第三十二話 休暇 in 静浜 その2
高度が上がり切ったところで、岩代教官を先頭に三機編隊を組む。考えてみれば風間君と、こんな風に編隊を組んで飛ぶのは初めてだ。横に目を向けたら、風間君がお互いの距離と位置を確認するためにこっちに視線を向けているのが見えたので、ピースサインをしてみせると風間君もピースサインを返してきた。
「ちはる、浮気は許さんぞ。他の男に愛想を振りまくのはよせ」
すかさず後ろから一尉のチェックが入る。
「風間君にピースしただけじゃないですか。心がせまいなあ、もう」
「後でしっかりお仕置きしてやるから覚悟しておけよ、機長」
「なんでだ、絶対におかしいです、それ! 八重樫一尉、いい年した大人がこんなに心がせまくて良いものなんですか?」
「え、俺に聞くのかい? 俺だって自分のカノジョがよその男に愛想を振りまいていたら、やっぱりお仕置きすると思うぞ? なあ、風間?」
いきなり話を振られて、風間君があわてた素振りをしたのが、こっちからもわかった。
「そこでどうして自分に話をふるんですか? こういう場合は、岩代教官に聞くほうが間違いないのでは?」
「だってあいつの答えはわかってるもんな。あいつの場合は女には何もせず、相手の男を問答無用で撃ち落とす、だから」
「なんと」
「お前達、なにをムダ口をたたいている。今がなにをしている時か、わかっているのか?」
「訓練空域に出るまでは問題ないじゃないか。それで岩代、俺の言ったことは間違ってないよな?」
先頭を飛ぶ教官が、あきれたように首を横に振っているのが見える。
「まったくお前達ときたら。緊張感が足りなさすぎて開いた口がふさがらん」
「それで? 当たってるよな?」
八重樫一尉がしつこく食い下がった。
「ああ、ああ、その通りだ。お前が、俺が酔っ払い野郎を川に放り投げたことを言っているなら当たってる!」
「……川に放り投げたって? どういうことですか?」
なんのことだかわからなくて、後ろの一尉にたずねるとおかしそうに笑う。
「俺達が航学のころの話だ。岩代がカノジョとデートの待ち合わせをしていた時に、カノジョが酔っ払いにしつこくまとわりつかれてな。岩代がそいつとケンカになって、相手が川に落ちたんだ」
「放り投げたわけじゃないんですよね?」
そんなことをしたら大問題だ。
「その場に居合わせた目撃者は全員、口をそろえて、相手が足を滑らせて勝手に落ちたと言っていた。岩代も特に処分を受けなかったから、そうなんだろう」
「その目撃者っていうのは?」
「俺達」
「やっぱり」
教官と八重樫一尉が、ワイワイと言い合いをしているのを聞きながら、やれやれと首を振った。
「ちなみにそのカノジョは、当然のことながらあいつの嫁さんになっている」
「なにがどう当然なのかさっぱりですよ」
「イーグルドライバーは、ロックオンした相手を絶対に逃がさないってことだ」
「なるほど……」
「そういうわけで、現役でないヤツも含めてイーグルドライバーは、非常に独占欲が強い男が多いから要注意ってことなんだな」
そう言えば緋村三佐が、似たようなことを言っていたような記憶がある。
「風間君もそうなるんですかねえ。その手のことに関してはのんびり屋さんだから、とてもそんなふうになるとは思えないんですけど」
「さーてどうだろうな。だがあいつも自分の獲物を見つけたら、人が変わるかもしれないぞ」
「なんだか見てみたい気が」
そんな独占欲丸だしな風間君なんて想像がつかないけど、彼がどんな女の子をロックオンするのか見てみたい気はする。その日が来るのをこっそり楽しみにしておこう。
「あ、でも……」
「なんだ?」
「風間君のことだから、相手に逆ロックオンされちゃう可能性もあったりして」
「そうなっても驚かんがな」
私の言葉に、一尉が楽しそうに笑った。
