捕らわれずの王女
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オルキ諸島を出発して3日と半日。波が高くなり始めた曇り空の下、アイザスに向かっていた一行は、アイザス島の沖合5海里の位置に停泊していた。
いや、正しくは停止させられている。
「だから、あたし達は西北西にある諸島から来たんであって、密航とかそういう事じゃないんですってば!」
「建国にあたって、アイザスとの国交を結びたいと思って……え? いや、証明っつっても」
近頃は難民船も多くなり、中立国はどこも警戒している。そんな中で女子供と猫が戦闘艇に乗り、見慣れない旗を掲げていたなら、不審船扱いされるのも仕方がない。
「死の海域にそんな島ねえべや。そんなあっぺとっぺな話をどこのだいが信じるべ?」
「ですから……」
一行はアイザスの沿岸警備艇の警告を受け、船内調査をされている所だ。戦闘艇には武器も多く積まれているため、一行は弁解に必死だ。
「面倒くさいのう、3人ばかしなら吾輩が喰い殺して……」
「それこそ面倒な話になるからちょっと黙ってて」
「なんだ? 誰と話してんだ」
連合軍の刻印が記された武器、装備、その他の積み荷。
これはもう連合軍の工作員だろうと判断され、警備隊の手には手錠が握られている。
いざとなればイングスの怪力とオルキの食欲でどうにでもなる状況だが、アイザスに着くまでにあと何隻繰り返すのか。
「この調子では港に着いても拘束されるのがオチだ。いっそここで拿捕されて、島についてから説明しようか」
ケヴィンが疲れた表情であぐらをかく。その横ではいつもの穏やかな表情を浮かべたイングスがいる。
船が揺れようと周囲が大声で騒ごうと、身動きとは何かすら知らないのではと思う程、ビクともしない。その様子は少なからず警備隊に恐怖を植え付けたようだ。
「そこのわらし子は……なじょした?」
自分に声を掛けられたと認識したイングスが、器用に首だけを回し、視線を合わせる。
「僕はわらし子じゃないね」
「わらし子でねえって、何語ってんのや! いずぐればり語ってダメだてば」
「たがごえ出しておだつなおめら、なぬすてけづかる!」
「わらし子の様子がおかしいんだっきゃ。いぎなりがおったんでねえの」
「うんにゃ、あんこたんねぇでねが。おい、あんちゃんこ、むつけてんのか? あんべ悪いんか?」
「あーもう、アイザス語で早口言うの止めてくれ。ゆっくりじゃないと分かんねえよ」
アイザス語は1語ずつ区切る事なく流れるように喋るのが特徴だ。そのため早口で捲し立てられると何も聞き取れなくなってしまう。
抑揚がなくゆっくりな分、ジョガル語の方がまだ聞きやすい。ケヴィンもアイザス語は殆ど分からないという。
イングスはしっかり意味を理解している。そのイングスに話しかけられてしまうと、途端に通訳が止まってしまった。
「ハァ。イングス、首を180度回して見せて」
「はーい」
その場を静かにさせるのに手っ取り早い。そう考えたソフィアはイングスに自分が人形である事を見せつけるよう指示する。
「ひ、ひえええっ!」
体は前を向いて座っているのに、イングスの後頭部が手前にある。その様子に警備隊の2人が悲鳴を上げて尻もちをついた。
「あ? おめたちあっぱぐづあげで……ひえええ!」
残る1人もイングスを見て恐怖に腰が抜けた。イングスが首を元に戻し、何事もないかのように話しかける。
「僕はわらし子じゃないよ。人形に子供も大人もないのだから」
「イングスは人形なの。紹介が遅れたけど、こちらがオルキ国の国王」
ソフィアがオルキを抱き上げる。ムスッとした猫の顔を鼻の前で見せられ、警備隊らは思考が追いついていない。
追い打ちを掛けるようにオルキが溜息をつき、語り始める。
「何を言っているのかまーったく分からぬが、騒がず静かに出来ないものか。見慣れぬものがある度にギャーギャー騒ぐつもりか」
「ふ、ふぇっ?」
