フェインを去る者より
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1時間ほど待たされた後、正装のフェイン国王がテラスに立った。
庭園が解放され、高めの2階からは人の頭ばかりが庭どころか通りの先まで埋め尽くす光景が圧巻だ。
「国民の皆、まずは心配をかけた事、そしてこの国を守り抜く事が出来なかった事を謝りたい」
国王は最初の言葉から低姿勢だった。
偉そうにしたところで連合軍の占領を許したのだから恰好はつかない。それを差し引いても、国王は少しも威厳を振りかざそうとしなかった。
「フェイン王国は幸いにも国として主権を奪われず、ジョエルやギャロンの領土とはならなかった。連合軍のどこの国が吸収するかの議論がなされる中、オルキ国が救ってくれた」
オルキ国と聞いて場所が分かる者は誰もいない。それどころか国名すら聞いた事がない。フェイン人はオルキ国というのが何なのか、何かの組織なのかと疑う。
フェイン国王は国民の反応を読み取り、オルキへと目を向ける。
「オルキ国は、死の海域に浮かぶ島々だ。皆はセイスフランナのアリヤ王女が無事だったという知らせを聞いているはず」
アリヤの名前が出た事で、大半の者がそれは知っていると示すため大きく頷く。アイザスから発せられ、セイスフランナも事実を認めた大事件。
占領下のフェイン王国にも、その情報は回っていた。
「そのアリヤ王女を連合軍から救出したのも、オルキ国なのだ」
「えっ」
「オルキ国は正しく誠実に生きているフェイン人を救ってくれた。我々の主権と独立自治を支持し、勇敢にも戦ってくれた」
「オルキ国って、聞いた事ないよね」
「死の海域って、何もないから誰も行かない海域だろ? 島なんかあったのか」
オルキ国がフェイン王国を救ってくれ、アリヤも救われた。セイスフランナやアイザスが既に国交を樹立している。となれば確かに国家だ。
ピンと来ていないながら、国民の間には知る人ぞ知る強大な国家だろうとする想像が膨らむ。
「……民主主義を貫くフェイン王国において、私は190日前に王国史上初めての国王令を発動した。連合軍の占領下となると」
ざわついていた民が一瞬で静まり返った。
「190日が経ち、私は再び国王令を発する」
国王令。選挙や議会での審議を経ることなく、国王の独断で強制力のある決まりを作るものだ。
同時に国王は1年以内に国民による投票を求めなければならない。
王室を存続させるか、独裁だと判断し王室を追放するかを決めるのだ。
前回の国王令は占領から間もない頃に国民投票によって審議され、王室は存続すべきとされた。
王国の法律で言えば、前回の国王令は認められたことになるので、次の国王令を発動する事に制度的な問題はない。
「国王令って、王様が自分の国外追放を賭けてもいいと思うくらいフェイン王国にとって利益になる場合に発令されるんだ」
「……それが前回は占領される事だったとはな。さぞ悔しかった事だろう」
ケヴィンがオルキに説明をし、国王令がどれ程稀で重大なものかを理解させる。オルキはそれをきちんと理解し、かつてのフェイン国王がただ負けて従っただけではない事を認めた。
国王が何を発動するのか。まさか王室を廃止し共和国になるつもりなのか。国民が固唾を飲んで見守る中、王は穏やかに微笑んで口を開いた。
「オルキ国を国家として承認し、外交を結ぶ」
国民はポカンと口を開け、そもそも外交があったのかなかったのかもよく分かっていない者が多い。予想していた内容よりも随分軽く、拍子抜けしていた。
ポツポツと拍手が鳴り始め、数秒で満場一致の豪雨のような音に変わっていく。
そんな国民達とは正反対の驚きを見せたのはオルキだった。
オルキは国家承認を求めるつもりで、フェイン国王もそれを了承していた。けれど、フェイン王国はそれを自身の進退を賭けるだけの価値があると示した。
オルキはフェイン国王が強い者に従い、救出の礼として当然承認するという弱腰な外交を予測していた。それが服従どころか近衛兵が王を慕う理由のように、自分の意思と国家の未来への確信を貫いてみせた。
力を見せつけて従えるのではなく、人間性で国民を惹き付ける。
