生奪論
横浜市某住宅街コンコルディア神奈川支部。20:18。
ハヤトたちが連れて来られたのは建物の横にある駐車場だった。そこにポツンと置かれている車に向かってエヴェリンの後を追うようについていく。この間もずっとエヴェリンの部下らしき3人に挟まれる形だったので、監視されているのが嫌でも分かった。
「…乗って」
エヴェリンに促され、ハヤトたちは恐る恐る目の前のその車に乗り込んだ。それは見たところ至って普通のバンだ。とは言っても運転席と助手席以外は左右に向かい合うようになっている形なので思ったよりも広々としている。普通じゃない組織とは言っても魔改造されているわけでもないらしい。ただ後部座席の窓は黒く染まっていて外からは中を把握できなかった。
そういえば昼に見た車もこれだったっけ。
「本当に良いんですか?」
「…全ての責任は私が負う。何かあっても問題がなければ気にしなくていい」
「そう、ですか……」
「もし彼女たちに――」
扉を閉める直前、エヴェリンと後に従っていた大柄の男――ヴィルと呼ばれていた――がそんな言葉を交わすのが聞こえた。しかしそれも直ぐに扉が閉められて、篭った声だけが響いてくる。防音性が高いのか、何を言っているのかよくわからない。
それでも明るい雰囲気だと思えなかったは間違いではないだろう。エヴェリンの顔は角度的に見えないが、ヴィルは眉尻を僅かに下げていたのだから。
まるで何かを心配するように。
暫くエヴェリンとヴィルが外で何かを話していた。しかしそれはほんの数分ほどで、それが終わると彼女たちも乗り込んできた。そして全員が中に入ると車はゆっくりと走り始める。運転席にヴィル、助手席にカヤ。後ろの席は左右に向かい合う形で進行方向左側にハヤト、エレナ、ハルカが、右側にエヴェリンとサヤが腰掛けた。
沈黙が車内に降りる。誰も一言も交わさない。口も開かない。ゆらゆらと車に揺られ、時間だけが無意味に流れていく。耳朶を打つのは車のモーター音だけで、しかし電気自動車であるはずなのにいつもは気にもしない音が際立って聞こえる。気まずい緊張をハヤトは味わっていた。
「……」
ほとんど何も知らなくて、しかも絶対危険な組織の車に乗り込んでいる。それだけで緊張が奔り、言葉が出せない。しかし不思議なのは、今ハヤトが一番緊張してしまっている相手がエヴェリンであるという事実だ。目の前にいるのはこの組織のリーダー的存在で、同時に自分の姉だ。当然彼女は家族である。そのはずなのに、どうしてこんな緊張感を抱いてしまうのだろうか。
よく見てみればエヴェリンの方はとても落ち着いているようで、その静謐な浅黄色の色彩をこちらに向けていた。そしてただ見られているということにハヤトは気まずさを覚えざるを得ない。
これは恐らく立場の問題だろう。強者と弱者。圧倒的にハヤトのほうが弱者であり、何が起きても抵抗すらままならない。だから身の危険をひしひしと感じて落ち着かないのだ。
しかしそれだけでない気がした。確かに強者と弱者の関係もあるだろう。それでももう一つ言えることがある。それはエヴェリンが今から向かう場所とそこで何が起きるかについてを知っていて、ハヤトは無知に過ぎるということだ。これから向かう場所はきっと非日常。そしてハヤトたちが過ごしてきた日常で培われた常識が通用しない世界のはず。
つまり何が言いたいのかと言うと、これから起きることに対してハヤトは不安を抱いている。そしてそれはエレナとハルカも変わらないだろう。クルーズ船での容赦のない攻撃を敢行した彼らの姿を見ていると、命の危機を感じざるを得ない。しかも命が保証されたわけでもないのだ。
不安にならない方が不思議な状況に違いない。
今ハヤトたち3人とエヴェリンたちの間には決定的な溝が存在しているのをハヤトは幻視してしまった。
「で?どこ行くの?」
ハルカが暇そうに天井を見上げ、頭の後ろに手を回す。平常を装っているが、直ぐに身体が動かせるような体勢であるのはハヤトでも分かった。
そしてその問いにエヴェリンが返した言葉は――。
「…新潟」
「「新潟!?」」
吃驚してハヤトとエレナは声を上げた。
まさかこれから、こんな時間に日本本州を横断して新潟に行くとは思いもしなかった。
確か今は8時になってから20分くらい経っただったはず。今から車で行けば4時間近く掛かるのでは?その時間はもう日を跨いでいることだろうに。
「こんな時間に?」
「…わたしたちのやっていることは時間が関係ない。いついかなる時も必要な時に動けるのが基本」
エヴェリンがそう教えてくれる。こんなことを教えてくれるのはハヤトたちが頼み込んだからだ。もしくは教えていい情報を与えて納得させてから早く関係を絶とうとしているのか。
「…わたしたちのやっていることは何だと思う?…エレナ」
「えっ?私?」
自分が指名されるとは思わなかったのか、少々エレナは動揺していた。しかし直ぐに冷静になり、しばしの間思案する。そして、眉を寄せながら言った。
「ええっと、怒らないでね?私の勝手なイメージなんだけど、よくアニメにある裏社会の組織みたいな?」
自信なさげに言う彼女に、エヴェリンは何の反応も返さない。再び気まずい沈黙が降り、エレナは焦燥気味に冷や汗を浮かべ、微妙な笑みを浮かべた。ハヤトもどうしてエヴェリンが黙っているのか理解できない。ただ、ハルカだけは退屈そうに横目で見てるだけで我関せずといった態度をしている。
そして漸くエヴェリンは口を開いた。
「…エレナって、アニメとか見るんだ?」
「はい?」
「…何でもない。まあ、エレナが言う組織みたいなのは確か。……全然違うけど。これから行くのはとある場所。そこで新潟支部のヒトと会って、その施設を破壊して、いる人間を排除する」
「それって――」
排除。その言葉に忌避感を覚えざるを得ない。やはりそれは、殺すということなのだろうか?
