傀儡の精神
「イングス!? だ、大丈夫か」
「応援の奴らが来たか!」
「僕が大丈夫かどうかは、どうやって決めたらいいのかな。服は大丈夫じゃないね」
「あー……お前は大丈夫そう、だな」
ライフルで狙われているのか、弾は時折扉を貫通してくる。そんな中でもイングスは数発の銃弾を受けつつ、服に穴が開いた事を冷静に報告する。
人間なら即死級でも、イングスならば特に問題ない。
「中にいる人間や飛行艇に弾が当たるのを承知で発砲してやがる……」
「どこを通って来た? トンネルが無理でも、4輪駆動であればなだらかな草原の斜面を通れたか」
「悩んでる暇はないでしょう。オルキ国王、ケヴィンさん、イングス、あなた達には目的があるのですから」
ニーマンに指摘され、一行は何をすべきか思い出した。
この場所にいるのは、飛行艇を飛ばすためだ。母国の惨状を見ればきっと戦意を喪失する。そのためには権力ある人質を連れ、何としても飛ばなければならない。
「イングスの進化を喜び祝いたいところだが、まずは奴らをじゅるる……捻じ伏せなければの。そろそろ1人くらい喰らっても良いのではないか」
「島長、涎が垂れ落ちてる」
恐れ知らずのニーマンが、同じく恐れ知らずのオルキとイングスへ手で合図を送る。武器を手に取るケヴィンに対し、ニーマンはレイフを守ってくれと頼んだ。
「老いぼれにも役割が回って来たか。ケヴィンくん、どうにかして儂を戦闘機に乗せてくれ。いつでも飛び立てるよう、準備だけは済ませてやりたい」
「わ、分かった!」
ケヴィンが力づくでレイフを機体へ押し上げ、レイフは痛む足に顔を歪めながら搭乗口によじ登った。ケヴィンが抜いていた警告灯のランプを持って乗り込んだ時、レイフは既に機長の顔に戻っていた。
「懐かしい、まさかこの席に再び座る日が来るとはな」
「何年ぶりですか」
「25年程は経ったかの。なに、忘れてはおらぬよ」
機体をレイフに任せ、ケヴィンは銃を構えて搭乗口から外を狙う。シャッターを開けたらきっと、外では激戦が繰り広げられている。
「……人間ではない者達が、人間のために戦っている。それでいいんだろうか。俺は戦場にいるだけで参加した気になっているだけじゃねえのか」
* * * * * * * * *
「な、なしてだべ!」
「ああああやめてけろじゃ! 化け物、化け物!」
「化けていないのに化け者呼ばわりするのは良くないね」
「た、対戦車砲が利かね、こやてもまいねべし……も、どもなねね! やぐだー、わーかぐえでるはんで」
「ばがぃこのー、ぴっとすながー! もじらいねふただでば!」
「イングス、君はこいつらの言葉は分かるのですね。俺はさっぱり分かりません」
「そうなんだね」
銃弾を簡単に避け、集中射撃を受けてもあっけらかんとしている。そんな青年が2人と、見上げて首が痛くなるほど大きな豹。
ジョガル語で叫びながら銃を乱射する連合軍は100名ほどもいるだろうか。それでもイングス達の動きと回復能力には全く歯が立たない。
だからこそ、叫びながら恐慌状態に陥っているのだが。
発狂状態で逃げ回る兵士はオルキがひょいっと跳べば簡単に追いつかれ、太い前足で弾き飛ばされる。
どこを狙ってもすぐに自動修復する青年達は、特に感情も見せず次々と兵士を地面に投げ捨てていく。
もう見飽きたような光景には、もはや説明する気力もなくなる。オルキは少しばかり、腹を満たしたようだった。
「いい加減、諦めぬか。もうそろそろ片腕や片足では足りぬ」
「畜生相手に人間の言葉が通じるのかい」
「む、それはそうだの」
イングスの余計な一言により、オルキの腹はもう少しだけ満たされる事となった。ついに兵士達が降参を示した時、五体満足な者はもう片手程もいなかった。
「こ、こえがら何すだば」
「アジムの奴、たんげねすてねっこまってまたね」
100人がいよいよ一か所に集められ、腕がある者は腕を上げ、足がない者は座って逃げない事を示す。失神しそうな程の激痛も激しい出血も、この場の恐怖が忘れさせていた。
四肢が揃っていない者がいるのは、今しがたげっぷをしてみせたオルキのせいだ。
「イングス、ニーマン、この愚か者達の服を破き、止血を施せ」
「はーい」
「俺は君の指図で動く人形ではないのですが。……そりゃ、久しぶりの命令に張り切る気は勿論ありますけれど」
