頼もしく無謀な者達
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「イングスさん、船の姿は見えますか」
「霧で見えないね」
船の汽笛の音は、数分おきに聞こえながら次第に近づいてくる。無人島ではない事を遠くからでも視認できるよう、灯台は綺麗に補修されて崖の上に数軒の小屋を置いている。
船の音ではなく、何かボンッと鈍い音も時々混じっており、ガーミッドは砲弾を撃ち込まれているのではないかと身構えた。
「かなり近づいていますね。もう灯台の明かりには気づいているでしょう。島が見えずとも、ある程度の方位と距離が分かれば撃ち込む事は可能です」
仮にオルキ国だと知らずに来たとしても、原始的な生活をする未開の部族ではなく、ある程度の技術と文明を気付いている事を匂わせる。
そんな思惑は、この島が見えないうちから攻撃されては通じない。
「船が見えた」
霧の僅かな隙間から、黒い船体がチラリと姿を見せた。ガーミッドからは見えていないが、イングスによればもう数キロもない距離だという。
色のない視界と、太陽光を遮られた青黒い水面。不安を煽るには効果的だ。
「国旗と軍旗は掲げられていますか」
どこの船なのか、それが一番問題だ。連合軍の旗であれば攻撃を想定しなければならない。ガーミッド達がかつてオルキ諸島に辿り着いた際は、自国の旗を掲げなかった。
船籍を隠し、万が一の際に言い逃れするためだ。
「うん」
世界大戦が始まった当時、他国の旗を掲げるという卑劣な手段も横行した。だが、それを各国がやり始めたせいで、自分の国も騙され攻撃されるという事態に。
特に被害を受けたのがギャロン帝国。軍が保有する船艇の種類が豊富で、民間船の数も世界一。
連合軍が始めた手段が連合国を苦しめる。そのため連合軍は他国の旗を掲げる事をしないと宣言、この卑劣な手法はなくなった。
だからと言って、掲げないというやり方も国際法違反なのだが……。
今近づいている船には、イングス曰くちゃんと国旗が掲げられている。警笛を鳴らしているという事は、不意打ちをするつもりもないようだ。
「どこの国の国旗か分かりますか」
「僕はどこの国の旗がどんな模様か知らないよ」
ガーミッドはそれもそうだと言いながら頭を掻き、霧の先を凝視する。海面の霧が一部だけぽっかり空いた瞬間、島の数百メータ先にとても大きな黒い影が現れた。
「お、大きい……航空母艦か!? 甲板に戦闘艇が見えます!」
「そうなんだね」
「民間の大型客船である可能性に賭けていましたが……」
汽笛の音が周囲の空気を振動させ、羊達がパニックを起こして駆け回る。
牛と羊の鳴き声が島中から湧き上がって耳を塞ぎたくなる耐えがたい時間。
ガーミッドの瞳が掲げられた国旗を捉えた。
「あれは……レノン共和国の国旗と、錨を描いた軍旗です!」
「レノンは敵じゃないよね」
そうイングスが言った瞬間、すぐ目と鼻の先まで近づいた航空母艦が砲弾を放った。霧でよく見えなくとも、その音は明らかなものだ。
艦砲射撃の黒煙と炎は、霧が織りなすもと明らかに異なる。
高い崖の上からなら軍艦艇を見下ろせて、甲板上の様子も確認できる。それは間違いなく人為的な煙だった。
「砲弾を放った……イングスさん、レノンはオルキ国に協力してくれるのではなかったのですか」
「オルキはちゃんとレノンとの約束を守ったよ」
「じゃあどうして」
ガーミッドが緊張の面持ちでイングスに尋ねる。イングスは航空母艦に視線を向けたまま、いや、更にその奥の霧を見つめていた。
「砲弾はヒーゴ島を狙っていないね」
「え、じゃあ……」
ヒーゴ島から戦艦が見えるなら、戦艦からもヒーゴ島が見えている。その距離は数百メータのまま保たれ、海洋上で停泊し近づきも遠ざかりもしない。
濃い霧の切れ間が上空を明るく照らし始め、一気に視界が開けた瞬間、水平線が見えた。いや、見えたのは水平線だけではない。
「戦艦と、駆逐艦が……それも3,6……8隻!」
