世界にとって障壁となるもの
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「こんなにも新鮮な野菜をふんだんに食べられるなんて!」
「そうですか? 野菜と魚くらいしか、お出し出来るものがないと思っていましたが」
「キュイの長い冬でも感じている事ですよ。1年のうち3分の1が氷点下の国で作物は育ちません」
「オルキ諸島も寒さに強くて成長が早い作物でなければ厳しいのです。来年はキャベツとホウレン草とニンジンに挑戦するつもりですが」
オルキ諸島ではまず収穫できない米と、丸々と実ったトマト、ナス、そしてトウモロコシ。輸入する際には優先順位が高くないこれらの野菜を前に、アリヤはとても嬉しそうに口へ運ぶ。
諸島の食を一手に引き受けるメインランドとしては、とても誇らしい場面だ。
「メインランドとオルキ諸島を結ぶ交易船が就航したなら、日持ちする野菜をお届けできるのですが」
「レノンとアイザスを結ぶ交易船が、週に1度オルキ諸島にも寄港しているのです。シール諸島が鎖国しているため、これまで寄港を検討していなかっただけで可能ではあります」
「戦争が長引き、シール諸島は外界を知らない若者ばかり。そろそろ鎖国も限界なのだろう。我々が交易の話を聞いて羨んでしまうくらいに」
「鎖国ももう飽きたのですが、戦争が終わるまではと意地で続けている面もあります。国民に我慢を強いて来て、今更もう止めますと言えるだけの強力な理由もありませんし」
終わりの見えない戦争に、参戦していない国も耐える事の無意味さを感じ始めている。無関係だと言って援助もしなければ諫めもしない。だが、見捨てる事には当然罪悪感もある。
フェイン王国を含む幾つかの国が連合国の占領下に置かれた時、どれ程焦りを感じた事か。
だが生半可な攻撃も防御も相手の征服心をくすぐるだけで自国を救う手段にはならない。
出来るのは、無抵抗な相手に暴力の限りを尽くす最低な国だと非難する事だけ。
平和を願っていても、平和を手に入れる手段を持たない。
力なき者達の正義感は、相手への餌付けにしかならない。
この状態を打開も出来ず、ただただ年月だけが過ぎていく。占領行為を行わない和平軍を支持はしていても、加勢して狙われるのは困る。
「鎖国している状態が当たり前となり、戦争の脅威も感じた事がない若者は武力の必要性を説いても全く響かないくらいです。シール諸島が占領されなかったのは徹底抗戦のおかげだというのに」
こうして世界の安寧を和平軍に委ねて20年。
レノンやガーデ・オースタンなど複数の国々は、肥沃で温暖な国土を持ち、武力に国費の20%も使える連合国を押し戻す力さえ失いつつある。
そんな中、どういうわけか連合軍の侵攻が停滞し、この数か月は目立った動きがない。同時に彗星の如く現れたのがオルキ国。
温和で敵を作らない平和の象徴のようなフェイン王国がオルキ国の名を出して以降、オルキ国の存在はオルキ達が思っているよりも広く知れ渡っている。
しかもそのフェイン王国のお飾りのような軍隊が、オルキ国の青年によって厳しい指導を受けていると聞けば、いったいオルキ国とはどんな国なのか興味も湧こう。
「和平軍と呼んでいますが、レノンが抵抗戦を始め、それをガーデ・オースタンが支援し始めてそう呼ばれ始めただけですからね。連合軍への武力による抵抗がいつしか平和主義の象徴となったのは皮肉な話です」
「連合国は何を目的としておるのだ。吾輩もすべての戦いの始まりを見てきたわけではない。とりわけこの100年程は、神が人間への興味を失っておったからの」
「その神というのは、我々が崇めているゼロ神の事でしょうか」
「そうだ。奴の何を崇めておるのか、吾輩にはまーったく分からぬが。あんな畜生も寄り付かぬクズの何がそんなに気に入っておるのか」
「えっ?」
オルキ国以外の全出席者が固まった。この世界で神を崇めていない者は少数派であり、ゼロ神は讃えて当たり前の存在だ。
一部地域ではすべての生き物に神がいる、空や海にも神がいると信じられているものの、ゼロ神の存在を否定はしていない。
