制圧
オルキは車両のボンネットを前足で押し潰した。そのせいで車体も歪み、車内にいた者は扉を開ける事が出来ない。
荷台にいた兵士数名が慌てて飛び降りて逃走を図るも、オルキは俊敏に反応し、残像も見えない程の猫パンチで身体の機能を奪っていく。
「許してけれ! まんずめやぐだじゃ、許して……」
「許すのは僕じゃないよ」
泣き叫ぶ男の前で、1人の青年が立ち止まる。
「イングス」
「うん、僕だよ」
「他に逃げた仲間がおらぬか、吐かせよ」
「はーい」
イングスは無事だった。
「吾輩が行ってもよいが、足加減できずついつい殺してしまいそうだ」
「なして、どひゃして……撃ち殺したはずだべ」
「フン、イングスは貴様らが撃った砲弾に跳び乗って車両の屋根に移った。ただそれだけの事」
「そんな……」
対戦車用発射砲を至近距離で使ったというのに、イングスは瞬時に跳び上がり、砲弾を足場にする余裕も見せて車両の屋根に飛び乗った。
幌付きの車であっても、発射した者達はその動きを追えたはず。なのにその動きも見えなかった。爆発の様子で目が眩んだとしても、気付かない程の素早さ。
兵士達は敵う相手ではない事を本能で悟っていた。
そんな兵士達に対し、イングスの容赦ない尋問が襲い掛かる。
「ぐっ……ふ」
「すまぬなイングス。このような役目を与えるのは本意ではないのだが」
「そうなんだね」
イングスは躊躇いなく1人の兵士の髪を掴んで持ち上げ、腹に拳を打ち付けた。兵士はその痛みで嘔吐し、イングスが手を放すと同時に地面に倒れ縮こまる。
「うーん、まだ仲間を吐かない。やり直すね」
イングスは再度兵士の髪を掴む。今度はオルキがそれを制止した。
「イングス、念のために言っておくが口から仲間を吐くのではないぞ」
「逃げた仲間がいないか吐かせよって言った」
「口の中に逃げるわけがなかろう。逃げた者がいるなら教えろという意味だ、嘔吐させろというつもりではなかった」
「そうなんだね」
イングスは喋る事もままならない兵士を捨て置き、喋る事に支障のない兵士の前にしゃがみ込んだ。
「他に逃げた仲間がいるのかい」
「い、いね……」
「いないんだって」
「そうか、嘘がバレたなら首都にいる兵士を含め全員死ぬ事になるが、覚悟はしておるな」
オルキが追い打ちをかけ、兵士は震え上がる。そんな中、左足を折られた兵士の女が口を開いた。
「だ、だいがいねか、ふとじにいねだばわがんねし……」
「誰がいないか、一緒にいなかった兵士の事は分からないんだって」
「そうか。ならば仲間の許に連れて行く。イングス、この珍妙な機械に全員を乗せて運べるか」
「うん」
イングスは地面に転がる兵士を荷台へと放り投げ、痛みで絶叫を響かせるのも気にせず車両を軽々と抱え上げた。そのままいつもの爆速で走り出す。
数分もせずにクラクスヴィークへと戻り、港に全員を転がした所で、イングスは再度兵士の女に尋ねた。
「誰がいない」
兵士の女は痛みに顔を歪め、まるで死体のように転がされた兵士の様子に青ざめながらも兵士を数え始めた。
「51……51人、1人たいねし……」
「1人足りないんだね。誰がいないんだい」
女はしばらく考え込んだ後、1人の名を告げた。
「せば、ハンナ……ハンナは」
「い、いね……」
「他にいないのは」
「ハンナだけだんず」
「おめ、仲間さ売る気か!」
「さしね、皆ともすんずまうよりいいべ」
この兵士曰く、ハンナという上等兵曹がいないという。
イングスとオルキが再び捜索に出ようとした時、通りの先から騒がしい声が聞こえて来た。
「黙って歩け! 日頃威張り腐ってやがるのに、町が襲われたらコソコソ逃げ隠れるのか!」
「自分達が守っているおかげで暮らせているだの、散々偉そうな口聞いてくれたよな」
「わいーきまげるじゃ、おめだち、いい気なな! 1人であさ……ぐ」
ハンナと呼ばれた女は、オルキの姿に気付いて青ざめたまま立ち止まった。両脇を町の男挟まれ、がっちりとホールドされている。
「こいつで最後か」
「ご、52人、わんどで58人、これで全員だねし」
クラクスヴィークに駐留しているのは58人。これで全員が揃った事になる。