巡洋艦、駆逐艦、それら8隻が、レノンの航空母艦を狙っている。航空母艦の脇には巡洋艦が控えているが、航空母艦は大きい分的になりやすい。
2隻が撃つ間に8回の攻撃を受けてしまえば、致命的な損傷を受け沈没するのも時間の問題。
「ジョエル連邦とギャロン帝国、それにモスコ社会主義共和国……連合軍です」
「レノンの船は、連合軍と戦っているんだね」
「……追われて追い詰められたと言った方が適切かもしれません」
8隻の軍艦からも、ヒーゴ島の姿を確認出来た事だろう。巡洋艇が撹乱し、連合軍の船がオルキ諸島に近づくのを阻止しているようにも見える。
「イングス!」
霧が草を撫でながら陸地を明け渡して去っていく中、オルキが駆け戻って来た。オルキも交戦を確認したのだ。
「ガーミッド、この状況を説明してくれるか」
「手前の航空母艦と右奥の巡洋艇がレノン共和国の船です! 8隻はジョエル、ギャロン、モスコの連合軍艦隊かと! レノンの空母を攻撃しながら追ってきたのだと思われます!」
「……レノンの船と話ができればいいのだが。あまり状況は良くないのだろう」
「ええ、8隻相手では航空母艦が沈没するのも時間の問題かと!」
航空母艦の上で右往左往する船員の姿が見える。再び海洋に霧が流れ込み、一時的にレノンの空母を連合軍から守る。
「……あの大きさであればクジラやイルカを集めても意味がなかろう。ガーミッド、貴様はこの場を離れるな! イングス、集落のボートで空母に近づくぞ!」
「はーい」
「ちょ、危ないですよ! 空母が発生させる波の高さは漁船を転覆させる程なのです!」
「ここでレノン軍の船が沈み、そのまま8隻が島を囲むのとどちらがいいか」
「……ですが!」
「フェイン王国が船を間に合わせくれていたなら良かったが……」
イングスが集落へと走り出し、オルキもそれを追う。その間にも砲弾の撃ち合いは続き、空母に当たらなかった砲弾が島のすぐ手前の海にしぶきを発生させた。
「オルキさん! 待って下さい!」
ふとガーミッドが細かく動く1隻の戦闘艇に気付いた。よくよく見れば、その船とても見慣れた国旗を掲げている。
「もしかして……オルキさん! フェイン王国の船が戻ってきました!」
ガーミッドの軍隊で鍛えられた肺活量と大声は、イングスとオルキの耳にちゃんと届いた。戻ってガーミッドが指し示す方へと目をやれば、それは確かにフェイン王国に置いて来たオルキ国の船だった。
「フェイン王国が我が国の船を返しに来てくれたか! なんという絶好の……」
「いえ、フェイン王国がレノンに要請したのではないでしょうか。オルキ国に船を返すため、護衛して欲しいと」
「そう考えるべきだろうな。港へと回ってくれたら良いのだが、港の場所まで伝えていなかったな」
戦闘艇は崖のすぐ下、空母の陰に隠れるようにして上陸地点を探している。外洋に面した側には2か所だけ平地があるのだが、肝心の港を整備していない。
「集落から小舟で回り込むまでに、堪えてくれるだろうか」
「空母まで向かいたいんだね」
「ああ、そうだ」
「空母に行けたら、小舟じゃなくてもいいんだよね」
「他に手段があるならば」
「あるよ」
そう言うと、イングスはオルキを抱き上げ、大柄なガーミッドを軽々と脇に抱える。
「い、イングスさん!?」
「貴様、いったい何を……まさか」
オルキがもがこうとした時にはもう遅かった。イングスは1人と1匹をしっかり抱えたまま、崖から飛び降りたのだ。
「うわあああ!」
その時間はとても長く感じた事だろう。綺麗な孤を描きながら数秒経った時、そこに波しぶきは起きなかった。
イングスの靴裏は厚い装甲を踏みしめ、オルキとガーミッドは平らな場所に倒れ込む。
「戦闘艇が真下に来ると読んで、飛び降りたのですか」
「読んでいないよ、どこにも書いていなかった」
「む、無茶をしよって……」
「お茶がいるのかい」
飄々としているのはイングスだけ。突如空から降って来た来訪者に、フェイン王国から来た船員たちは腰を抜かしただただ茫然と見つめる事しか出来なかった。