しばらく飛んで訓練空域に到着すると、即座に岩代教官から、訓練していた時と同じように飛ぶことを指示された。だけど、私の後ろに座っていた一尉はその指示に大人しく従うつもりはないようで、岩代教官の通信に、俺が確認するんだから俺の好きなようにやらせろと話に割り込んだ。そして私には、編隊から離れろと指示をする。
そしてかなり離れた空域に飛んだところで、今度は私に声をかけてきた。
「さて、じゃあちはる、まずは機長十八番のバレルロールとエルロンロールをしてもらおうか。ここしばらく大きな機体ばかりを飛ばしていたから、俺が三次試験の時にアドバイスしたことを忘れてるんじゃないか?」
「そんなことないですよ、任せてください。ちゃんと覚えていますから!」
そう言って、操縦桿を手前に思いっ切り引いて上昇しながら、機体を回転させる。
「天音、性懲りもなくまたそれをするのか!」
「だって教官、一尉からの命令ですから!」
岩代教官の怒声が耳に飛び込んできて、それを聞いた一尉が楽し気にゲラゲラと笑った。
「良いじゃないか岩代。俺からすればこれをしてもらわないと、本当にちはるの操縦技術が上達したのかどうか、わからないからな」
「それで? どうでした? 合格ですか?」
「おう。大型機を飛ばしているからもっと慎重になるかと思っていたが、相変わらずの怖いもの知らずで安心した」
「それって褒めてくれているんですよね?」
「もちろん」
「ってことです、岩代教官!」
「まったくお前達ときたら! もう好きに飛べ!」
教官殿はお怒りのようだったけど、一尉が楽しげに笑っているから良しとしよう。
それから一時間ほど飛んで戻ってくると、岩代教官はみけんにシワを寄せたまま、私と風間君の前に立った。
「とりあえずは合格だ。これからも初心を忘れることなく、パイロットとして職務を遂行しつつ、技量向上にはげむように」
「「はい!」」
そして、横でニヤニヤしている二人の一尉達をにらんだ。
「いくら上官の命令は絶対だからといって、無謀な命令には従うことはない。その点は誤解するな」
「おい、ひどいな、俺達は無謀な命令なんて出したことはないんだぞ」
「その口を閉じろ、寝言は寝てから言え、いや寝ても言うな。以上だ。明日は気をつけて帰れ」
岩代教官が行ってしまうと、八重樫一尉に声をかけた。
「ところで八重樫一尉、風間君と一緒に飛んでみてどうでした?」
同期としてはやはりそこが気になるところだ。今回は見るだけではなく一緒に飛んだのだから、きっと色々とわかったに違いない。
「コンマ一ミリ単位でマニュアルに合わせる几帳面さは、ブルーにお似合いかもな」
八重樫一尉は、風間君の肩に腕を回すと笑った。いきなりのことに、風間君は目を白黒されながらされるがままになっている。
「あそこは、教導隊とはまた違った意味ですごいところだからな。イーグルドライバーではなくなるが、目指してみるのもいいかもしれないぞ」
八重樫一尉の言葉に一尉もうなづいた。
「お、俺、じゃなくて自分は、飛行教導隊の隊長に声をかけてもらえるぐらいの腕になりたいです!」
「そうなのか? ブルーのほうが注目もされるし、空自の花形なんだがな。飛行教導隊は派手な塗装をした機体が所属しているが、どちらかといえば裏方の存在だ」
「それでもです!」
「なるほど。そうなると腕だけではなく頭も必要になってくるぞ、頑張れよ」
「はい!」
+++++
「で、結局のところ今回のことは、岩代教官の御厚意だったってことで良かったんでしょうか?」
一尉達が宿泊のためにとってあった、ホテルの部屋に入ったところで質問する。八重樫一尉はなぜか風間君のことを気に入ったようで、そのまま一緒に飲みに出掛けて行った。っていうか、あれは風間君が否応もなく引きずっていかれたというほうが、正しいかもしれない。
「そうなんだろうな。あいつは口が裂けても、そんなことは認めないだろうが。ちはるが看病のために一ヶ月現場から離れていたのを俺が気にしていたから、適当に口実を作って引きずってきたんだろ。巻き添えをくった風間は気の毒だったが」