しかし、神をずっと間近で見てきたオルキこそが神を信じていない。皆が予想外だったのか頭が追いついていない様子。
「貴様らを降伏させるつもりはあれど、幸福に導くつもりなど微塵もなかったぞ。別に奴を悪く言って評価を下げる目的で言っているのではないが、何を言おうと奴のクズさを語る事になってしまう」
「イングスやニーマンさん? を作った事だけは良かったんじゃないか」
「それも真の目的は何だったのやら。慰み物にするつもりだったと言われてもそうだろうなとしか思えぬくらいだ」
まさにドン引き。敬虔な信者がいたなら争いになっていたかもしれないが、長引く戦争が神への信仰を弱めてしまった。戦争を終わらせられない、罪なき者が倒れゆく世界に神などいるものか。
そんな風潮が広まりつつある中でも、オルキのエピソードで皆の神に対するイメージはダダ下がりだ。
「島長が……コホン、オルキ王がどうして魔獣となったのかを聞いたら、神への信仰がどれだけ意味のない虚構であったのか良く理解できますよ」
「そうですね。人間は何かを信じたり、何かを心の拠り所にして理由を付けたがる生き物ですけど、私がそれをゼロ神に求める事は二度とないと思います」
オルキが数千年前の事を語る度に、ある事象は事実が覆され、またある事象は事実が裏付けされていく。晩餐会はオルキのおかげで珍しく社交辞令合戦のない有意義なものとなった。
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「すげえ、蒸気機関をここまで極められるのか」
「石炭を燃やしているのではないのですね」
「はい、もちろん電気だけで動かそうとすると大量の発電が必要となります。ですが、電気だけでなく、そこに物理的な力を加える事で加速を早める事が出来ると考えました」
「歯車を回して、その回転が小さな歯車を高速で回す。これ自体は大陸の車が持つ機構と同じですよね」
「む、何を言っておるのか全く分からぬのう」
「あはは、大丈夫だ島長。俺も分からない」
翌日、オルキや他国の首脳陣らはシール諸島の視察としてフェアアイルを訪れていた。
20年の鎖国はフェアアイルの産業に独自の進化を与えた。蒸気機関が発達し、電力と蒸気機関が共存する難解な機械文明が出来上がっている。隣のシェルランドが石油産出国であるにも関わらず、諸島全体で石油は燃料としての利用が殆どされてない。
プラスチックや化学繊維に使ったり、潤滑油として使うのがせいぜいだ。
効率が良いとは言い切れないものの、風力、水力、地熱、潮汐力と、ありとあらゆる自然の力を駆使して諸島全体のエネルギーを賄っている。
「こんな進化を遂げる前に、セイスフランナは化石燃料による工業発展が始まってしまいました。高く険しい山脈から轟々と流れる大河も、吹き降ろす強い風も、残念ながら利用されていません」
「オルキ国にはシール諸島のやり方が合っているように思う」
「そうですね、当面はシール諸島をお手本にするのがいいかもしれません」
オルキ達が空気の澄んだ工業地帯を案内されながら関心を示す。案内役の高官はそれならばと言い、オルキ国にフェアアイル製の幾つかの機器や車などを薦めてきた。
「オルキ国の発展に寄与できるものだと判断できれば、是非とも購入をご検討ください。中古品なら幾つかをサンプルとして寄贈する事もできます。一応は鎖国中のため極秘にという事になりますが……」
「有難い申し出だ。だが極秘? 別に秘密にする必要はなかろう」
「鎖国を解いたとなれば、連合国だけを拒否するわけにはいきませんし、なかなか難しい問題で……」
「鎖国する必要がなくなればよいのだろう。何をするにも戦争のせい、戦争のせい。吾輩はそろそろその言い訳に飽きてきた」
「と、言いますと」
オルキはフューサの腕の中でゴロゴロと喉を鳴らしながら、言葉だけは勇ましく続ける。
「オルキ国の守りを固めてくれるなら、グルルル……吾輩が単騎ギャロンとジョエルに乗り込んで連合国を滅ぼして来ようかと思うのだが、グルルングルルル……どうだろうか」




