえさせて火をつけた。
そこには、テロリストと人質が仲良くタバコを吸うという、奇妙な光景が出現していた。
「ありがとうよ」
笑顔でそう返したビリーは、タバコの煙を深く吸い込む。そしてたっぷりと煙を含んだ息を、天井に向けて盛大に吐き出した。
煙の行先には火災報知機があって、作動中を示す緑色のLEDを点滅させていた。
LEDの色が赤く変わると同時に、耳をつんざくような警報が鳴り響き、甲高い女声の人工合成音声が宣言した。
「ファイアー・アラート。ファイアー・アラート。ハロン消火装置の作動開始まで、三十秒です。在室者は、すぐに室外へ退避してください」
突然のことに気をとられたテロリストたちの視界から、一瞬にしてビリーの姿が消える。そして、何が起きたかも分からないうちに、男たちの意識はなくなった。
口から泡を吹いて床に転がる男たちを見下ろして、ビリーはにやりと笑った。
「受付で説明を聞かなかったのか? ここは全面禁煙なんだぜ」




