誰にも譲れないものがある
ここは男子トイレ。
私は個室で蓋を締めた便器の上に乗り、個室のドアの真ん前には、宗近の姿をしていた虫の化け物が立っている。
私は足に力を込めた。
逃げられる機会は一回だけ。
失敗したらそこで死ぬ。
「死ね!!」
「アダム!!」
私は堂上の名を叫びながら飛び上った。
今の時点で確実に生きていると私が確信できるのは、堂上だけだから。
どうか私の声が聞こえて。
聞こえたならば、あなただけは生き延びて!!
ドガガガガガガガガガ!!
堂上の名前を叫びながら私が飛んだ先は、隣の個室との仕切り板へだ。
ドアを破り飛び込んできた虫の弾丸は、私が作った私の幻影に襲い掛かる。
幻影でしか無いのだから、彼らが穿つのは壁であり、水道管だ。
仕切り板にしがみ付く私はその隙にと、急いで仕切り板を乗り越えて隣の個室へと飛び下りる。
ドガアアアアアアアアアアアアン!!
「うわあ!!」
足が床についた途端に、建物が揺らぐほどの大音響だ。
私はトイレの床に伏せる。
だが、絶対に死んだと思った。
大きな爆発音がしてから、私は伏せたのだから。
痛みも感じないのは、きっともう死んでいるからかもしれない。
「海宇?」
宗近の声が私を呼んだ。
終った。
死んだと思ったのは、死んだと思いたかったからだ。
虫に体中を穴だらけにされるのは、私の嫌な死に方ランキング上位にある。
「俺には返事もしてくれないの?酷いな、海宇は?」
伏せたままの私の視界に、扉が開いたままの個室を塞ぐように人影が現れた。
私の目には、厚底の見覚えのあるハイテクスニーカーが映っている。
私はゆっくりと顔を上げる。
そこには私に屈みこむ宗近の笑顔があった。
「むねちか」
「大丈夫?俺の名前を呼んで貰えないのは悲しいっしょ」
「だって、パンツ、パンツが」
「え?とりあえず、俺は本物だから安心して」
「パンツは何色?」
「おーい」
「いいから答えて!!」
宗近は私に向けていた笑顔を引っ込めると、すいっと体を元通りにして私の前から立ち去ろうとした。
「宗近!!」
「うっさいな!鑑賞用のパンツって意味わかんないよ。袋に入れっぱだと、いくら未使用でも生地が傷むの。俺は可哀想なパンツを救出してるだけだよ」
「このばかあ!女の子には勝負用パンツってもんがあるんだ!!そのいつかの為に最高のパンツをとっとくものなんだ!!」
「お前、あんな何枚も。バージン詐欺する予定か?」
「むねちかああ!このばかあ!」
私は勢いよく立ち上がると、殆ど後ろ向きになっている宗近の背中に、彼がそのまま床に倒れてもいいぐらいの勢いで飛び掛かった。
しかし、私に飛び掛かられても、宗近が倒れることなどなかった。
それどころか、嬉しそうな声を上げて笑い、彼の肩にかけられている私の両腕を当たり前のようにして捕まえる。
「けがは無いか?」
「宗近のお陰だね」
「の、わけないな」
「え?」
宗近の背中にぶら下る私は、彼の背中ごしに見えた光景によって、そのままぶら下るだけのオブジェになった。
私が数分前までいた個室が爆撃を受けたかのように破壊されているのは理解できるが、外が見えるぐらいに壁まで破壊を受けているのだ。
破れた水道管から水が噴き出して外へと注ぎ、壊れた便器が床ごと横倒しになっている。裂けた床から引き出された下水道管は臭気を放ち始めている。
「すごい。これを宗近が?」
「だから違うって。君が呼んだ人」
「え?」
私は私がいた個室の対角線上となる所へと首を動かした。
もちろんそこにはアダム・堂上がいる。
ただし、敵を倒したという勝利感にあふれているどころか、敵に敗退したばかりという風情である。
なんだか、物凄くげっそりしている?
両腕に抱えている金属の筒状のものは、もしかして手製のランチャー系?
それで虫達とこの破壊的惨状を作ってしまったのならば、うん、確かに呆ける。
「宗近?」
「暴発怖いし」
私は人でなしの親友から剥がれようとしたが、宗近は私をそうさせまいとさらに私の腕を掴む手に力を込めた。
「ありがとう、先輩。お陰で俺の大事なツレが無傷だったよ」
「あ、ああ。無事で良かった。能渡井君が無事で良かったよ」
堂上はぜんぜん良かったという顔をしてない。
なんだかものすごい不幸を背負った顔つきなのだ。
私が見つめる中、彼は両手に抱えていたその不幸の元の金属筒を片手にぶら下げると、そのままのそのそと歩き出してトイレの外へと出ていった。
「堂上さんは繊細なんだよ。全く、宗近が無茶するから」
「俺は無茶してないよ。君の危機ってことで、俺の手から俺の工作品を奪って有無を言わずに発砲しちゃったんだもの。俺のせいじゃないね」
「あの大砲の説明が聞きたいな」
「空気砲。圧縮空気で虫を一気に払い飛ばす」
私は再び自分がいた個室に振り返った。
私があそこに留まっていたら、私は確実に死んでいただろう。
「圧縮空気?」
「ブツを押し出す動力はそれだし」
「で、虫を追い払う気持ちだけでぶっぱなし、私を殺したと思ったと。で、今は私に罪悪感まで抱いちゃってるってことかな。堂上さんたら本当にナイーブ」
「だね。本当に可哀想って俺は思うよ。では、俺達も急いで動くぞ」
「どこへ?」
「学食。王子がイライラして君達を待ってんの。俺が君達を呼びに来なきゃ大変なことになっていたよ。感謝すんだよ?」
私はしがみ付いている宗近の背中から、彼の温かさや匂いまで分かるから疑う気持ちは無かったが、彼のズボンを少し引っ張って中を覗いた。
「くそ。やっぱお前か」
「悪いな。猫モチーフは俺専用なんだよ




