秩序を乱す者
オルキ諸島に長い冬が訪れた。
アザラシ達は暖流と地熱で比較的暖かなウグイ島に集まり、羊や牛、馬達は屋根のある厩舎でのんびり時を過ごしている。あまり氷点下にはならないと言っても、寒いものは寒い。特に諸島の間に海氷が流れ込んでくる日は底冷えがしていっそう寒い。
暖房器具は限られ、気密性の高い建材があるわけでもない。勿論、最先端の保温材もない。医療器具や薬は連合軍が戦艦に積んでいた分しかない。お金をいくら払おうと、島にない以上、手に入らない。
時代が100年は遡ったような冬の生活でも、オルキ国民はそれぞれが工夫、あるいは我慢をし、日常生活を送っていた。
「寒いっ、雪が降るのかな。オルキ諸島って結構北にあるから覚悟して移住してきたつもりですけど」
「このくらいで寒いって言ってたら、ギタンギュなんて地獄ばい? 天気が悪かったら10月の下旬にはマイナス5度になっとるし」
「えっ」
「オルキはそんなに寒くならんらしい。今日の気温計は3度やし、ケヴィンとフューサーは覚悟する程寒くはないっち言いよったけん、大丈夫よ」
「フェインとレノンでしたっけ、ご出身は。じゃあノバム島出身の私とあまり冬の状況変わらないはず。寒いなんて言ってられませんね」
ポツリポツリと移船が来るようになり、島の人口は15人から28人に増えた。
集落の空き家や港のにぎやかし目的で建てられた数棟も、もう全て入居者がいる。受け入れるにはまた家を建てなければならないが、このペースで増えるとしたら、そろそろ国が用意するには限界だ。
家を希望する場合、国が家を貸し、国民は一定の労働を家賃相当として返す。
共産主義的なやり方をどこで資本主義に移行させるか。早めに切り替えたいところだが、まだ職業の自由を与えられる程の成長はしていないし、そもそも貨幣経済が成り立たない。
この日も、ソフィアと新規入植者の女は自分の役割の仕事を行うため、新しく作った簡易ダムと、各地区の中心まで這わせた水路の点検を行っている所だ。
家で出来る仕事がいい、商売がしたいなどと言える状況にはなく、今の時点で移り住む者もまだまだ開拓者の段階。
少しずつ少しずつ発展し続けいよいよ年越しとなる頃、穏やかな島に異変が起こり始めた。
「……まただわ」
「ジェシカさん、行くよー」
「待ってソフィアちゃん! また煙草の吸殻が落ちてる」
「はあっ!?」
ジェシカと呼ばれた一番日の浅い移住者が、道に落ちていた煙草の吸殻を拾い上げた。
「……昨日はなかったね。レノン軍とかアイザス軍が来てくれて、一時的に人が多かった時期もあったんやけど、その時でも軍の人は島の決まりを守ってくれたんよ。ほんとゴミ1つ残さんかった」
「という事は、やっぱり移住してきた人のうち、誰かって事ですよね」
「……移住の時にちゃんと伝えたはずやけどなあ」
島では喫煙を許される場所が現在3か所。
集落の船着き場にある小屋の前と島の港、そして対岸のクニガ島の港建設現場の小屋だ。
吸殻はその場に捨ててはならず、必ず持ち帰って自分の家で捨てると決められている。
不注意で持ち帰ろうとしたものが落ちたと思いたいが、吸殻や釣りをした後の糸を放置しているのを発見された例がこの1か月でもう5回。
それまで0回だったのだから、これはルールを守る気のない者がいると考えてしまうのも仕方がない。
「どうします? 島長に言ったら大問題ですよね」
「……いや、言う。4日前にもアドバンさんが釣り糸を拾って来とったやん。あの件も含めてあたしが報告する」
「でも、ご近所同士だったらその後なんか関係悪くなりそうですよね」
移民希望者の全員が認められた訳ではない。船が4回やって来て、レノン国籍が40名、ゴーゼ国籍20名、ガーデ・オースタン国籍6名、連合軍側を含むその他の国から20名が移住希望を出してきた。
レノンとアイザスの間を結ぶ定期航路が再開し、そのうちの1便が月に2回だけオルキにも寄るようになったことが大きい。
商人がオルキで御用聞きを行い、次の便で仕入れて届けてくれる。オルキ国は毛皮や干し肉、セーターなどの特産品を商人に売って外貨を稼ぐ。そんな細々とした貿易も始まったばかりだ。