これから誰かを殺して、何かを壊して、時間を掛けて積み上げた人生と、その結果生み出された人生の形を無に帰するというのか。
ハヤトとエレナにはどうしてもそれが良いことには思えない。寧ろ悪いことのような気がしてならなかった。
「人を、殺すのか?」
押し殺した声で、確認するようにハヤトは問うた。それにエヴェリンはハヤトの目を見据えて。
「…必要なら」
「なんで人を殺さなきゃいけないんだよっ。ダメだろ、そんなの!」
エヴェリンの考えが分からなくて、いつしか正論じみたことを口走っていた。しかしそれはハヤトの価値観であり、エヴェリンの価値観ではない。価値観を誰かに押し付けることは横暴、もしくは独善的だ。極論を言えば人格否定にもなるだろう。それはハヤトだって分かっている。
分かっているが……それでも人を殺すことだけは、嫌だった。
いや、誰かが死ぬことが、嫌だった。
”死”と聞くと父のことを嫌でも思い出す。これから殺される人にもきっと大切な人がいて、その人とはもう二度と逢えなくて、最後は幸せになれずにたぶん悲しみや怒り、怨嗟の中で死んで行くのだ。顔も知らない赤の他人に殺されて。
もしかしたら知らない内に死んで、死んだことにさえ気づかないかもしれない。何も残せずに人生が終わってしまうのかもしれない。
そう考えると、悲しくて仕方なかった。いつしかハヤトは無意識にエヴェリンを非難するかのように睨んでいた。自分でもこの感情だけは抑えられない。命を奪うことを容認なんかできるものか!
しかしエヴェリンはハヤトの言葉に柳に風とばかりに返す。
「…なら、ハヤトの目の前にいるヒトがこれから数え切れない、それも何万何十万、下手したら数千万のヒトを殺すと分かっていて、見過ごすの?そしてその相手は絶対に捕まらず、伸う伸うととこの世界に蔓延り、誰かを殺し、苦しめ続ける。…そんなヒトを殺さずにどうして平和になるの?誰が幸せになるの?」
「それは――」
言葉が続かなかった。彼女の例えが極論だとは分かっている。だけど、真正面から否定できなかった。ヒトを殺すことは悪いこと。これはハヤトの中では自明の理だ。しかし例えば大量殺人鬼が決して捕まること無くこれからもヒトビトを殺し続ける時、果たしてその殺人鬼を殺すことは正しいだろうか?
たぶん絶対に捕まらない存在がいるというのは嘘ではないだろう。なぜならこうしてハヤトの知らない世界を生き抜いてきた少女が目の前にいるのだから。クルーズ船で人を殺しかけた時のように。いや、もう既に誰かを殺していて。
人を殺すことは悪いことか?
不意に父が昔そんな考えなくても良いような、当時はくだらないと断定付けてしまった言葉が蘇ってきた。人を殺すことは悪いこと。そうこの社会に習ってきた。そしてそれに対する処罰が法律で定められていることも。
そしてその時の父はこう言っていた。
「人間の歴史は人を殺す歴史だ。戦争が起これば誰かを殺し、殺した分だけ兵士は出世し、中には英雄とか、二つ名を戴く人間もいた。それにそもそも人間が『殺してはいけない』と言っているだけで、人間社会から一歩外に出ればそんなルールはどこにも存在しない。神もなければ、調停者もいない世界なのだから命を奪うことを断罪する存在はいないんだよ」
しかし同時にこうも言っていた。
「これには答えがないから自分なりの答えを見つけるしかない」、と。
もうよく分からなくなってしまった。ハヤトの中では人を殺すことは絶対にやってはいけないことだ。けれど大量殺戮を犯す人間を自由にしておくのも絶対に悪い。
もう訳がわからない!