交戦開始からおよそ1時間での奪還。あまりにも早い。
「貴様らの処遇は、貴様らの仲間次第だ。一応言っておくが、吾輩の国は参戦したわけではない。魔獣が人を喰らって悪いという道理はないのでな」
「オルキに襲われたくないのなら、オルキ国の建国を認めたらいいんだよ」
「案ずるな、貴様らの本国も、今頃無事ではない」
オルキはその場にいる者達に、自分達がどこから来たのか、どのような目的で来たのかを話した。
イングスが人形だと分かった時、過去の凄惨な事件を思い出した者もいた。しかし、ケヴィンがイングスを味方だと説明し、実際に助けられたという住民まで擁護を始めた事で、イングスは悪い人形ではない事は伝わったようだ。
「さて、どうするか」
「首都のトシャにはどれくらい兵士がいる。他の村にも駐留兵がいるのか」
ケヴィンの問いかけに、兵士達の大半は答える事が出来なかった。気絶していたり、痛みに歯を食いしばっていてそれどころではなかったり。
だが、誰も答えない事で自分も黙っておこうと考える者もいた。
「答えないなら実際に確かめに行き、見つけ次第喰い殺せばよかろう。吾輩は国王だが魔獣だ。魔獣がわざわざ善意で人の秩序を守ってやらんでもないが」
オルキとイングスの所業を見れば、本当にそうする事も可能だ。首都に数百人が駐留していようと、倍の時間があれば片付くかもしれない。
観念したのは、やはりハンナの存在を打ち明けた兵士の女だった。
「……首都のトシャの兵士は約500人、ルナヴィークに20人、ヴァグル島の村に10人います」
「……ズシム語が出来るのか」
「ある程度は。喋れないと潜入任務が出来ませんから」
女は自身をインガと名乗り、足の痛みに耐えながらも、軍の兵力、軍艦の数、補給船の頻度などを分かる限り全て答えた。
インガの話が始まると、とうとうエネルギー切れとなったオルキは猫の姿に戻り、とても辛そうにイングスの腕の中に収まった。
「これで私が知る情報は全部です」
全てを暴露したインガの表情は、どこか清々しさをも感じさせた。
「そうか。こんな時、ソフィアがおれば真偽を確かめる事が出来るのだが」
そう言いながらも、オルキは内心嘘ではないだろうと見抜いていた。周囲の兵士の表情は、インガの暴露が始まってからまるで葬式のように絶望に満ちていたからだ。
住民から食べ物を分けてもらい、オルキは本当に話を聞いているのか分からないくらいよく食べた。最後にりんごを丸かじりした所で、ようやく落ち着いたようだ。
「なぁ、おらんど仲間さ売っぱらってあずましいべなあ!? こんのじぐねえほんつけが!」
最後に連れて来られたハンナは特に怪我などしていない。そのせいか声も良く通り、威勢もいい。フェイン王国の駐留軍を丸ごと売り渡したインガを裏切り者だと罵り、この事を必ず本部に伝えて処罰を訴えると鼻息荒い。
当のインガはと言うと、腹を括ったのか毅然とした態度だ。ハンナを睨みつけ、負けじと大声で言い返す。
「さしね! おめんど死にてんだべ!? 嘘さついたら皆とも道連れだ! おめのえふりこぎで皆とも死ぬ! せばだばまねだべ、わがんねのかこのつぼけが!」
「おめ……」
「貴様、状況が分かっておらぬようだのう。吾輩は貴様を喰らうのを我慢してやっておるのだぞ。他国に攻め入って、まさか死ぬ覚悟がないとは言わせぬぞ」
オルキが猫の姿にもどったせいで気が緩んでいたのか、ハンナが我に返って黙り込む。
「あまりに五月蠅いと、次は服を全て破いて広場で磔の刑にしてやろう。畜生に服も人の権利も必要ない」
そう言うと、オルキはインガが連合軍である事と、今までやって来た事についてはしっかり責め、一方で駐留軍に関する情報には感謝を告げた。
「こやつの足を診てやってくれぬか。治療費は吾輩が支払う。もしくはこの国の解放という形で支払おう」
「えっ……」
インガが驚いた目でオルキを凝視する。
「貴様は悪人だ。罪なき住民の権利を奪った極悪人だ。だが、吾輩に対して害を成したわけではない。吾輩に自らその手を貸した事には礼をしなければならぬであろう」