「風間君は、飛べることを喜んでましたから問題ないですよ。それに一緒に飛んだのは八重樫一尉で、元がつくとはいえ飛行教導隊のパイロットです。文字通り天にも昇る気持ちだったと思います」
「なら良かった」
それに同期の子達も、私達が教官に「たるんでいる」と判断されたのが、どう考えても私達を静浜に連れ出す口実だと気がついていた。だから少なくとも、私と風間君が本当にたるんでいると思っている人はいないはずだし、評価にも影響はないと思う。
「私も一尉を乗せて飛ぶことができて良かったです。……それで本当に問題なかったですか?」
そこは正直に答えてほしくて、真面目な顔をして一尉を見上げた。
「俺はこの手のことで嘘は言わない」
「なら一安心です。これで卒業するまで安心して勉強できます」
「それでだ、ちはる。俺はちはるの操縦の腕が錆びついていないことをちゃんと見届けてやったんだから、ちはるにも俺が錆びついていないかどうか、確かめてもらいたいんだがな」
「一尉の? なにか錆びつくようなものありましたっけ?」
意味がわからなくて首をかしげてしまう。
「自前のほうだよ」
そう言いながら、私の腰をつかんで引き寄せてきた。
「それは錆びついていないのは、すでに病院で証明済みじゃ……?」
「あれから何ヶ月経ったと思ってるんだ」
私のほうはともかく、一尉がそんな短期間で錆びついちゃうとは思えないけど……。
「それと、俺以外の男に愛想を振りまいていたお仕置きもしなくちゃならないしな」
「風間君にピースサインしただけじゃないですか!」
「だが、俺以外の男であることには違いないだろ」
荷物をさっさとクローゼットに放り込むと、私をベッドの横に立たせて制服に手をかける。
「心がせますぎますよ、イーグルの操縦席よりせまいじゃないですか!」
「なんとでも言え。宿舎で泊まれるのを、わざわざこっちで宿をとったのはなんのためだと思ってる。練習機での飛行に付き合ったんだ、今夜は俺にしっかりと付き合ってもらうからな」
「まだ退院したばかりなのに、なに無茶なことを言ってるんですか」
「怪我はもう大丈夫だと、医官のお墨付きがあるら心配ない。そのお墨付きをくれたのは、ちはるのお母さんだぞ? 母親の診断が信用できないのか?」
もうやる気満々らしくて私の言うことは聞いてくれそうにないから、実力行使に出ることにした。一尉の腕をつかんでそのままベッドに押し倒す。そして動けないように上から自分が乗って重石になりながら、下敷きにしている一尉を見下ろした。
「おい、急に積極的になったな」
なにを勘違いしているのかとっても嬉しそう。だけど私は、断じてそんなつもりで押し倒したわけではない。
「そうじゃなくて。なにをするにしたって、汗をかいてるんですからシャワーを浴びるのが先です。だけど、私は義足の一尉がどうやってお風呂に入るかわからないから、ちゃんと説明してもらわないと、手助けすることもできないじゃないですか」
「なんだ、ちはるがズボンを脱がしてくれて、そのまま始めてくれるんじゃないのか」
そう言いながら、一尉は体を動かした。私がまたがっているのはちょうど一尉の腰のあたり。だから不可能じゃないけど、やっぱり汗をかいた状態のままでエッチをするのはイヤだ。
「シャワーが先、エッチは後」
そのままの態勢でそう宣言すると、一尉は諦めたように溜め息をついて微笑んだ。
「……わかった。どうやって俺が風呂に入るか手順を説明しよう」
+++
それから一時間後、私は一尉の腕の中にすっぽりと包まれた状態でベッドに横たわっていた。
「それで御感想は機長?」
「ご安心ください、錆びついていませんでした」
うん、間違いなく。
「それは良かった。なんだ、どうした?」
私がジッと一尉の顔を見つめていることに気がついて、首をかしげる。
