島の外について
他愛もない話が続き、食卓の料理が一通りなくなれば、話は必然的にソフィアの事になる。この半年、ケヴィンとフューサーは外の世界から隔離されていた。ソフィアの情報が最新なのだ。
「どこが優勢かって言うと、ジョエル連邦やギャロン帝国率いる連合軍だったかな」
「そこについては半年前と変わらず、か」
「俺達はレノン共和国から来たんだ。今レノンはどうなってる? フェイン王国は?」
「ガーデ・オースタンは?」
情勢を知り、全てを捨てたはずなのに望郷の念が湧き上がる。ソフィアからの情報は、2人の予想を超えていた。
「フェイン王国は……王の追放を条件に、連合軍との終戦が決まった。実質は降伏で、国民が島からガーデ・オースタンに逃げ始めとる」
「ケヴィン」
「……大丈夫だ、覚悟はしていた。国を捨ててこの島で生きているんだから、俺には心配する権利すらない」
「レノン、ガーデ・オースタン、フェイン、ゴーゼ……和平軍は危ないのか」
「ガーデ・オースタンは島嶼部がギャロンの手に落ちた。和平軍諸国って、そもそも防衛力すらまともに保持しとらんかったから」
ソフィアの話に、フューサーも沈黙する。
「……俺達、和平軍の動員でレノンにいたんだ」
「兵役もないし、自衛組織隊以外、武器と呼べるものをまともに見た事すらない国民ばっかり。勝てるわけないってのはすぐに分かったよ。でも……」
「分かる。あたしのとこも似たようなもんだったし」
話題は暗い。しんみりとした雰囲気の中、オルキが人間の愚かさに嘆く。
「何が目的かは知らぬが、人間など生物のたかだか1種族に過ぎぬ。この島に影響が出なければ当面は問題ない」
「そりゃ、魔獣の立場からはそうかもしれないけれど」
「戦争を止めて欲しい、争いはもうたくさんなんだよ」
「俺らは家族も失った。もう誰にもそんな思いをして欲しくないし、殺し合って欲しくないんだ。でも、向こうは殺す気満々だからどうしようもない」
「なんだ、よく分かっておるではないか」
「何がだよ」
ケヴィンがオルキの発言に不快感を示す。まるで連合軍の肩を持つかのようで、苦しめられてきた3人が良い感情を持たないのは当然だ。
ただし、オルキの発言の意図は、そんな表面的なものではなかった。
「向こうに争いを止める気はないのだろう。止めてくれと頼めば、見返りを求められるのだろう」
「そうだけど」
「いくら戦争の残酷さを説いたとて、道徳心が最初から備わっていない奴には無駄であろう。貴様らは畜生相手に会話が成立するか」
「……」
オルキの達観した考えに、3人は口を噤んでしまう。
魔獣は賢く、残忍な面を持つ。その残忍な性格が故に、オルキは悪人にどう対処すればよいのかも心得ていた。
「強大な力を持つ者には逆らわぬ、畜生の躾けと同じだ。言って分からねば、より強い相手からの恐怖と痛みで本能から抑えつけるだけだ」
「そんな相手がいたら戦争は起きてねえよ。その強い奴が結局世界を従えるだけだろ」
「吾輩の島で暮らす貴様が何を言っておる。吾輩に逆らえる人間など存在せぬのだから、吾輩が奴らを躾けたら良いのだろう? 今はその準備期間と心得よ」
人間よりも魔獣の方が強い。オルキはそう言って「すべて解決ではないか」と呟く。早くも恐怖政治の様相だ。
「どうするんだ」
「後悔してもし尽くせない絶望を与えてやればよい。誰よりも弱い立場に落としてやれば、そうなった者を目の前に置いてやれば、どんな馬鹿も自重を学ぶ」
「世界を止められるというのか? それじゃ人間の独裁者と変わらない」
「人間共を作り上げたくせに、制御も導きもできぬ神よりは吾輩の方がマシだぞ」
神よりも上だと言わんばかりのオルキに、半信半疑な目が向けられる。
しかし、刃向かえばどうなるかを考えると、3人は神より凄いはずがないとは決して言えない。独裁だ。
「ま、まあ人間は猫の奴隷とか、猫は人間を飼いならすなんて言われる事もあるけど」
「あー、ソフィアさんは知らなかったか。オルキさんは猫に化けているんだよ」
「……え、やだ、もしかして中身おっさ……おじさまだったりすると?」
「どんな想像してんだ」
「元に戻るには、まだまだ眷属が足りぬな。3人では神の呪縛に打ち勝てぬ」
「え、俺達って既に眷属扱い?」
