王の帰還
フェイン王達を連れ、慎重に階下へと歩を進める。1階のロビーまで降りたところで、外が騒がしい事に気付いた。
「ニーマン」
「ああ、皆さん戻ってきましたね。火災が起きたせいで人間共が逃げ惑い、飛行艇や4輪駆動車を奪おうとしてきたものですから」
周囲では数十人の住民がニーマンを遠巻きに見ている。移動手段を奪おうとして来たという者達は地べたで這いながら呻いている。
ニーマンは震える兵士を1人抱え上げ、布タオルのように振り回して威嚇を続けていた。
「さあ、早くこんなところから去りましょう。心配は無用、火災は和平軍の爆撃で森が焼け始めたせいらしいです」
「僕達が飛行場で連合軍と戦ったせいではないんだね」
「はい。c達のせいではないので問題ではありません」
「いや、俺達のせいじゃないからどうってわけでも」
「いいから早く支度しろ。ニーマン、レイフ、この直線道路から飛び立てるか」
道路には大勢の住民が出て来てどこかへ逃げようとしている。このままでは道路を滑走路代わりには使えない。しかし、レイフは当然のようにケヴィンの手を借りて乗り込み始める。
「問題ないだろう。回転するプロペラの前に出て邪魔するような度胸があるなら、今頃逃げ回っておらんだろうからな。さあ皆さん、お乗り下さい」
レイフはすっかり往年の頃の凛々しく頼もしい雰囲気に戻っていた。タラップがないためイングスが皆を搭乗口に押し上げ、最後にケヴィンを引っ張り上げる。
周囲ではずるいという声や自分も乗せてくれと叫ぶ声が鳴り響く。オルキ達がジョエル連邦人だと思っているからだ。
そんな民衆に、イングスが穏やかな笑みのまま残酷に言い渡す。
「君達は僕らの敵だよ。どうして敵を助けないといけないんだい」
「て、敵?」
「僕達は国に帰る。君達は敵国の人間だ」
「敵国……」
「4輪駆動車は飛べないから置いて行くよ。君達が連合軍の乗り物を奪って乗り回す事を止める権利はない」
イングスの大声が終わったと同時にプロペラが回り始めた。強風と回転するプロペラの不気味に風を切る音に怯え、群衆が慌てて数歩下がる。
「行きますよー、シートベルトをしていて下さい」
ニーマンの合図で飛行艇が進み始めた。相変わらず前方には人がいるが、ニーマンはお構いなし。
まるで割れるように人々が逃げて道をあけた所で一気に加速し、飛行艇はしがみついていた者を落としながらついに空中へと浮く。
「こんなにも簡単に、脱出出来る日が来るとは」
「半年もずっとあの部屋に閉じ込められたまま、もう一生出られないかもって思ってた」
「けれどこのまま国に帰って、穏やかに暮らす事は出来るのかしら。また我々を捕えに来るかもしれません。いえ、次は本当に国を滅ぼしに来るかも」
「吾輩この耳がつーんとなるのが苦手なのだ。なんだこれは、飛行艇というやつは奇怪だの、よく分からぬ」
「確かに機械だよ、生き物じゃない」
「そのキカイではない」
王族の体調を心配するレイフに、ニーマンに従って計器の数値を読み上げるケヴィン。いつの間に何を食べたのかゲップをするオルキと、明後日な会話をするイングス。
その真下では、今まさに連合軍が他国にしてきた事と同じ事態が起き始めている。暗闇に浮かび上がる炎は不気味で、この中を人が逃げ惑っていると考えるだけで恐ろしい。
自分達が当事者であり、他国の惨状はまさにこれだったと、どれだけの者が気付いてくれるだろうか。
「ふう……ようやく耳が吾輩の意思に従い始めた。おい王妃、貴様は何を寝ぼけた事を言っておるのだ」
「……え、えっ」
オルキが王妃の悲観をぶった切る。
「穏やかに過ごす? それは貴様ら次第だとまだ分からぬか」
「そ、それは、でも」
「貴様らの国で、貴様らの民なのだろう。貴様らが穏やかに過ごすためではなく、国民を穏やかに過ごさせるのが貴様ら王族であろう」
「で、ですから我々はおとなしく連合軍に従ったのです!」
王妃は急に責められて訳が分からないと言いたそうに眉尻を下げる。オルキは王様が庇おうとするのを前足で止めた。
「だいたい、簡単に脱出出来たと考えておる時点で愚かだ。イングスとニーマンの恰好を見ただろう、あれは数十数百の銃弾と、何十人もが斬り裂いた跡だ」
「斬り裂いた? 銃撃?」