哀れとも、気の毒とも、気味が悪いとも思っていない。そんな青年2人の様子に兵士達の顔色は真っ青だ。光に照らされたそれらはまるで土のようで、30歳も余計に重ねたようだった。
くしゃくしゃになった皴をお湯につけたって元には戻らないだろう。
「貴様らの中にズシム語を話せる者はおらぬか。いるのなら一番権力を持っている者に通訳しろ」
オルキの言葉に縮み上がり、何人かはついに失禁して後ろに倒れてしまった。ズシム語が分かる者が前に出て、その者が大佐であると名乗る。
「ふむ、大佐とはどれ程の立場だ」
「せ、正五位の……」
「なんだ、5番目か」
「こ、この国に駐屯している兵士をまとめている!」
「良く分からぬが、貴様らのような仕様もない愚か者の中で、一番偉そうに振舞っているクズという事で合っているか」
「なっ……きさ」
「貴様の意見など求めておらぬぞ。状況を正確に理解出来ぬ馬鹿が偉そうな立場におる事は分かるが。違うのなら貴様より立場が上の者を出せ」
「……私がフェイン王国占領軍の長だ」
「嘘ではないのか」
オルキがあからさまに見下した発言で煽り、大佐が歯ぎしりして感情を抑える。
「貴様を始末すれば、全兵士が投降すると理解してよいのだな」
「私の命で、全員を助けてくれるというのか」
「何を言っておる。貴様の命にどれ程の価値があるのだ? 他の個体より少しばかり美味そうなくらいで自惚れるな」
大佐は顔色を一層悪くさせ、ガチガチと歯を鳴らす。手は小刻みに震え、オルキはとても満足そうに舌なめずりを忘れない。
「皆は、君を立派で偉い立場の人間だと認めているのかい」
「そ、そうだ」
「皆は、君を人間として偉いと認めているのかい」
「だからそう言っただろう」
「君はそんなに立派なのかい」
「何が言いたい」
「他人の土地を奪い、血を奪い、権利を奪い、その争奪戦に勝つ事が立派な人間の行いなのかい」
「……」
「君は人間として立派なのかい」
イングスは満身創痍の大佐の前に立ち、大佐の自尊心をこれでもかと踏みにじる。ただ単に好奇心で質問しているのか、それとも立場以上の存在価値がない事を見透かしているのか、それは誰にも分からない。
「君は立派な人間なのかい。ねえ、君の存在が誰のためになるのかい。君がいる事でどれだけの人間が幸せになれて、どれだけの人間が不幸になったんだい」
「何がいいたい! これは戦争で……」
「フェイン王国の人間は戦争していないでしょ。フェイン王国は君達を相手に戦ったのかい」
オルキ達は知らないが、飛行場の小屋で兵士10人を発狂させたのがこのイングスの押し問答だった。
淡々と連合軍の主張を否定し、矛盾を自覚させ、どれ程に人間として最低な行為に耽っていたのかを何十周も繰り返させるのだ。
「おい畜生、貴様に現実を見せてやろう。この数刻、本国から連絡はあったか」
「……夜間には連絡など来ない。時差はたった2時間なんだぞ」
「そうか。ならば朝まで待ってみるか。その間に残りの400名を殲滅してこよう。何、心配など無用だ。ほんの100か200程数が減っても気にするな」
大佐の後ろには、もう二度と戦場に立てない程の傷を負った兵士が99名も横たわっている。イングスとニーマンに手当されたからといって、失った四肢はもう生えないのだ。大佐は諦めて降参を示した。
「ならばあの戦闘艇に乗れ。イングス、済まぬが動ける畜生共を首都に連れて行き、残りに投降を命じてくれぬか」
「俺が選んであげましょう。自身の判断で動けるようにはなりましたが、命令され、それを忠実にこなす事はやはり良いものですから」
ニーマンは場に相応しい笑顔を選び、それから動ける者を選別し始める。それが終われば今度はイングスが留守番だ。
その頃、格納庫のシャッター扉が大きな音を立てて開けられた。
「飛行艇の状態は問題な……」
「どうした」
「どうしたもこうしたもあるか。その……まあいいや。いつでも出発できる」
「ニーマン、操縦を任せる」
「いいでしょう。イングス、養父を必ず守って下さい」
「はーい」
レイフが離陸前の確認を全て終わらせ、エンジンを掛けた。その風圧が辺り一面の不快な空気を吹き飛ばし、ただ大空への飛翔を搔き立てる。
「……フン、人間同士の争いなど、所詮は自然の猛威の最底辺である事を思い知らせてやる」