「我々は侵略に来たわけではない。友好を示しに来たのであって……」
「ね、猫がしゃべ……」
オルキの真ん前にいた警備隊がついに失神した。残りの2人も放心状態だ。
「吾輩の偉大さに気圧されたか」
「まあ、そういう事にしておこうか」
「しかし、この3人をどうする。悪事を働いていないのだから喰らうわけにもいかぬし」
「警備艇に戻ってもらおうにも、この様子じゃなあ。見捨てていくわけにもいかなし、船だけ残してもいけないし……」
船を操舵できるのはケヴィンだけ。航海中ずっと横で見ていたイングスに試させるにはまだ不安もあった。
「イングス、俺が警備艇でこの戦闘艇を牽引するから、ロープを投げたら杭にしっかりと縛ってくれ」
「はーい」
ケヴィンが警備艇に乗り移り、数分してゆっくりと動かす。警備艇の船尾からロープを投げ、イングスがそれを戦闘艇に括りつけた。
「じゃ、俺が警備艇を操舵して港に向かうから。ったく、初めての外交がこんな調子で大丈夫なのかね」
「す、すみません! 着替え終わったんですけど、何かありました?」
騒動がひと段落した頃、入港前に着替えていたアリヤが操舵室にやってきた。
「あー、えっと、何もかもあって、全部終わった所」
「今更なんだけど、セイスフランナの王女を乗せてきましたって言えばこんな事にならなかったんじゃ」
「あー……あたしが後で着替えればよかった」
「す、すみません私がジャンケン弱いばかりに」
他国の戦闘艇で乗り付け、沿岸警備隊の船で牽引して入国。状況だけ見ればテロリストそのもの。
ケヴィンは僅かな距離で何度もため息をつきながら、2隻の船は首都アイザスシティに入港した。
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「御覧下さい、沿岸警備艇が他国の哨戒艇をつかんで帰って来ました!」
遠くからでも分かる色とりどりの家々が建ち並ぶ綺麗な街並み。
ケヴィン達が港に着いた時、そこには大勢のアイザス国民が集まっていた。治安が良く、他国からも遠く離れ、驚く事と言えば火山の噴火と小さな地震のみ。
新聞が1面にでかでかと「岬で今年最初のペンギンの孵化を確認」と報じる程に、穏やかで平和なアイザス。
警備艇が他国の船を拿捕して帰って来たなら、もうそれは今年1番の大事件だ。
そして、その警備艇から降りてきたのが見慣れぬ恰好の男。警察は滅多に構えない銃に手を伸ばすのも忘れ、国民と一緒になって口をあんぐりと開けている。
「えっと……あの、ズシム語が分かる人、あー分かるのは分かるか、共通語だもんな。ズシム語で喋れる人、いませんか!」
ケヴィンに続き、ソフィア達もゆっくりと船を降り、丁寧にお辞儀を見せる。戦闘艇から降りてくるような装いではないためか、皆が状況を理解できていない。
さて、何をどう説明したら良いものか。まさかこの場でイングスに首を回させたり、オルキに喋らせるわけにもいかない。
その時、1人だけ自信のある者がいた。
「私に任せて下さい」
「え、大丈夫か?」
「はい! そのために来たんですから、私だって頑張ります!」
アリヤが意を決して前に出る。一度よろけて足を挫いたが、アリヤは笑顔を保ち、再びお辞儀をした。
「みなさま、ごきげんよう! 私はセイスフランナの第……」
高過ぎず低過ぎない品のある声が、精一杯の声量で響き渡る。が、言い切る前に群衆の騒めきに掻き消されてしまった。
「アリヤ王女だっちゃ!」
「なんだて!? はぁーびっくらこぐ! わぁ、いぎなりめんこいじょこちゃんだっちゃ、おいハカハカする!」
「こんぬづわ! こっづさ見てけらいん!」
「第、3王女の、あ……アリヤ、です」
数年前に国王である父親と訪れた事があるからか、アリヤの姿を見てすぐに気付いた者が多い。
状況はまったく理解されていないが、とりあえずアリヤは歓迎されている。ひとまず捕えられる心配はないと分かり、ケヴィンとソフィアはホッと胸を撫でおろした。




