次の外交に備えて
キュイ。島の南半分が南極圏にかかる寒冷な国だ。元々はクジラやアザラシ漁で暮らす狩猟民族の土地だったが、今では近代的な暮らしをする者が増えたという。
キュイは世界大戦に全く参加しておらず、地理的に連合軍も和平軍も立ち寄ろうとしていない。安全で確実な中立国として国交を結びたい国だ。
ただし、キュイまでは、このオルキ諸島から一番遠い国と言ってもいい。
「さすがに船旅でキュイに向かうのは1か月くらいかかるんじゃないか? その間、補給に寄るにも国交がない国を幾つも頼る事になる」
「現実的な事を言うなら、距離があり過ぎて厳しいですね。セイスフランナに寄港するとして、国交のない国の領海を通るにはかなり厳しい審査があります」
「飛行艇でもこの世界を半周一気に回れはしないもんな」
キュイは遠すぎる。誰もがそう言って現実的ではないと口を揃えるが、どうやらアリヤには自信がありそうだ。
「皆さん、お忘れではないと思いますが……現在、国交樹立した国はまだ2か国なのです。セイスフランナとレノンは、約束しただけで未締結です」
「キュイとの国交の話はまた別では。そんなに遠くまで行かずとも国は沢山ありますし、ノウェイコーストの方が近いですよ。連合軍側ではありますが……」
「春に行われる国際会議を前に、各国は外交を活発化させます。今年の国際会議はゴーゼ国で行われますが、友好国同士は事前に意見のすり合わせを始めるのです」
アリヤは国と国のやり取りに詳しい。常に国王や国会議員が身近にいる環境で育ち、会談の詳細は分からずとも動きは理解していた。
「アイザスの議員さんに聞いたところ、近々キュイの首相と会合があるそうで」
「アイザスなら攻撃されることなく、比較的安全に向かえますが……そろそろ東の海が荒れ始める時期ですよね」
「会談はアイザスではないそうです。レノン北部のシール諸島のシェルランドらしいですよ」
「シェルランド……でも、今は鎖国しているんじゃないんですか」
「鎖国していようと、国際会議への出席は必須ですから。何か理由を付けて他国と連携を取っていないとまずいと考えたのでしょう」
レノン共和国と東ユランの間の海に浮かぶシェルランド、メインランド、フェアアイルの3か国、それにキュイ、アイザスの2か国が離島防衛について協議をするという。
「ふむ、吾輩、国の位置には疎いのだが……なぜオルキ国から近いこの国々と先に国交を結ばなかったのだ」
「あー、そっか、島長は知らんよね。世界大戦が始まってから、シェルランド、メインランド、フェアアイルの3か国は鎖国しとるんよ」
「鎖国?」
「うん。3か国での貿易や外交はしとるけど、それ以外の国とは殆どの外交、貿易を断っとる」
レノンの北にあるという位置関係から、レノンの防衛網の傘下には入っている。だが初期の連合軍の攻撃は激しく、レノンにばかり頼れなかった。
レノンに守って貰おうにも、その対価を用意も出来なかった。
対岸の東ユランは中立国で、自国に被害が出ない限り他国へ協力はしない。
そこで一番発展しているフェアアイルが用意できるだけの防衛装備を買い、一番大きな島だが農耕が主なメインランドが3か国分の食料を生産。
一番小さいながら油田を持っているシェルランドがエネルギー面と工業を担う。そうして3か国は他国との交流を断った。
「ジョエルが持っとる武器の半分くらいの数持っとるっち噂やもんね。シェルランドは最初の5年間、全資産、全予算を武器の生産と購入に費やした」
「その3か国と、遠く離れたキュイ、そして我が国と国交のあるアイザスが会合を開くのか。外交関係を結ぶのが大変な国が近くまで来るとなれば、絶好の機会だの」
「うまくいけば、シェルランド、メインランド、フェアアイルの3か国とも国交を結べるかも」
「その場で結べなくても、セイスフランナとレノンは国際会議の時に調印式になるでしょう。キュイも恐らくそうなります」
「その前に3か国と国交を結び、既に5か国達成していたら確実だな」
「会合はいつだと聞いたか」
「3週間後、11月1日よ」
「その頃にはフェイン王国が我が国の船を返しに来るだろう」
「あ、そっか。今は船がないんだったな……」