その姿はオルキにとって新鮮であり、衝撃だった。
国王に再び視線を向けられ、オルキはイングスの肩からゆっくりとテラスの柵に飛び移る。
「あっ、ねこちゃーん」
という声がよく通った後、オルキはぎこちなく2本足で立ち上がり、まずはフェイン国王にお辞儀をした。
オルキが礼を口にした事はあっても、お辞儀などした事はかつて1度もない。
「オルキ国王は勇敢にも連合軍に立ち向かい、何十倍も大きなその真の姿で連合軍を撤退させた名君主である! オルキ国王、是非お言葉を」
近衛兵が表情を崩さずにスピーカーを近づける。その様子に、オルキの事を知らない殆どの国民が首をかしげる。
1度キーンと音を響かせてしまった後、今度は良く聞こえるよう話し始めた。
「吾輩は、オルキ国の王、オルキである」
猫が人間の言葉を発したものだから、その場には驚きの声が上がってスピーカーの音でさえも掻き消されてしまった。
「吾輩は魔獣である。どれ程の時を過ごしたかははっきり覚えておらぬが、貴様ら……コホン、皆が神として認識しているあのろくでな……コホン、人物によって魔獣となった存在だ」
魔獣と言えば恐ろしい存在だと相場は決まっている。実際、フェイン王国に駐屯していた連合軍は、黒く大きな化け物に負けたという噂は広まりつつあった。
それが今テラスで喋っている魔獣の事を指すとなれば、恐れる者がいるのも仕方がない。
オルキは怯えさせないよう、努めて冷静に、言葉を選んで続けた。
「魔獣を悪の化身と考える者もいるだろう。だが、吾輩は悪を許さぬ立場にあるのだ。そして、悪を裁けるだけの力を持っていると自負している。そんな吾輩を、フェイン国王は承認してく……ださった。吾輩はこの正しき王の恩に必ず報いる」
オルキが後は任せると言い、ケヴィンを猫招きする。ケヴィンは若干の良い服装を貸してもらっただけの、ただの庶民だ。
これまでは威勢だけで必死にやってきたものの、こんな公の恭しい場で発言したことはない。
「え、俺、何を喋ろって……」
「オルキ国の事と、後は貴様が見てきた事を淡々と語れ。良き王と清く正しく優しき民である事は十分理解した。だが、貴様が経験し見てきた事を伝えて危機感を煽らなければ、また同じ事が起こる。オルキ国から容易に駆け付けられる距離でもない」
ケヴィンは皆の視線を感じながらしばらく愛想笑いを浮かべ、その間に一生懸命言葉をまとめる。
そしてオルキと同じようにハウリングでスピーカーをキーンと鳴らした後、咳ばらいをして自己紹介とオルキ国の事、そして皆が変わらなければならない事を語りかけた。
「オルキ国王……の事を、俺は島長と呼んでいます。オルキ国は現在、島長と俺とイングス、島に残っている4人を合わせ、人口7人の小さな国です」
7人という衝撃の人口に、集まった数千人が唖然とする。
フェイン王国はたった7人の国民のうちの3人ぽっちによって救われた事になるからだ。
「島長がその気になれば、連合軍を追い出すくらいできますし、俺も国民として協力を惜しむつもりはありません。魔獣が悪だったなら、今頃皆さんもいなかったでしょう」
恐れ震えあがる者もチラホラ見受けられる。ケヴィンはそれを分かった上で、そう語った。
「そんな正しき魔獣である島長が、このフェイン王国を認めたんです。決して強くはなく、争う気もない。けれど人間性を第一に考え誠実に生きる。フェイン人のその姿勢を理想だと言ってくれました」
魔獣に認められる価値など、きっとまだ分からない。けれどオルキは少なくとも敵ではない事だけは伝わった。
「俺は今日限りでフェイン国籍を抜け、オルキ国民となります。その前に、皆と同じ故郷を持つフェイン国民として、最後にこれだけは言っておきたい」
人前で語る事に自信のなかったケヴィンは、いつしか皆を引き込むようなスピーチをしていた。私語などまったく聞こえない、ただ風の音が通り過ぎるだけの空間。
ケヴィンは小さく息を吸い込み、続ける。
「みんな、フェイン国民である事を誇りに思って下さい。それと同時に、その誇りを守り抜けるようレノンやガーデ・オースタン、そしてオルキ、名もなき勇敢な人々が代わりに戦ってくれた事を、絶対に忘れないで下さい」




