ちょっとした暴走
「なんだ、お前ら。ここで何してる?」
声の方を向くと20歳くらいかそれ以下の青年が訝しげにこちらを見下ろしていた。伸縮性の生地で出来ているであろうジーパンに、肩出しの少し派手な赤と黒のシャツを着熟している。その腕っ節を見る限り日頃から鍛えているであろうことは容易に想像できた。そして何よりその目つきが鋭い。
「ええっと、エリー、じゃなくてエヴェリンってここにいる?」
ハヤトとエレナが萎縮するのに対してハルカは取り乱すことなく朗々と青年に問うた。それを聞いて青年はさらに眉を寄せてハヤトたち3人の目を睨んでくる。
というかハルカの初対面相手に敬語がないのは些かどうかと思う。
「そんなやつは知らないし、ここにはいない。さっさと帰るんだな」
そう言って青年はしっしと手で出て行けとジェスチャーを見せてきた。その態度に少しイラッときたが、そこは耐える。不法侵入してるのはこちらなのだし、悪いのは全部こちらにある。だから一度ここは去ろうとハヤトは思った。
しかしそこで予想の斜め上を行く事態になるとはその時のハヤトもエレナも思いもしていなかった。
「じゃあ、中見せて!中に隠れてるかもしれないし。そしたら帰るから」
ハルカがにこにこ顔でそんなことを口走ったのだ。それには瞠目せざるを得ない。正直、何言ってんだこのバカッ!、とハルカの正気を疑ってしまった。
そしてその青年も意味不明だと言わんばかりに表情に険しさが増した。
「はあ?何言ってんだテメェ?帰れって言ってんだろ?」
ヤバイ。
めちゃくちゃ態度がヤンキーだ。
絡まれたら面倒臭いことになるのは確実だろう。
早く帰らないと!
これ以上は身の危険を感じてならない。
「ハルカ。早く――」
ハルカを説得して声を掛けようとした瞬間だった。ハヤトの言葉を遮ってハルカが言葉を紡ぐ。
「邪魔するんだったらそこ押し通るけど?」
「ハルカぁ!?」
「ハルカ姉さん!?」
彼女の返答に思わずハヤトとエレナは驚きのあまり彼女の名前を叫んだ。
終わった。もう後戻りできない!
完全に喧嘩を売り返した。
用心棒が何しているんだ!
本当に何を考えているんだよっ!
喧嘩腰の青年にハルカは真っ向から睨み返していた。しかしそれは目だけであり、口元は笑顔だ。だから端から見ると不敵に笑っているように見える。そしてバカにしているようにも思える。まるで挑発してるようだ。
それがさらに青年を苛つかせる。額に青筋が浮かんだ気がした。
普通この状況は引くところだろう!
なぜこうなった!?
しかしふとそこでハヤトとエレナはあることに気づいた。もしここで2人が乱闘を初めた時、圧倒的に青年が危ないのではないか、と。ハルカの力はその筋力だけで路地のビルの間を軽々飛び移れるくらいの力はあるのだ。もしハルカが本気の力で拳を振るえば……………………想像以上に酷い有様がそこにはあるだろう。凄惨な光景があってもおかしくない。
背筋に悪寒が走った。もうハルカの理性を信じる他ない。
「やれるものならやってみろ!」
ハヤトたちが制止するより早く、悲運なことに青年は喧嘩を買ってしまった。そして彼のその言葉が合図だったかのようにハルカが階段を猛進し始めた。いや、足の筋力が異常だからか、駆け上ると言うより寧ろ階段を飛んで上がっていた。そして速い。
青年も予想外のことに目を丸くして咄嗟に後ろに下がって距離を取ろうとした。しかしそこでハルカが充分滞空しているにも関わらず2歩目を刻む。すると一気に低い天井に向かって機動を変え、体勢を変えたかと思うと今度は天井に足をつけてそれを蹴った。上から強襲する体勢である。
だが、青年もそれを目だけで確認すると身体を捻らせて僅かに躱した。それで体勢が僅かに崩れてしまうが、足で踏んばって2段だけ下がるだけで済んだ。
しかし。
「じゃーまっ!」
次の瞬間、階段に突っ込んだハルカは両手で着地すると、身体を半回転させてそのまま回し蹴りを青年に炸裂させた。
「がはっ!?」
青年はハルカの回し蹴りを食らって階下に転がり落ちてくる。思わずハヤトとエレナはぶつからないように避けたのだが、そのせいで受け止める者がいなくなり、青年は受け身を敢行するも思いっきりその先の壁に後頭部を激突させてしまった。
そして動かなくなる。
しかしバドミントンで鍛えた動体視力を持つハヤトには青年がハルカの回し蹴りを食らう直前にしっかり防御しているのが見えていた。そしてハルカがその防御を力づくで突破したのも。
受けた腕は大丈夫だろうか?