「じゃあ、今私がエリーを殺しても正義なの?」
「ハ、ハルカ?」
「ハルカ姉さん?」
唐突にハルカが呟いた。ハヤトとエレナが困惑して振り返る。最初は何を彼女が言っているのか理解できなかったが、徐々に言いたいことが理解できた。
目の前にいる少女たちはこれから誰かを殺す。なら、今エヴェリンを殺して阻止すれば、それは誰かを救うことにもなる。
「…絶対の正義なんてない」
エヴェリンはハルカの言葉を切り捨てる。そして続けた。
「…ハルカがもしわたしを殺すことが正義だと思うなら殺ればいい。けれどわたしも自分の正義があってこうしている」
でも考えなしに流されるのは愚かな行為。そう、エヴェリンは最後に言った。そしてハルカも本気でなかったらしく、どうだろうね、と返す。
この間、サヤという人はずっとハルカを睨んでいたが、特に何も言わなかった。まあ、自分たちのリーダーを殺すと言われたら誰だって警戒するだろう。
そしてハヤトはここまでの会話を聞いて覚悟した。これから遭遇することは本当に日常の常識が一切通用しない。価値観もバラバラで、言葉によっては自分の命を差し出す行為になる。さらにはどんなものを見たとしても見定めるために、自分の正義を見つけるためにハヤトは何もしてはいけない。何かをすればそれは本当に無責任な行動になってしまうから。この裏社会のゲームのプレイヤーは自分の正義がないとなれないのだ。
それがどんなに小さなことでも。
「…着くまで時間はある。戦闘糧食もあるから質問があれば食べながら聞く」
エヴェリンは傍に置いてあった頑丈そうないくつかの箱の内、一つを開けて中身をハヤトたちに渡してくれる。初めて戦闘糧食というものを見た。
だが、どう見ても国防陸軍のものだ。一度だけネットで見たことがあるが、これに違いなかった。一般販売されていないはずだが、どうやって手に入れたのだろうか?箱の中にはそれなりに沢山ある。まさかオークションということはあるまい。あれは賞味期限が本当にギリギリか、もう既に過ぎているのを出していた気がする。
しかし夕ご飯もなく、お腹が空いていたので素直に食べることにした。少し蒸気が多くて車内でやるようなことではないと思ったが、換気は働いていて問題はなかった。
食べた感想としては、普通に美味しかった。まあ、軍人という過酷な環境の仕事の中で食事が悪かったら軍全体の士気に関わる大問題だから完成度は著しく高いのだろう。きっと味の研究を100年以上に渡って続けているに違いない。
そうして彼らの乗る車は夜の日本を北進していくのだった。
そして彼らは北へ向かう――。
本日も本小説をお読み下さりありがろうございます。
さて、今回は生奪論。これは私の造語です。簡単に言ってしまえばヒトを殺すことは悪いことか?という誰でも一度は考えたことのある命題について考えることです。ヒトを殺すことはダメなこと、若しくは正しいこと。こんな単純にして極端な話では議論さえ出来ないでしょう。だからといって様々な状況を場合分けして考えるのにも疲れてしまいます(やってもいいけど確実に常識が危ういことになる)。正当防衛で殺してしまったことも場合によっては許されてしまう世の中なのですから、環境、条件、状況を鑑み、そのヒトの感情、思想とかも考慮し、殺される立場のヒトの状況、感情、思想などと、更には第三者のことも考えて、世界情勢、社会の常識、性別、病気、更には理想主義に現実主義の論調を展開して――。ああ、切りがない。というかこんなことを考えるだけダメですね。皆仲良くしましょう!そもそもこんなヒトを殺すことは悪いことかと考える時点で世界は平和ではないのです。平和になれっ!(悲しいかな。現実主義者は絶対ムリだという。)
でも、未来でエヴェリンは自分の正義を信じてやっていることだけは確かです。但し彼女が目的を達成できずに失敗すれば彼女は悪となるでしょう。勝てば官軍、負ければ賊軍。古今東西絶対?の理ですから。
戦闘糧食というのは軍隊が携行する食料のことですね。もちろん軍隊というのは戦闘もするわけで、前線では心的外傷後ストレス障害(PTSD)も起こりうる究極のストレスが掛かりますから、戦闘糧食は常に改良されて美味しく造られています。食べやすいように、そして敵に見つかりにくいように簡単に温めることができるとか聞きますね。それとオークションで買えたと思います。一度食べてみてはいかがでしょう?(外国のも手に入れているヒトがいたような?)
よろしければブックマークもぜひ!評価、感想、質問、お待ちしております!またまた〜。




