ある移住希望者の回顧録
ボクスは自分も許されると思い、表情も幾分明るくなっていた。
だが、この磔刑はあくまでも不法投棄についてのもの。幾つもの罪を重ねていたとなれば話は変わってくる。
「1度の過ちでも許しがたいというのに、妻を裏切り、他人の財物盗み取る者などこの国には不要だ」
「そんな、もう、もう二度としませんから!」
「一度に2つも3つも罪を重ねておきながら、二度と? それは図々しいというものだ」
オルキはボクスの匂いを嗅ぎ、いい具合に熟成されていると嬉しそうに語る。
オルキ国の刑罰は磔刑か死刑か。今後改正の可能性が無いとは言えないが、現行法では2択しかない。
「……ホグスさん。いずれこの国に子供が生まれたり来島したら、きっとあなたは良い先生になると思っていました。残念です」
「そんな……なあ、ドルガ! 本当に悪かった、許してくれ! もう1度俺を信じてくれないか、なあ?」
「……私が許すか許さないかなんて、あなたが盗みを働いた事とは関係ない。それに、次はないって言った私があなたを許して今まで通りを望んだら、私は嘘つきになるの」
「ホグスさんの事、信用してたし上手くやっていける人だと思って親しみも覚えていたんだ。だけど、これを許したら他の人の罪も2度まで許さないといけなくなる」
「奥さんを裏切って、駄目だと分かってる事やって、しかもそれを盗んで手に入れてたって……やっちゃってどうなるか思い知ったからもうしませんじゃ、1度もやってねえ俺達はどうなんのって話だよ」
「あーそれっすね、ケヴィンくんの言ってる事マジ共感すわ。煙草2本くらいでグダグダ言う気ねえけど、盗むのはさすがに」
妻のドルガは諦めたような表情で、もう何も希望を持っていないようだった。遠くの海の端が少し白く輝き始めたのと対照的に、集落はとても重く暗い空気が漂っていた。
「……この国の決まりを破った以上、もう住み続ける事は出来ません。皆さん、夫が大変失礼しました。次にレノンへ向かう船が来たら帰ります」
ドルガが項垂れながら謝罪し、トボトボと帰っていく。
そんな妻の姿を見てやっとボクスは自分の行いが取り返しのつかないもので、配偶者も国外退去となってしまう事実に気付いたようだ。
「ドルガは何か悪い事をしたのかい」
ふとイングスが尋ねる。何も悪い事をしていないのに謝った事が不思議で仕方ないらしい。
「連帯責任ってやつなのかな。配偶者や子供や仲間が悪い事をした時、自分にも責任があるという事で謝ったり、罰を受けたり」
「無責任があるのだから、謝る必要ないでしょ」
「そうなんだけど、例えば子供はまだ良い事と悪い事の判断ができないから親の育て方が悪いせいだったり」
「ドルガはボクスを育てていないでしょ」
「一緒にいて友達が悪い事をしたら、止めなかった方も悪いって……」
「一緒にいた時に盗んだのかい」
フューサーは黙り込んでしまった。組織の一員としての謝罪など、直接悪くなくても責任を取る事はある。しかし、夫の裏切りは妻の責任かと言われるとそうでもない。
「ドルガさん、ちょっと待って!」
ソフィアがドルガを追いかけ、涙声で「放っておいて下さい」とヤケになるドルガを宥めている。
「結婚していたら一緒に出て行かなくちゃいけないのかい」
イングスは穏やかな口調でじっとフューサーを見つめている。フューサーはやっと「夫婦だから仕方ない」と当たり前に思っていた事に気が付いた。
「ドルガさん、あなたはどうしたいですか。島長、ホグスさんに何らかの処分を下し島から退去させるのは確定だよな」
「死刑とならないならそうだろうな」
「でも、ドルガさんが島を去らなきゃいけない根拠ってないよな」
「ああ、ない」
オルキがそう言い切ったタイミングで、ドルガが再びベンチに座る。ドルガは夫婦で追い出されると思っていたが、ドルガは島に残ろうが去ろうが自由。
配偶者が悪人だった場合、もう一方も滞在許可を取り消されると記した法律はない。
「ドルガさん、あなたは島を出る必要がないんです。私達も出て行って欲しいと思っていません」
