決断と人形の使命
イングスは確かに傀儡人形として作られ、神に使役される事なく捨てられた。
実際のところ、神が傀儡人形として操ると言いながらそのまま放棄したわけだが、イングスは自身の存在意義を傀儡人形である事だと信じて疑わなかった。
けれど、そこがもう間違いだった。
神はイングスの存在意義をとっくの昔に捨てたのだ。
「僕は傀儡人形ではないのかい」
「俺も元はそうでした。でもこうして人間を真似て使役もされず暮らしています。神に弄ばれていた頃は、それを当然だと受け入れていました。再生能力の実験のため腕をもがれても」
「えっ……腕を?」
「はい。勿論、身体的な実験だけはありません。本当に何をしても感情が芽生えないのか、色々な拷問を受けましたよ。俺はそれを拷問と認識する事すらできませんでしたが」
「……あのクズがどのような事をしたのかは想像がつく。恐らくはイングスも貴様の代替品くらいに考えていたのだろうから」
オルキは神の事をとうとうクズと呼び始め、忌々しそうに吐く真似をしてみせる。
「罵詈雑言を浴びせる、3日間水中に沈めておく、1日中蹴る。夜の相手と称して俺に神を抱けと強要したり抱かせろと強要したり」
「さ、最低じゃねえか」
ケヴィンが両腕をさすりながら身震いする。人形を破壊して何とも思わないどころか、欲望の捌け口に使うなど、神より下等な人間ですら犯罪だと認識する行為だ。
「あのクズはそういう奴だったと何度も言ったであろう」
「そりゃ、聞いたけどさ。島長以外にもそう言う奴がいるって事は、マジなんだと」
「イングスを作った時もいっときは満足し、子を産ませるだの世話係にするだの浮かれておった。だが乳を備えたかった、女型でもう少し幼くしたいと言い出し、上手くいかず世界ごと捨てた」
「倫理観とかまったくねえのな」
「まあ、俺の時と同じですね」
神のクズエピソードが次から次へと飛び出すせいで、レイフとケヴィンは唖然とした表情のまま。イングスは表情1つ変えず座っていたが、そんなイングスに対し、ニーマンはハッキリと言い切った。
「君は、もう傀儡人形ではないんですよ。傀儡人形ではないのだから、自身で考え行動しなくてはならない存在です」
「僕が傀儡かそうでないか、どうやったら確かめられるのかい」
「自分で考え、考えた通りに動けるのなら、傀儡人形ではありません。もっと言えば、君が誰かに自分で考えた指示を出せるようなら、傀儡の風上にも置けません」
自分で考える。イングスが今までしようともしなかった事だ。
「どうする事が考える事なのかい」
「お前さん、分からないのだろう」
「うん」
「それは答えを持っていないからだ。では、どうするのか。それは自分で答えを探すって事さ」
指示されず、自分で考えて行動をする。人間ならば当然の事でも、人形には難しい。もっと言えば、人間は時に指示される事を嫌うもの。指示に反発し、怒り、悲しみ、そして後悔する。
残念ながら、神は人形に感情を与えなかった。快楽の感情くらい与えようとした事はあったが、人形がひたすら快楽をねだるようになってしまい、面倒になった事もあるのだという。
喜怒哀楽の全てを与えなければ制御が出来ない。だから神は全てを与えた人間で失敗した結果、今度は人形に何も与えない事を選んだのだ。
「ニーマン、あんたはどうやってそんな風に傀儡の立場から抜け出せたんだ?」
「人間の真似をしました。俺には感情がありませんから、どういう時に喜び、悲しむのかを学びました。そうやって、適切な場面で適切な感情行動を取るんです」
「つまり、本当は嬉しい気持ちになっているわけじゃないし、悲しくもないけどって事か」
「はい。考えるという行動も理解していませんから、最善の行動を取るだけです。俺が最も不得意とする事は、無駄な行いです」
ニーマンはどこかぎこちなくもハハハと笑って見せた。笑顔を作るのが苦手な人間もいるもので、ぎこちない笑みも人間らしく見えてしまうものだ。
いつかケヴィンやソフィアがイングスに笑ってみろと言った事があった。
その時のイングスはたいそう恐ろしい様子だった。
声は明らかに大笑いなのに、表情がそのままなのだ。イングスは笑うという行為をまったくもって理解していないし、自分に必要なものだと考えていなかった。
それに比べたら、同じはずのニーマンがここまで出来るようになったのは凄い事だ。