「こやつらは傀儡人形だ。仮に同じ事を人間がしようとすれば数百人を連れてくる必要があっただろうな。何もしていない貴様らからすれば用意された逃走機に乗るだけで簡単だろうが」
「人形……」
「王様、お妃様。この方達は決死の思いで救出に来て下さったのです。平和は勝手には訪れません。まだ現実に思考が追いついていないかとは思いますが、よく考えて下さい」
簡単だと言った事を反省し、王様が傀儡人形に頭を下げる。
「そうですね、私達を助けに来て下さったのですね。有難うございます」
「ご無事でなによりです。それより、考えていただきたいのは、王家の代わりに他国がフェイン王国を守ってくれた事です」
「……」
「確かにフェイン王国は見かけ上の戦いが終わりました。しかし実態は連合軍に支配され、抑圧され、気に入らないと罰せられる恐怖の日々です。王族が選んだ道は国民がそのような目に遭う日々です」
今一度レイフから諭され、王族は自分達の選んだ道が正しかったという自負が揺らぎ始めていた。
「フェイン王国の代わりに、結局はレノンやガーデ・オースタンの軍が戦ってくれたにも関わらず、です。頼んでいないとでも言いたいのでしょうが」
「戦いになれば国民にも犠牲が出る。国民を戦場に駆り出すわけにはいかなかった」
「他国の者なら良いと? 国を守れもできぬくせに偉そうなことを」
オルキがため息交じりに吐き捨てる。
「平和だ友好だ中立だと言えば相手が耳を傾けるとでも? 悪人は目の前に宝石があれば奪う手段を考えるものだ。考えるならまだいい、反射的に盗るかもしれぬ」
「王様、オルキ王の仰る通りです。和平協定や不可侵協定など、同じレベルの相手にしか通じないのです」
「次もまた同じ事を繰り返すか。守るには相応の力と、躊躇させる程の国際的な地位や強みが必要だ。フェイン王国にそれがあるか」
国土は小さく、人口はジョエル連邦やギャロン帝国の100分の1にも満たない。産業は農耕と漁業が中心で軍隊を持っておらず、武器の所持も取り扱い経験もない。
他人に優しく、対話で分かり合おうとする精神は立派でも、相手が立派でなければ捻じ伏せられて終わりだ。
「今回の事態をもってしてもまだ分からぬなら、フェイン王国は滅ぶ運命だという事。貴様に国を救えるか。戦いを止めただけで国を守ったと言えるか」
オルキの言葉には咄嗟の反論が出来なかった。確かに戦争は終結させたが、国民は穏やかに過ごしておらず、国土は連合国のやりたい放題。王様は自身の友和政策が間違いであったとようやく気付いた。
「……残念ながら、今のままでは近いうちに再び責められて終わりでしょう」
「理解できたようだの。ならば帰ってすぐに国を守れるだけの戦力を用意せよ。レノンとガーデ・オースタンを救ってやるくらいの気概を持て」
「い、言うは簡単ですが……10年単位の時間がかかるかと」
「そうだの。ならば手っ取り早い時間稼ぎの手段があるが」
オルキが王様の膝に飛び乗り、王様の目をうわ目でじっと見つめる。オルキは猫のあざとさをちゃんと自覚しているようだ。
「オルキ国と国交を結び、同盟国となればよい。我が国はフェイン王国を解放し、和平軍の反撃までの時間を稼いだ。たったこれだけの人数でな。どうだ、吾輩への礼としても同盟相手としても相応しいと思うが」
「そんな国が相手なら、ジョエルもギャロンも簡単には手を出さないでしょう。代償は決して小さくないと分かったはずですから」
「国交……もしかして、たったそれだけのために」
「それだけ? 我が国にはとても重要な事なのだ。独立国として認められるためには、大国だろうが小国だろうが1国は1国」
「平和主義を貫きたいなら、平和を保ってくれる味方が必要です、王様」
かつての家臣が今慕っている相手。そして、見返りに金品や領土を求めるのではなく、自国の承認を求めるという欲のなさ。王様が断る理由は何もない。
「……分かりました。国に帰り、すぐ国交を結ぶ署名をしましょう。オルキ王、魔獣の王との友好は初めてですが、帰りの間、是非あなたと国の事を伺いたい」
数時間のフライトの間、オルキとフェイン国王はずっと国政について語り合っていた。
この数年、父親を意気地なしで他力本願な領主と思っていた王子や王女も、その熱く語る姿を前に、かつて慕っていた頃の「国王」を思い出し始めていた。