暫くはオルキ国から出る事が出来ない。となれば、今から出来る事は冬への備えと、他国への説明資料などの準備。焦っても仕方がない。
「とりあえず、今週は冬支度をしよう。服についてはある程度用意できたとして、アイザス軍の駐留で食料が半分減っちまった」
それぞれが自分の仕事に戻ろうと腰を上げる。
その中で、イングスだけがそのまま椅子に座っていた。
「イングス、あたしとアリヤは保存食作りに戻るけど、あなたはどうする?」
「僕はケヴィンと一緒にいるよ」
「分かった。ケヴィンは今日お休みだし、イングスもたまにはお休みしなきゃね。興味がある事をやってもいいし」
「はーい」
イングスは珍しく誘いを断った。ケヴィンは途中で長旅の荷物の片づけと洗濯のため、不在にしている。
集会所から全員が出て行けば、ケヴィンが戻った時に状況が分からない。
「イングス、吾輩も外に出るが、待っているか」
「うん」
イングスがオルキの誘いにも乗らないのは珍しい。自分で考えて行動をするようになったイングスの変化だろう。
「どうしてケヴィンを待とうとしているのか、教えてくれるか」
「ケヴィンは、今とても悲しいんだよ」
「悲しい?」
「もうフェイン王国の人間ではないから」
オルキはケヴィンの感情を理解し、それにどう接するかを考えたイングスに驚く。だが、それを特に凄いとも更に追及するでもなく「そうか」とだけ言って集会所を出て行く。
「ケヴィンが戻ったら、先ほど話し合った事を伝えてやってくれ。頼んだぞ」
「はーい」
イングスは子猫を抱え、ケヴィンが戻って来るのを待つ。
「ようイングス、皆はもう仕事に行っちゃったか」
「そうだね」
「洗濯物は干したし、久しぶりの休みだから何をしようかな」
「にゃーん」
「お前はいっつも皆に遊んでもらってるだろ。島長の所に行ってこい」
「にゃーん」
「……眠いのか、こいつ」
「僕、猫語分からない」
「俺も分かんねーよ」
子猫は大あくびをし、イングスの腕の中で収まりが良い体勢を探して丸くなる。
「ケヴィン、休みなのに何かをしたら、それは休みじゃないよ」
「そりゃそうだ。んじゃ、昼寝でもすっかな。イングスも昼寝するか」
「はーい」
ケヴィンとイングスはケヴィンの家に向かう。ケヴィンは自身の敷布団を運んで床に広げ、昼間から寝転ぶ贅沢に満足気だ。
暫くは会話を続けていたものの、じきにケヴィンは寝息を立て始めた。
イングスはそのすぐ横に座り、ケヴィンのつむじ付近をじっと見つめる。
イングスはケヴィンがフェイン王国を救った達成感と安堵感を理解していた。
同時に喪失感で寂しそうな顔をする事も分かっていた。
本人は何も言わないが、オルキ国の中で二重国籍状態を解消出来たのは、まだケヴィン1人だけ。
同時に、もうケヴィンには帰る場所がないという事。いずれ皆もそうなるとして、ケヴィンは今、国際法上認められていないオルキ国しか頼れない。
祖国の不甲斐なさを指摘し、高らかにオルキ国を選ぶと宣言。そうでもしないと覚悟出来ないくらい大きな決断だ。
その葛藤と不安感を、イングスはよく感じ取っていた。だからイングスは休日をケヴィンと過ごす事で、ケヴィンに気遣いをするつもりだったのだ。
「にゃーん」
「猫」
子猫がイングスの腕の中を離れ、ケヴィンの布団に潜り込んでいく。
「ん……なんだ、お前も入るのか、ほら」
ケヴィンが寝ぼけた声で子猫を枕元に引き寄せる。そしてイングスがいる事を思い出し布団をめくる。
「お前も昼寝するか?」
「僕は眠る事なんて出来ないよ」
「寝転んで目を閉じるだけでもいいだろ」
イングスは少しだけ考えた後、ケヴィンの胸元に戻った子猫を潰さないよう、ケヴィンの布団に寝転び、目を閉じる。
ケヴィンはニッと笑ってイングスの髪をくしゃくしゃにし、弟が出来たみたいだと呟いて自らも目を閉じた。
「おやすみ、イングス」
「まだ昼だよ」
「昼寝でも、寝る時はおやすみなんだよ。お前は結果眠らないかもしれないけど、今からはとりあえず寝る。だからおやすみ」
「分かった。僕はおやすみ」
午後の優しい光が跳ね上げの木板の隙間から零れている。
夕方になりソフィアが起こしに来てイングスが「おはよう」と言うまで、ケヴィンはぐっすりと眠ったままだった。




