和解と可能性
ガーミッドが去り、オルキはしばらく風に吹かれる事にした。
人間は思っていたものと違うと理解してから2年程が経った。幾分理解も進んだ自負があった。だが、知れば知る程、思っていたものと違う事例があふれ出す。
「神は、人間が愚かだったから見限ったのではないのかもしれぬな。ただ思い通りにならない事で諦めただけなのか」
オルキの足元を秋の風が吹き抜ける。冬には島と島の間に氷が張る事もあるくらいの緯度だから、夏でも気温は15度まで達しない。
短い夏に無理をして半袖の服を着るソフィア達も、来週にはコートを取り出すだろう。
「愚かなのは、吾輩なのだろうな。人間はそもそも安泰だけを望んではいなかった。吾輩はあの者達の何を見て信じたのか。いや、吾輩が信じたのだから当たり前に信じると思い込んでいただけか」
オルキの自問自答は空に溶けず、岩の上に小さな染みを作った。
* * * * * * * * *
「雨、か」
「よく降るわね、ああごめんなさい、3日に1回は必ず降るんです」
「それで――録音について、我々はどう説明したらいいでしょう」
集会所の中では、まだ皆でオルキへの対応を考えている最中だった。
アイザスの者達が無礼だったというよりも、証拠は残す、相手の言葉を切り札にする。これが世界の常識だ。
ケヴィンやソフィア、アリヤでさえも、録音機を見て何かを思う事もなかった。
オルキが憤慨するまで、これが失礼な事だと認識してなかったくらいだ。
互いに証拠として残し、言った、言わないの水掛け論を防ぐ。相手の気持ちが変わるのを防ぐ。責任感を持たせる。大臣はいつものように用意していたに過ぎない。
残念ながら、今はそういう世の中なのだ。
「島長は、まだ人間の事を完全に理解できとらんのです。島長が思っとるよりも愚かだし、賢くもあるっち気付いて間もないけん。これからきっと……」
「ただいま戻りました」
ソフィアがオルキを分かって貰おうと説明していた時、ガーミッドが戻って来た。オルキが一緒だと期待したが、彼が部屋に入る事なく扉は締まった。
「島長は? 見つかった?」
「ええ、ちゃんと話をしてきましたよ。オルキさんは人間を見下しているように見えて、案外そうでもない事が分かりました」
「……どういう事?」
ガーミッドはオルキの様子と会話の内容を皆に伝えた。オルキは怒っていたわけではない事、今まで誠実な対応を疑われた事がなかったせいで、今回傷付いた事。
オルキはそれを自分が傷ついたのだとは自覚していない事。
「島長は、人間がどうしようもない愚図だと思うのを、やめようとしていたのだと思います。自身が傲慢な態度を見せずに誠実な対応を心掛けたなら、相手も当然そうすると考えたのです」
「魔獣ともあろうお方が、性善説に寄るとは」
「我々はその思いを……踏みにじってしまったのですね」
「魔獣とは駆け引きが必要だと思っておりました。魔獣と呼ばれるくらいです、邪悪で支配的で、獰猛で、きっと話が通じないだろうと」
「まあ支配的ってところは合ってるかもしれないけど。皆さんはアイザスに滞在していた島長を見ても、そうに違いないと思ったのですか」
「……」
「違いますよね。魔獣という言葉と想像によって判断しただけで、島長自身を見ていないと思います」
フューサーの言葉は図星だった。魔獣だから、人間ではないからと色眼鏡をかけて対応したのは間違いない。
それがいつもの録音や猜疑心が刷り込まれた習慣だったとしても、オルキを信じるために来たのだとしても。
オルキの言葉を信じて来たのではなく、確かめに来たのは失礼だったと気付いた。
「けれど、あなた方の思いは伝えるべきだと思います。きっと、あれ以上録音をする必要はなくなったと伝えたかったんですよね」
「ええ、ええそれは勿論。それが長年、この世界で相手を信じた事を証明する手段でしたから」
相手の前で録音を止める。
もう録音して相手を試す必要はない。