「吾輩が使役し続ける事も出来る。傀儡として操る事で存在意義を見出せるならそれも良かろう。しかしな、それだけでは勿体ないとも思っていたのだよ」
「持ち主がいなきゃ置物同然ってのは確かに勿体ないな」
「そうなんだね」
自身の存在意義の話をされているのに、まだイングスは覚醒できていなかった。イングスはまだ決めて貰わなければ何一つ出来ない。
そこで、ニーマンはレイフから教育された最初の1つを実行させることにした。
「俺が言う事に従えますか」
「うん」
「では、立ち上がって下さい。そして俺から見て右か左か、どちらかに動いて下さい」
イングスは立ち上がる事までやってのけたが、次の指示には従えなかった。どちらに動くか、どちらでもいいしどちらに動いた先にも目的がない。
指示があればその通り動けるが、指示もなく最適解もない状態では動けないのだ。
「左右どちらかに動いて下さい。右でも左でもどちらでも」
ニーマンは右左と言えば右が1番だから右と短絡的に判断する事も許さなかった。左右と言ってみたりして撹乱させ、自発的な答えを求め続ける。
「どちらがいいかなんて、人形が判断する事ではないでしょ」
「俺は人形です。そして、自ら判断する事が出来ます。では、俺が君に与えた指示と同じ事を俺に指示して下さい」
イングスは一言一句違う事なく復唱する。間もなくして、ニーマンは迷うことなく右に動いた。
「俺は動きましたよ。人形が判断しました」
「そうだね」
「君は俺が指示を出したのに従えませんでしたね。それでも傀儡ですか」
「……」
イングスはようやく自身への明らかな矛盾に気が付いた。イングスは指示されなければ動けないと言ったが、指示をだされたのに動かなかった。
右か左かどちらかに動かなければならなかったのに、判断できず従わなかった。
そして、自分と同じ人形は自らの判断で右に動いた。
「僕は、人形だよ。傀儡だと言われた通りにしていたよ」
「さっきまでは、そうでしたね。傀儡だと言われたから傀儡なら、人間だと言われたら人間でしょうか。パイロットだと言われたらパイロットでしょうか」
「僕は……」
「右か、左か、左右どちらでもいいですよ。さあ、動いて下さい」
「イングス……おぬし」
イングスの中に、初めての葛藤が生まれつつあった。傀儡として従うべき場面で、同時に指示なき判断を迫られる。どちらかに動かなければならないが、どちらに動くべきか、指示が欲しい。
けれど、指示を受けたならそれはどちらかを判断出来なかった事になり、やはり指示に従えない事になる。
イングスの体が微かに震えている。感情などなく何をされようが受け入れてきた傀儡人形は、明らかにストレスを感じている。
踏み出そうとする足は震え、穏やかな笑みはもはや哀れだ。
「君は俺より優秀ですね、もう決めようとしています。俺はそのような反応が出来ませんでした。俺がこの指示に従えたのは、3週間も後の出来事でした」
「そうだったな。ニーマンは儂の指示の後、食卓のテーブルの前から一切動けなくなってしまった。そのまま3週間同じ所に立ち続けていた」
「3週間経って、どう変化があったんですか」
「地震があったんだ。震度は3か4くらいだったと思うが、ニーマンはバランスを崩した。その時の事は忘れもしない。ニーマンは弾みで右に2歩動いたんだ」
「自分で判断したとは言い難い結果でした。けれど、俺は確かに指示されていない行動が出来たのです。そんな俺と比べて、イングスはもう考え始めています」
皆の視線がイングスに向けられる。その表情を見てケヴィンもオルキも心の底から驚いた。勇気とも恐怖とも絶望とも取れる、穏やかな笑みとは程遠い顔をしていたのだ。
「イングス……」
「吾輩は待つぞ。いつまでも待ってやる。たとえ愚かな連合軍の兵士がここまで辿り着いたとしても、貴様の意思で動くまで邪魔はさせぬ」
イングスは体も唇も震わせ、自らの行動を自ら決めようとしている。
「あっ」
ついにイングスが小さく確かな1歩で応えた。動いたのは右足。だが左足でくるりと回転して反対を向き、そして今度こそ右に大きく動いた後、まだ震えの止まらない声でハッキリと言った。
「僕は、みんなを守れる行動を取る事にする」
イングスがそう言い終わった直後、倉庫の扉めがけて何発もの銃弾が撃ち込まれた。