その船に乗って、移住希望者がやってくる。
ただし、受け入れるには審査のパスが必須。
ズシム語を話せる事、必ず仕事をする事、貨幣経済がまだ成り立っておらず、ド田舎の暮らしになる事。犯罪歴がない事、オルキ国の法律を読んで受け入れられる者。
その審査を通過した者は、まず島での生活を3か月許される。そこで問題を起こせば滞在許可は取り消され、島から出て行く。3か月を乗り切ったなら、再度意思を確認して移住成功だ。
つまり、連合国の襲撃事件の際の10名以降、まだ正式にオルキ国民となった者はいない。あくまでも滞在している扱いだ。
オルキにこの件を報告するという事は、この島で初めて島から出て行く者が発生するという事。
ジェシカは心配そうにしている。一方のソフィアは厳しい表情をしていた。
* * * * * * * * *
「んー、まずいなあ、誰だろ」
「これが1人とも限らんのよね。いや、あたしらも島長の耳に入れたらどうなるか分かっとるけん、出来るだけ穏便に済ませて反省してもらおうと思ったやん?」
「煙草の吸殻は2回目、壊れた工具を投げ捨ててるのが1件、切れた釣り糸と針を放置してんのが1件だっけ」
「煙草の吸殻は3回目よ。報告されてなくて他の人が見つけたものもあると思うけど」
「まだ消防体制も整ってないのに、火事になったらどうしてくれんだよ、まったく」
「煙草の成分が土に溶けて、そこから生えた草を羊が食べたり、海の生き物が食べたり、そんな可能性、ありますよね?」
夜になり、集会所にはフューサーとソフィア、アリヤ、ジェシカと他2名、それにイングスが揃っていた。
イングスは会議のメンバーというよりは、集落の管理を任されている事と、会話の速記が得意でいつも会議の際には呼ばれている。
「煙草はオレも吸うっすけど、基本は持ってきた分しかないじゃないっすか。今は欲しいものがあったらイングスっちに頼んで商人から買って貰えるけど、そんな大量に買ってもらうのも悪いし」
「国営の販売所を作れるのは年明けでしょうし、その時、いったんみんなに働いた分のお金を払って、そこからみんな頑張って稼ぐって、それまでの我慢って話したもんね」
「うす。だからオレ、1日2本しか吸ってないんすよ。煙草好きだから大事に吸ってんすよ。オレから言わせてもらうと、こうやってルール破る奴、最低っす。他の喫煙者の迷惑なんすよ、ぜってー許せないんすわ」
「アドバン君が18歳だっけ。島の中では一番若い子でも分かっているのに。どうします?」
「あたしは島長に言うべきと思う。みんなに呼びかけた所で、島長に聞こえたら一緒やし」
「喫煙者の臭いって、殊更煙草と無縁の生活していた俺達からするとすぐ分かるんだよな。喫煙者だけ集めるか」
「あの、捨てられていたのは煙草の吸殻だけじゃありませんよね。喫煙者だけ集めても意味がないのでは……最初にルールを厳しく運用していないと、文化やルールは定着しません」
ソフィアとアリヤ、それに喫煙者であるアドバンは賛成だ。一方、フューサーとジェシカ、それに40代程の男は慎重になるべきと主張する。
「島長に言ったら、どうなるか分かってんだよな。どうにかして俺達だけで犯人を見つけ出して改心させ
られたらその方がいいと思うんだけど」
「私も、後々の禍根になったりご近所トラブルになったりが心配で……」
「まずは現場を押さえるというのはどうでしょう。言い逃れされたら証拠もないですし」
慎重派の意見も尤もだ。島長に言えば、はりつけの刑、そして滞在許可取り消し。
言わなければ現場を押さえるまで繰り返される。
「何のために決まりをつくったのかな。捨てた人間は決まりに従わない覚悟をしたんだよね」
ふいにイングスが発言した。皆がイングスの次の言葉を待つ。
「オルキを裏切った人間は、絶対に許されない」
「うん、あたしもそう思っとる。自分が守るっち約束したんやけ、守らんなら帰ってもらう」
「でも、証拠はどうするんです?」
「もしその人がわざとじゃなくて、謝って島に残れる事になったら、恨まれるかも」
「そっか……みんな、言ってなかったね。あのね、あたし……」




