本物の魔女と、愚かなる者たち
魔獣が人を喰らうと知っていても、唐突にこの場で食べたとなれば話は別だ。
ソフィアは驚きと恐怖で土気色になった頬をこすって赤みを取り戻す。
「……あたし、ちゃんとお利口でおるけんね」
「国民を食おうとは思わぬ、善良な者の肉は美味くない」
「国民でおりたいけ、気をつける。ガーミッドっち人の肉は? 不味そうなん?」
「食わずに味が分かる程ではなさそうだ」
善良な者、つまり不味い肉ならわざわざ食べたくもない。
そしてガーミッドを許すという事は、この国の住民として迎え入れるという事。国民として相応しい者かどうかを見極める試験のつもりだ。
オルキとソフィアはガーミッド達だけを島に残し、戦闘艇に乗るため港へ歩き出す。
何も問題がないように思われたが、オルキには気になる事があった。
「ソフィア。まだ隠している事があるだろう」
「あたしが?」
ソフィアの足が止まる。平静を装ったその顔が逆に肯定を表しているようだ。
「いつか体の悪い部分の色が分かると言ったな。なぜボルトまで分かった」
「……全部は語らんかっただけ。色だけやない、形とか影とか……ボルトも見える」
「そうか」
ソフィアの答えに対し、オルキは特に肯定とも否定とも分からない返事をして、更にもう1つ続けた。
「なぜ奴の利き手が分かった」
「ナイフを投げるフリした手首が固そうやったし、何度も握り直しとったけん。年齢の割にあたしが見てきた軍人と比べて、腕の動きが不自然やったんよ」
「そうか」
オルキの問いに、ソフィアは特に詰まる事なく答える。オルキは最後にもう1つだけ問いかけた。
「なぜ奴に妻子がいる事を知っていた」
一瞬、ソフィアの口が堅く結ばれた。
ソフィアは国で帰りを待つ妻子の事にも言及していた。
可能性としてはあり得るが、あの場に言い切れる程の証拠はない。
「指輪しとったけん」
「指輪? 吾輩には人間の装飾や儀式しきたりは分からぬが、子供がいる事まで分かるものなのか」
「……やっぱり、不思議に思うよね」
ソフィアは浅くため息をつき、再び歩き始める。
「時々頭に浮かぶんよ。この人はこういう人だとか、どんな過去があるなとか」
「なぜ分かる」
「根拠はないし、いつも浮かぶわけじゃない。でも必ず当たっとる」
ソフィアはこの能力を誰にも言わず隠していた。根拠がなく信じて貰えなかった過去があったせいだ。
「誰かの探し物を手伝った時、唐突に跳ね橋の欄干が浮かんだ。でも何で分かるか説明できんけ、あたしが疑われた。そういう事が何回かあって人助けはやめた」
元々知っていたのだろうと言われるならまだいい。
言った事が事実になる恐ろしい魔女とまで言われた時、彼女は自身に能力などないふりをしようと決めた。
「知り合いではない、という事なら安心した」
「……そっちの心配? 本物の魔女やけんっち、追い出されのかと思った」
「魔獣が魔女ごときを恐れるものか」
オルキにとって、己の存在を脅かしたり、理想の世界に邪魔でもないなら、どんな能力でも関係なかった。
「その力は隠しておけ、対策される可能性は少しでも避けたい」
「うん、見せびらかして良い事は無いけんね。……人の心の中が見えるのっち、ほんと不便」
「なんだ?」
「ううん、何でもない」
戦艦に乗り込み、ケヴィンの舵取りで出港する。30分も経たずについたウグイ島の港には焚火の痕が残っていた。
* * * * * * * * *
「おーおがえり、のっつど野菜さぎったか?」
「ゆがえでおけ」
「漬物にすっじゃどうさね」
「漬物は国さ帰ったらじぇんなるんたふだ、あへどすべ」
船の音に気付いた者が、波止場の桟橋に近づいてくる。それぞれが戦利品を想像し、声の感じはどれも嬉しそうだ。
「酒はぎったか?」
「むったどよんずねぐなるまで酒さ酔るべ、またまぐらっておっけるど。んっとよだがどふとじだな」
