6.11 第七の封印(Layer:1 Main Story)
「燃えるニガヨモギを、天より降らせるのだ。そして畏怖を忘れ増長した人間どもに、この世界の支配者がだれであるのか、思い知らせてやるがよい」
芝居がかったというより、芝居の台詞そのもののような言葉を吐き、デイビッドはにやりと笑った。
自身が企てたテロを、ソドムとゴモラの滅亡やヨハネの黙示録の大災害になぞらえて、人間が受けるべき天罰だとでも言いたいのか。『神にでもなったつもりなの』と、エミリーはデイビッドを揶揄した。まさにその言葉通りだと、銀と琥珀のオッドアイが語っているように思えた。
「まずい、な……」
苦々しげな声とともに、ハノーヴァー公が身体を起こした。
「大丈夫ですか」というマイケルの問いに、「ああ」と答えたハノーヴァー公がデイビッドを睨みながら言葉を繋ぐ。
「まだ、まともに動けそうはないがね……。それよりデイビッドのやつ、セシルを操ってラグナロックを使わせるつもりだ」
「神々の黄昏?」
「ソールズベリー・ディストラクションを引き起こした、セシルの広域殲滅スキルだよ。ごく小型の純粋水素爆弾のようなものだと思えばいい。半径五〇〇メートルは数千度の熱で焼き尽くされ、衝撃波と爆風はシティ・オブ・ロンドンのほとんどの建物を破壊するだろう。上空の飛行機も木っ端微塵に吹き飛ばされ、墜落した場合よりもはるかに広範囲にWormwoodが撒き散らされることになる」
ハノーヴァー公の言葉は、マイケルを凍りつかせた。
シティは昼夜を問わず、数十万人のビジネスマンがひしめくオフィス街だ。タワーブリッジには兵員を満載したオーシャンが擱座したままだし、野次馬の市民も集まってきている。しかもバッキンガム宮殿には、サミットに出席している主要国の首脳たちもいる。彼等に万一のことがあっては、イギリス一国の問題では済まなくなる。
――どうする? いや、なんとかするんだ。
だが、マイケルもハノーヴァー公も、ましてやエミリーも、もうデイビッドと戦えるような状態ではなかった。
マイケルは拳銃の弾倉を外して残弾を確認する。一発だけ残った弾丸が、今や唯一の戦力だった。
「ハノーヴァー公、ここからこの一発で、デイビッドを確実に仕留める方法はありますか?」
いや、とハノーヴァー公は即座に否定した。
「拳銃の火力では、とうてい不可能だろう」
だが、とハノーヴァー公の言葉が続く。
「その一発、デイビッドに対してはなんの効果もないが……今のあの子に使えば、最悪の状況を回避することはできる」
その言葉の後半を、マイケルは聞き間違えたと思った。
「なんだって?」
反射的に問い返したマイケルに、ハノーヴァー公は答えた。その表情を微動だにさせず、その目は涼やかなままで、その言葉にわずかな澱みもなく。
「エリザベートを撃て、と言ったのだよ。今のあの子は無防備だから、確実に無力化できるだろう」
思えば今日は、いくつもの信じられない言葉を、いろんな相手から聞かされてきた。しかし、今のハノーヴァー公の言葉は極め付きだ。その真意を確かめるまでもなく、それはありえない選択肢のはずだった。だが……。
俺は、とマイケルは思う。
ロンドンの街やエミリーを守るために、デイビッドの命を奪うこともやむを得ないと思っている。だが命の重みにおいて、デイビッドとエミリーのそれに差があるわけではない。敵だから殺してもいいという理屈は、戦場の兵士ならばいざしらず、一個人や警察官としては成り立たない。もしエミリーひとりの命の代わりに、数十万人の人々が救われるという選択肢があるとしたら、それでも考慮に値しないと即断していいのか。なにを守り、なにを犠牲にすべきなのだ、俺は……。
「だめだ」
マイケルは、悪魔の囁きにも似た自分の思考を、その言葉とともに棄却した。どちらも犠牲になんて、できるわけがない。
気のせいか、ハノーヴァー公の表情がわずかに綻んだように見えた。
「ならば、いま私たちにできることは、なんとかしてあの子をデイビッドから遠ざけることくらいだよ。デイビッドの魔眼は、ある程度まで離れれば効果がなくなるからね」
たしかに、それしかないだろう。そして、その方法として思いつくことは、もはや戦術でもなんでもない行為だ。
マイケルは大きく息を吸い込むと、声を張り上げた。
「エミリーっ」
彼女の虚ろなオッドアイが、一瞬だけマイケルに向けられたように見えた。それは、ただの偶然かもしれなかった。だが、それでもマイケルは期待を込めて叫ぶ。
「そこから逃げるんだっ。そんなやつに操られるなっ」
声を枯らしたマイケルの言葉に、しかしエミリーはなんの反応も示さなかった。意思を持たない人形のような、完璧に優美な動作で、彼女の右手が天を指差す。
「たわけが」と、マイケルを一瞥したデイビッドの口が動いた。「オーバーロードたる余の命令に逆らえるものか」
もうだめか、そう思ったマイケルの視線が、エミリーのそれと交わる。見開かれたサファイアの瞳が、ほんのわずかに光ったように見えた。
直後。操り糸が切れたように、エミリーの右手がすっと下がる。パールホワイトの髪がゆっくりと左右に揺れて、桜色の唇から囁くような声が漏れ出した。
「いや……よ」
ほう、と声を上げたデイビッドの顔に、自嘲したような薄い笑いが浮かぶ。
「これは、ぬかったわ。そうであったな、アマーリエ=ミリア。そなたには、できぬのであったな」
エクスカリバーの切っ先が、エミリーに突き付けられる。
「ならば、白き皇女にお出まし願うとするか」
こけおどしだ、とマイケルは思った。セシルの力を使うと言ったのだから、彼女を害するつもりなどないだろう。万策が尽きたデイビッドの、最後の悪あがきに違いない。このまま持ちこたえれば、俺たちの勝ちだ。デイビッドをエミリーから引き離す方法は、何かないのか……。
次の手を考え始めたマイケルの目は、しかし予測し得なかった出来事に大きく見開かれることになった。
エクスカリバーを握ったデイビッドの腕は、その位置でとどまらずに前進を続け……。
銀色に輝く剣が、エミリーのウエストを深々と抉った。
あぐっと、悲鳴に似た短い呻き声がした。
エミリーの上体が折れて、長い髪がその顔を隠す。負傷した部位の近くに追い打ちを受けて、彼女の身体はがくがくと痙攣する。
デイビッドが、乱暴にエクスカリバーを引き抜く。
剣に引きずられるように、エミリーが前のめりに体勢を崩す。しかし、かろうじて半歩を踏み出した右足と、引きずるように追随した左足で、彼女はふらつきながらも踏みとどまった。
傷口を押えた指の間から、鮮血が滴り落ちて地面に黒い染みを作る。
「くっ、う」
歯を食いしばったエミリーの口から、押し殺した低い嗚咽が漏れだす。まだ立っているのが、信じられなかった。
だというのにエミリーは、震える身体を少しずつ起こしていく。そして顔を上げた彼女は、強い光を宿したブルーの瞳で、デイビッドを睨み返した。
デイビッドの表情に、驚愕と感嘆が入り混じる。
「さすがだな、姫君。膝を折らぬだけでなく、まだ闘志を失わぬとはな。あまたの敵と戦ってきたが、そなたのような者は初めてだ。だが……」
ぬらりと鈍く光る剣をエミリーに向けて、デイビッドがくくっと笑った。
「白き皇女よ、早く出てこぬと命を落とすぞ」