そもそもあんなの受けて折れてないのか?
いや、それ以前に頭を確実に打っていたが命に別状はないか?
心配になって青年をよく見れば気絶しているようだが息はあるようだった。それにほっと安堵の息を漏らしてしまう。それでも脳震盪とか、徐々に進行する脳内出血も考えられるから病院には連れて行くべきだろう。
そしてハルカがやらかしたことは流石に看過できようはずがない。
「ハルカ!やりすぎだ!この人が死んだらどうするんだ!?」
「これじゃあもう用心棒じゃなくてただの問題児、いやカチコミのヤクザだよ……」
ハヤトが叱り、エレナが嘆いている様はハルカが小さな子供でハヤトたちがその両親のような感じである。もはやここに来た理由も忘れているのではなかろうか?
それに対して。
「ちゃんと加減はしたよ?それにこうでもしないとエリーは出てこないよ?」
ハルカは飄々と言葉を返してきた。その顔には一切の疲れが感じられない。反省の色さえもなかった。
「間違ってたらどうするんだ!?ここにエヴェリンがいないかもしれないんだぞ!?」
「その時に考えればいいじゃん、そんなの」
「おいおい……」
溜息しか出ない。兎に角今やることはやる。間違ったらその時考える。場当たり的に動くとはきっとこういうことだ。これからが心配で仕方がない。呆れを通り越してもう疲れてきた。
ハルカを連れてきて本当に良かったのだろうか?
問題しか起こさないんじゃないのか?
その時だった。不意に周りが騒がしくなり、大勢がこちらにやってくる足音が聞こえてきた。ハヤトたちは瞬時に身構える。そして1階の部屋に通じるであろう扉が開かれそこから数人の男女が、そして2階からも5,6人の男たちがが現れた。
退路も遮られてしまう。
「うわ〜。こんなにいると加減できないかもなぁ……」
ハルカのその感想には呆れざるを得ないが、今は緊急事態だった。最初彼らは何事かと駆けつけただけのようだったが、伸びている青年を見て表情が険しくなるや全員臨戦態勢でこちらを包囲しているのである。隙きがなく逃げ道は皆無だった。ハルカのような身体能力があれば別だろうが、ハヤトとエレナにそんなものは望むべくもない。
しかしこれだけの人数がいたことも驚くべきことだ。あまりこの建物にはヒトがいないと勝手に思い込んでいた。
暫くの間彼らと睨み合いの様子見が行われていたが、その妙に静かな空間に一つの靴音が聞こえてくる。それは上階からで目だけでそちらを見ると見覚えのあるシルエットとその翡翠色が見えた。
「エヴェリン……」
そこにはさっき逢ったばかりのエヴェリンがいた。そしてこちらを冷たく見下ろしている。
彼女が歩けば周りの人たちが自然と道を作って、その間を歩いてくる。この間誰も声を漏らさない。緊迫した空気の中、エヴェリンがハルカの前まで歩み寄ってきた。
そして。
「かっ!?」
鈍い音がしたかと思うと乾いた声と共にハルカが膝を着いたのだ。
「「ッ!?」」
何が起きたのかハヤトとエレナには分からなかった。ちょうどハルカが影になっていて見えなかったのもあるが、それでもあのハルカが何の対応も出来ないままに膝を折ったのが信じられなかったのである。
一体、エヴェリンは何をしたというのか。
「このっ!」
痛みに堪えながらもハルカは怒りのあまり加減も忘れて渾身の力で殴りかかってしまった。しかしそれにエヴェリンは平然と応じる。
その時、ハルカにはエヴェリンが突然消えたように見えた。それに困惑するのも束の間、強い衝撃が顎下に走り、ハルカの体勢が大きく崩れる。見る人が見ればそれは所謂躰道の変技だった。相手の攻撃を避けつつ上体を後に倒した力を利用して足で相手に攻撃を仕掛ける技である。