皆が野菜、酒、その他日用品などを挙げて笑う。
だが、降り立った者達のシルエットを見て、それぞれが違和感に気付いた。
「待で! よっくど見ればあいつらでねだじゃ」
「酒だ食い物だと、他国に忍び込む軍人にしては緊張感がないものだのう」
「へっ? な、だだば!」
一瞬の静寂は、オルキの声によって破られた。
「オルキ国の王だ」
突然やって来た国王に、10人の侵略者たちは慌てて道を開ける。フューサーが松明に火を点け、ようやく互いの姿を視認出来た時、侵略者はただの島民だと分かってあからさまに緊張を解いた。
「よ、よぐ来だねし、国王さま、びっくらこえでまたね」
「めごいねごだな」
「なんだば、何がよだが」
男が1人、ニコニコ顔で近づいてくる。しかし、オルキ達は愛想を振りまきに来たわけではない。
「不法入国という言葉を知っておるな」
「ひっ……ね、ねごがさべらて……」
男は口を開けた猫がまさか人の言葉をしゃべるとは思わず、大げさに一歩後ずさりした。
「この国はな、魔獣オルキが建国したんだよ。黒猫の姿をしているうちに礼を尽くしておいた方がいい」
「魔、魔獣? はんかくせえな」
「信じなくても構わぬぞ、ところで貴様らの入国は誰が許可した」
「……な、なんしたって、文句あるだな」
「密入国を見過ごすわけないだろ。ああ、てめえらが何しに来たか、もう分かってるからな」
「あたしらがあの船で来た意味、分かるよね」
ケヴィンが軍服を見せる。ヒーゴ島で捕えた男達のものだ。4人が捕えられたのだと察し、10人は両手で降参のポーズを示す。
「どすたら」
「ひ、ひっぱらいるだびょん……」
「いや、お前達を捕えたところで、俺達には何も良い事ないんだよ。民間船を襲ってヘラヘラしてるような奴、島には要らないんでね」
「なんどさたんげ迷惑したきゃ。へば、ふとまずわえさ帰るはんで」
「出て行けばいいとでも?」
「なぁすてや、そえでえべぁ」
ケヴィンとフューサーにとって、ジョエル連邦軍は敵だ。かつて交戦にあたって言語を学んだ2人は、言葉がさっぱり分からないオルキとソフィアに代わり話を進めていく。
「ど、どすてもまいんず?」
「民間船を襲った帰りに国旗も軍旗も掲げず他国の港に停泊。この時点で国際法に2つ違反している。ま、オルキ国は批准していないっちゃいないけど」
「港には立て看板があり、入国についての注意が書いてある。それなのにこの島に滞在し、わざわざ夜中に4人だけ派兵して偵察。どれだけ失礼か分かるな」
「ま、まんずめやぐした……」
「そたごとへば、かならんじばじあだるだね」
ジョガル語で話されたことに驚き、一瞬侵入者達が固まる。しばらく嫌な空気が流れた後、1人の女がハァっとため息をついた。
「あんたらがジョガルささべるっつうなら、こっちもわんじゃわんじゃジョガルばさべる必要ねえだ」
「ああ、せばだばまいねびょん」
「無理していがさまなジョガルさ語ることもねえ、どへえ筒抜けだはんで。秘密語りしてもどもなねえ」
「へばだば、ズスムでさべらってやる、そったもんだば簡単だしよ」
無理して古いジョガル語を話していたようだ。
「異国ならわがらねって思ったのによ、こさじょんずにさべらってんだがら、ズスム語でさべった方がけねでばな」
「んだ、けねけね」
「オルキ国に合わせて、わんどもズスム語でさべってやっから」
共通語の設定以降、ズシム語を喋れなくても聞けば分かる世代が増えた。
どれがズシム語でどれがジョガル語か、分からない者もいるくらいだ。特に共通の文字を使う言語で顕著な傾向にある。
ただ、本人がズシム語のつもりでも、生粋のズシム語話者からすればジョガル訛りが出過ぎている。音調は共通語と似ても似つかない。
「こいつら、これでズシム語のつもりか?」
「わ、分かんねぇ……」
わざわざ喋っていたというが、多少ズシム語の単語が入った程度。大きくは変わっていなかった。