「アリヤちゃんの言う通り、私達もドルガさんが出て行きたいなら止めないけど、出て行く必要があるとは思わない。あなたと旦那さんは別の個人よ」
ドルガは自分に選択肢があると分かってしばし無言だった。周囲も答えを強要せず、待つつもりだ。
「あのー、牛っこも羊も干し草ぁ待ってるはんで、世話に行っていいですかね」
「もう起き始める時間だべ、なあ」
最初に刑場の前を通りすがった2人が、家畜の世話の時間が押していると主張する。いったん、仕事がある者は仕事に向かう事になり、早朝ながら島の1日が動き出す。
「エバンさん、着替えて落ち着いたら、見張り番に戻って下さい。次の番は……」
「俺っすね」
「じゃあアドバンは今から見張りの灯台に行ってくれ、12時に交代」
「今5時っすよ? 俺の見張り、7時間でいいんすか、まじっすか」
「いいからほら」
ケヴィンに促され、アドバンは「よっしゃ!」と意気込んで灯台へと駆けていく。12時間交代の見張りが5時間も縮まり、昼からは自由時間。
ケヴィンはエバンの罪滅ぼしとアドバンが盗られた煙草2本の補填のつもりでそう言ったが、アドバンはそこまで考えていなさそうだ。
「すみません、自分の仕事をしっかりこなすところから、信頼を取り戻します」
「頼みましたよ」
「じゃあ、あたしは朝ごはん当番行かんと。いつも通り7時に食べれるようにしとくけん」
「私は見張りのご飯を届ける係ですね。私も起きちゃったから手伝います」
他の者も当番をこなすため去っていく。残ったのは数名とオルキとイングスだけだ。
「貴様は、どうしたいのだ。貴様が夫を許す許さないで処遇を変えるつもりはない」
「……私は、本当は……国を出るつもりはなかったんです」
オルキの問いかけに、何か答えなければと思ったのだろう。夫の悪事で罪悪感があるのか言い淀んだが、嘘を付く事の方が良くないと考え、ドルガは自身の気持ちを正直に話し始めた。
ボクスがその様子を悲しそうに見つめる中、皆がその話に聞き入っている。
「夫とは7年前、26歳の時に出会い、27歳で結婚しました。付き合っていた頃は優しくて、私は幸せだと実感していたんです。けれど結婚してから夫は少し変わりました」
「何か、良くない事を始めたのか?」
「だんだん不満を隠さなくなり、外のストレスを家で発散するようになって。煙草も本数が増えて……他人の子供に教育しているのに、自分に子供がいないのはみっともないと言い出したり」
「独身の先生って、いないのか? いるよな」
「夫の実家からも早く孫を見せろ、産めないのはお前の体が出来損ないなんだ、魅力がないんだと……」
「やだ、嫁いびりってやつ? 性格悪いよねそういうの!」
ドルガの昔話に、皆は気遣って相槌を打つ。ホグスに聞こえているのかは分からないが、同情されている様子くらいは分かっただろう。
「そんな時、夫の寝煙草で火事になって、家のリビングが燃えたんです。その時、私は夫の実家で家事をさせられていたのですが……火事の連絡を受けて急いで戻ると夫は病院に運ばれたと」
「なんて人騒がせな……それで煙草をやめさせたんですね」
「結果的には、そうですね。でも、それだけで済まなかったんです。病院に運ばれたのは夫だけじゃない事が分かって」
「えっ? 誰? 誰か一緒にいたんですか」
「でも、寝煙草? 寝てたんだろ?」
数人は察したのか、ホグスへと視線を向けた。
「夫の、浮気相手の女でした。私と結婚する前から続いていたと」
「最低!」
「そこに見舞いに来た女がもう1人。2人の女との浮気が同時進行でした」
「何で、そんな悪人を見抜けなかったんだ? 島長」
「人間の臭いは変わるのだ。その時に誓いを立て、守り続けていたなら蓄積した悪素も薄まっていたのだな」
「色々あって、次何かあったら離婚だって、そういう事だったんですね」
「ええ。愛情はもう殆ど残っていなかったけど、夫婦ってこんなものかなって諦めていたんです。そんな時、オルキ国の話を聞いたんです。夫は不倫も火事も知られていない新天地を望んでいたんでしょう、移住しようって」
ドルガが語れば語る程、ホグスに向けられる視線は冷たくなっていく。ホグスはただ鼻をすするだけでもう何も言わなかった。