そしてハルカが体勢を整える前にエヴェリンはハルカの足を払い、床に倒すと今度のは関節技を決めた。柔道の腕挫膝固である。流石のハルカも痛みのために十全に力を発揮できず、動けずにいた。
「ああっ!痛い痛いっ!」
「…手錠」
「は、はっ!」
エヴェリンが一言呟くと周りにいたヒトたちの中から一人の女性がどこかに走っていってしまった。
「ギブギブ!折れちゃうっ!離してっ!」
「…逃さない」
いつもは無表情のエヴェリンが少しきつそうに顔を顰めている。どんなに関節技を決めても筋力に大きな差ある以上油断できない。下手したらハルカはエヴェリン共々飛び上がって関節技から脱するかもしれない。よく見ればエヴェリンは魔法陣を自分の側に描いてハルカの腕を無理やり痛みが伴う方向に曲げている。きっとそれでもギリギリなのだろう。そしてついでに〈感覚切断〉の妨害もしていた。
「手錠ですっ!」
「…ありがと」
そして手早くエヴェリンは他の人たちにハルカの両手両足に手錠を嵌めさせて彼女から離れたのだった。両手両足を固定した手錠同士も手錠で結ばれていて一つに固定されてしまった。その対応がヒトに対するものではなく、猛獣に対して行われるような処置に見えたのは気のせいではないだろう。
ハルカも最初は手錠を引きちぎろうと力を込めたがその手錠は警察も使用している、切れ目のない溶接された鎖の手錠であり、しかも無理に引っ張ったりすれば腕にその薄い金属板が食い込んで力を入れようにも入れられない。つまり無理やり外すのは実質的に不可能であった。
因みに手錠を引き千切るパフォーマンスがあるが、あれは手品と同じように仕込まれたものであるからできることなのである。
「はぁ……」
ハヤトたちが固まっているとエヴェリンが小さく嘆息を吐いて立ち上がった。そして今度はハヤトたちに視線を向けえう。無意識に、無駄だろうけれども身構えてしまう。
そしてエヴェリンは周りのヒトたちに呟いた。
「…カヤの治療を」
「はっ!」
それに周りのヒトたちは迅速に先程ハルカに倒された青年を運んでいった。その動きはとても手慣れたものに見える。
そして。
「ぁ……っ」
気づけばエヴェリンがエレナの懐に入ってその拳で鳩尾を殴りつけていた。そのあまりの速さと正確で強烈な一撃にエレナは痛みを覚えて悶え苦しむように倒れ込む。
「エレナっ!?」
しかしそれはハヤトも変わらなかった。エレナを心配してエヴェリンのことを意識から追い出してしまったために彼もまた鳩尾に強烈な打撃を食らう。横隔膜の場所に正確に衝撃が伝わり、呼吸をしようにもできなくなってしまう。息が出来ずとても苦しい!気づけば膝を突いていた。そして薄れる意識の中、エレナに手を伸ばした。その先にはハヤトと同じく呼吸が出来ない苦しみと胸に響く痛みに悶える彼女の姿がある。
なんでこんな……。
何も出来なかった。
やっぱり僕は、無力だ。
守れない。
そうしてハヤトの意識は無念を懐きながら暗闇へと誘われていってしまった。
捕まった3人は果たしてどうなってしまうのか――。
本日も本小説をお読み下さりありがとうございます。最初に一言。エヴェリンのあの技は絶対にやってはいけません。公式で禁止されているくらいに危険です。ハルカは丈夫でそうでもしないと捕まえられないからやっただけです。普通死にます。
手錠についても言及しましたが、実際警察が使っている手錠は人間には壊せません。強度的に手錠が壊れる前に肉と骨が壊れてしまいます。しかも食い込んでくるので切断されてしまうかもしれませんね。よく演出で壊れる映像がありますが、あれは壊れるように作っているだけなのです。捕まったら最後、鍵を開けないと開放されません。
では今日はここまで。評価、感想、質問、お待ちしております。ブックマークもぜひ!またまた〜。