「元の姿、見てみたいな。どんな姿なん?」
ソフィアの問いかけに対し、オルキは暫く考え込む。その横でイングスがすっと立ち上がり、土間のコンクリートに水で絵を描き始めた。
「えっと……」
「紙にペンを使って描いてもらえると……分かり易いんだけど」
「はーい」
イングスはオルキの考えをよく汲み取り、忠実に描いていく。写実的な素晴らしい絵だ。ただ、そこに描かれたものには皆が首を傾げた。
「上手い! けど……池を覗き込む猫の自画像? だよな」
「猫ではないと言うておろう」
それは少々精悍な顔つきになったオルキが、水面に映る自身の顔を見た時の様子だった。動物も魔獣も、水面に映る姿以外に自身を確認する手段を持たない。
イングスがその横にケヴィンの顔を描き足すと、ようやく大きさの比較が出来るようになった。
「え、めちゃくちゃ大きいじゃん」
「この顔の大きさやと、地面から耳の先まで4mか5mくらいあるんやない?」
「人間の建物の3階の窓から覗き込む程度は出来た」
「じゃあゾウよりデカいな。耳の先までなら7mくらい優に超える。そりゃ人間は勝てねえわ」
「ゾウよりデカい猫……末恐ろしいぜ」
「え~、でも可愛いと思わん?」
「何度も何度も猫ではないと言っておろう。魔獣に可愛いなどと吐く奴がいてたまる……ぐるるる」
「あー、猫って自分で可愛い事を自覚しているもんだと思ってたけど」
「ぐるるる……猫ではない。人間共よ、姿を愛でる癖はどうにかならぬか」
戦争や人の醜い部分の話題はいつの間にか消え、穏やかな時間が流れる。
「耐え忍んで、良かった。今までの日々のおかげで、あたしはここに辿り着けた」
「ん?」
「なかなか良い島やね、っち言ったと! よーし、じゃあ明日から暫くはあたしが朝食係やるけん」
「おーっ、久しぶりにいつもと違うメニューになりそうだ!」
「自炊歴が長い女の腕前、まあ見ててよ」
時代が巻き戻ったようなアルコールランプと蝋燭の灯り。
住民はたった3人。
何があっても助けは来ない。
それでもソフィアにとって、これは数年ぶりの何でもない普通の食卓だった。
* * * * * * * * *
「おはよーイングス!」
「早いんだねありがとう」
「いや、早い事を褒めたとかじゃなくて。起きてすぐの挨拶はおはようでいいの! ちょっと外のやかん見ちゃらん? お湯湧いとるかな」
「お湯は入っていないね」
「えっ、うっそ、なんで」
「火が寝ているからかな」
「……起こして」
ソフィアが島の暮らしに慣れ始めた頃、島は春から夏に差し掛かろうとしていた。
先週から朝食の準備が当番制に戻ったが、ソフィアの時だけイングスが火起こしなどを手伝っている。
「火が寝とるっち、どういう事? ズシム語の表現なのかな」
「ソフィア、火がおはよう」
「そこは起こしたでいいの。さーみんなを起こしてきて。もう起きとるかな」
集落の真ん中には風車小屋が建ち、鉄くずを集めて作った電線は集落に電気をもたらした。
島では廃材にも限りがあるため町のようにはいかないが、線の太さや長さ、巻き方で抵抗を調整し、停止板で幾つかを止めたなら強風の日にも発電し過ぎる事はない。
イングスは神の最高傑作。神が「やっぱり女の子がいい」と言って捨てただけ。オルキの言い付け通りに、どんな繊細なものでも作り上げていく。
ガラスや鉄を作る炉も準備され、辺境のド田舎にしては暮らしぶりも良くなった。
みんな揃っての朝食で上がる話題は、最近暮らしの向上の事ばかりだ。
「神が人間に気付かせた発明だぞ、神に並び超える存在の吾輩が知っているのは当然であろう」
「はあ……」
「魔獣って、人間側が接し方を気を付けたら益獣だよな」
「うん、あたしらが裏切らんかったら、島長があたしらを裏切る事はないけんね。人間の方がよっぽど恐ろしい」
「今頃気付いたのか」
野生種の羊の毛を必死で集めた糸で服を作る事も出来る。夏になれば麻で作った服も着ることが出来るだろう。
発展途上だが、外界よりははるかに穏やかで充実した生活。
そんな長閑な朝から少し経った頃、突拍子もないイングスの発言によって、その幸せに暗雲が立ち込める。
「イングス、海を眺めてどうしたと」
「野生の人間の船があるね」