「あんな事故に遭ったのに、一尉は相変わらずだなって」
「悪かったな、成長してなくて」
ムニッとほっぺたをつままれた。
「そうは言ってないじゃないですか。変わってなくて安心したっていうのが正しいかも。私が最初に出会った時の一尉が消えちゃったらどうしようって、少しだけ心配だったから」
一尉は微かな笑みを浮かべ、自分がつまんだところを撫でると天井を見上げる。
「まあ、無念だという思いがないわけじゃないんだ。操縦桿を握ることにこだわらないとは言ったものの、岐阜でテストパイロットの後ろに乗って飛んでみたが、やはりなにかが違うと感じたし」
「それって、今の仕事を続けるのがつらいってこと?」
「いや、それはない。整備員としての勉強はなかなかやりがいがある。あらためて、自分が飛んでいた時に支えてくれていた連中の、すごさとありがたさを噛みしめているところだ」
そして一尉は、私のほうに視線を戻した。
「そして今日、ちはると一緒に飛んでみてはっきり分かった」
「なにが?」
「俺を空に連れて行ってくれるのは、ちはるしかいないってこと」
「私?」
意外な言葉にビックリして、体を起こして一尉の顔をのぞきこむ。
「ああ。うまく説明できないんだが、テストパイロットの後ろに乗って飛んだ時とはまったく違ったんだ。なんだろうな、自分が飛んでいる気分になれるんだよ、ちはると飛んでいると」
「そうなの? だったら任せてください。岐阜には私が飛ばせる機体もそろっていることだし、これからも時間がある限りは、一尉のことを乗せて飛びますから」
それからずっと気になったことがあったので、質問してみることにした。
「それでウィングマークはどうするんですか? やっぱり返納しなきゃいけないんですか?」
「いや。シミュレーターで飛行訓練を続けるのを条件に、本人が希望しなければ退官まで返納はしなくても良いと上から言われた。これまでの経歴に敬意を表してと言うことらしい」
「八重樫さんも?」
「ああ」
「そっか。じゃあそのままつけていられるんですね?」
「そうだな。それがどうした?」
どうしたものかと考えた末に、前からお願いしたいと思っていたことを言ってみることにした。
「あのね、一尉さえ良ければ、私のと交換してもらえないかなって。そのう……一尉のウィングマークを、私のお守り代わりにしたいなあって」
「俺のを?」
「うん」
そこで一尉は少し考え込む。
「いいのか? 俺はこの通り事故で飛べなくなったんだ。験担ぎとしては、あまりおすすめできないと思うんだが」
私があれこれ験担ぎをしていたのを覚えていたみたいで、その点を指摘した。
「験担ぎじゃなくて、この場合は、それをつけていたら一尉と一緒に飛んでいるみたいに感じられて、心強いなって考えたからなんだけど」
「そうか。つまり俺の翼をちはるにあずけるということだな。ってことは、当然ちはるの翼は俺にあずけてくれるんだよな?」
「もちろん。アグレッサーの足元にも及ばないひよっこの翼で申し訳ないですけど」
「いやいや。このひよっこ機長は俺が見た中でも、抜きん出て素晴らしいパイロットだ。その機長の翼をあずかることができるなんて光栄だよ」
一尉はそう言うと、私のことを引き寄せてキスをする。
「本当に?」
「ああ。さっきもこの手のことでは嘘はつかないと言っただろ」
そう言った一尉の顔に浮かんだのは、なんとも黒い笑み。あれ、なんだかイヤな予感が。
「あのー……もう錆びついてないことは証明したことですし、寝ませんか?」
「なに言ってる。お仕置きの分がまだだろ」
なにも変わっていないのは嬉しいけど、少しぐらい大人しくなっていてくれたほうが私的には良かったかも……。
そして次の日、私の胸についているウィングマークがいつもと違うことに、八重樫一尉と風間君は気がついたみたいだったけれど、二人とも何も言わなかった。