なぜならもう信じるに値する人物である事が分かったから。
この3段論法にも通じるような強引な考え方が相手への敬意になる世の中。世も末とはこのことだろう。
「それを伝えて下さい。そして、世の中の深淵に詳しいあなた方が、この世界の現実を島長に教えて下さればと思っています」
「……ええ。どうやらあなたの国王は、この世界を甘く見ているようですから。何と言っていいのでしょう、優し過ぎるのかしらね」
「悪人だと判断するまでは優しいですよ。あなた達は少なくとも悪人じゃない、だから島長は怒らなかったのです。我々がついて行く事を決意した方。話せば分かるし、必ずあなた方の力になれます」
再度オルキに話をする事が決まった。そのオルキが戻ってくるまで待つしかない。
追われる猫は逃げるもの。
そんな時は、運だけは強い者の出番だ。
「よーし、待たせた……よな?」
「ケヴィン、どうし……あ、皆さんに食事を?」
「おう! なんか死人でも出たのかってくらい湿っぽいけどどうした?」
「いや、ちょっとね。島長への伝え方を間違えたというか、今は戻って来るのを待ってるとこ」
ケヴィンとイングスが皆の食事を持ってやって来た。
持ってきたものは昆布を煮込んで取った黄金色のダシに、小魚の粉末を溶かしたスープ。それに新鮮なサーモンの切り身。他の皿には今朝釣られたばかりのタラ、そしてニシンの切り身も盛られている。
その全てが生であり、皿の色が透ける程薄い。
「これは? 生の魚をどうすると? 今から料理するなんて言わんよね」
「生で食っても大丈夫な鮮度だぜ。どこの国の誰が朝釣りたての魚を昼に食えるってんだ」
フューサーが朝の漁で釣ったという魚だ。しかし生の魚を食べる習慣のない者達が顔色を悪くする。ケヴィンは笑いながら湯気を立てるスープを指差した。
「生が嫌ならこの特製スープに浸けて、色が変わるまで待つ。それからこの漬けダレで茹でたホウレン草と一緒に食べる」
漬けダレはアイザスで買ったニンニクとショウガ、それに念願の大豆で作られた醤油やみりん、砂糖を入れたもの。
「こっちはイングス渾身のポテトサラダだ。あまりにも高速でかき回すから、もはやペースト状なんだけど……後で茹でたジャガイモを適度に追加した」
目の前で干し肉をスライスし、贅沢なサラダが完成だ。
「調味料を沢山買えたから、それを使ったんだ。酢のおかげでマヨネーズも。ああ、先に魚から食べて欲しい。ポテトサラダの強い味に負けてしまうから」
熱せられた石が木製の台に乗せられ、その上にダシ入りの大きな鍋が置かれる。皆はもう食べる気満々で、この不思議な料理を見つめている。
だが、まだ足りないものがあった。
「島長が来ねえと冷めてしまう」
ケヴィンが困ったように扉を見つめ、イングスが扉へと向かう。
「イングスさん?」
「うん、そうだね」
「いや、あの、どちらに?」
「外だよ」
「どうされるのでしょうか」
「みんな、ご飯を食べたいんだよね。だったらみんな揃わないと駄目だよ」
島には皆で食事を摂らなければならないというルールがある。暫定的なものだが、住民がもっと増えるまでは必ずと決めたものだ。
「島にいる人はみんな揃って食事をする、と決めたんです」
「戻ってくれるのでしょうか。勿論、いつかは戻って来るでしょうけど」
「戻って来るよ」
イングスはいつもの表情で当然のように肯定する。
「オルキが国民を飢えさせると思うかい」
イングスはそう告げて外へと出て行った。間もなくオルキが戻って来るだろう。
「なんだか、不思議な島ですね」
目には見えなくとも、何かが皆を繋いでいる。
不思議な力とルールで生きる島。
中立国のアイザスが心配しなくとも、侵略を受け入れる事、他国を攻める事を許容はしない。アリヤが強制されて振舞っている訳ではない事も明白だ。
国王との仲直りはこれからだが、アイザスの者達はもうオルキ国を警戒すべき他国とは思っていなかった。




